マリリンとグルーシェニカ


マリリン・モンローさんが、「カラマーゾフの兄弟」に出てくるグルーシェンカを演じたい、と言ったことがある。

「カラマーゾフの兄弟」を読んだとき、グルーシェニカ(亀山郁夫氏の訳書での表記)の登場場面で、これってマリリンに似てるじゃん! だからマリリンは自分が演じることを想像して、心惹かれていたのかもしれない、と思った。
光文社刊「カラマーゾフの兄弟」第1巻(亀山郁夫訳)のP.398〜408から引用させていただいて、どこがマリリンと似ているのか、まとめてみる。
アリョーシャは、兄の使いでカテリーナの家に行ったときに、はじめてグルーシェニカと出会う。

「お声がかかるの、カーテンの陰でずっとお待ちしてましたわ」やさしい、やや甘ったるい感じの女の声が聞こえた。

気の良さそうなかわいらしい女、たしかに美人ではあるが、世間一般の美人さんたちとさして変わらない、要するに「世間なみ」の女だった!

たしかに、彼女はとても美しかった。非常にといってもよいくらい美しい、どんな男からもはげしく愛されてやまないロシア美人だった。

肉づきがよく、物腰はやわらかく静かでその声音と同じように洗練され、なにか特別のわざとらしい甘ったるさを感じさせた。

黒い豪華な絹のドレスを柔らかくざわつかせ、泡のように白くふくよかな首とゆたかな肩を、ウール地の高価な黒いショールに優しくくるみながら、…

その顔のなかでアリョーシャがもっとも心をうたれたのは、子どもっぽい、無邪気な表情だった。彼女はまるで子どものような目をして、子どものように何かを喜び、テーブルに近づいてくるときも「嬉しそう」だったが、それはまるで子どもみたいにがまんしきれず、好奇心まるだしで、今か今かとなにかを待ちうけているような風情だった。彼女のまなざしには、人の心をうきうきさせるなにかがあった

…その柔らかさであり、身のこなしの優しさであり、猫のような静かな動きだった。

…押しだしのいい豊満な体つきだった。ショールの下には、幅のあるゆたかな肩や、高く盛りあがったまだまったく若々しい乳房をうかがうことができるようだった。その体つきはもしかすると、ゆくゆくはミロのヴィーナスのスタイルを約束するものであったかもしれない。…

彼女はなぜ、あんなふうにずるずるひきずるようなしゃべり方をするんだろう、どうして自然な話し方ができないんだろう? あんなふうなしゃべり方をするのは、きっと言葉やひびきを間のびさせて、わざと甘ったるい調子にするのをかっこいいと思っているからにちがいない。

歌うようなゆっくりした口調でグルーシェニカが言った。

…あいかわらず相手を信じきったような無邪気な表情であり、朗らかな明るさだった…

以上、グルーシェニカの外見の描写から、しゃべり方まで、これはマリリンと、かなり近い印象ではないか。

この場面、はじめはカテリーナに、優しい女と思われ好意を持たれていたグルーシェニカだが、あっという間に態度が変わってしまう。
お嬢様のカテリーナを翻弄するあたり、なんとも魅力的なキャラクターである。

これなら、マリリンがグルーシェンカを演じたいと言ったのも無理はないと思える。
演じてほしかったな…。

きょうはマリリンの誕生日、2008年6月1日。82歳。

(多数、本文を引用させていただきましたが、それなくしては、まったく記事にならないので、関係方面にはご了承いただきたいと思います。これで本書に興味をもつ方もいるかもしれませんし。)



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