+++ 天草四郎陣中旗 +++
 

  天草・島原の乱のシンボルとされる天草四郎陣中旗は、11世紀〜13世紀にかけて西ヨーロッパのキリスト教徒が聖地エルサレム奪還のためにおこした十字軍遠征の際に使用したと云われる十字軍旗、15世紀にイギリスの侵略からフランスの祖国防衛のために戦ったジャンヌ・ダルクの旗とともに、世界三大聖旗のひとつとされ、歴史的に貴重な価値を持つとされています。
  舞台の上ではあれほど大きく掲げられた旗ですが、実物は縦・横108.6cmの正方形で、生地は卍くずし菊花文織白綸子(りんず)の指物。一揆軍の副大将格でもある南蛮絵師の山田右衛門作の筆によるものとされています。この旗の上辺と右辺には旗に竿を通すための乳(ち)と呼ばれる布製の筒状の房が七つづつ取り付けられており、この部分が旗の生地と異なることから、乳のみ後から付けられたと考えられています。すなわち、この旗は原城内で急ぎ描かれたものではなく、もともと教会のミサや祭事用に使用されていたものを原城に持ち込んだものと推測されています。
  旗の最上部には中世ポルトガル語で「LOVVAD SEIAOSACTISSIM SACRAMENTO」(いとも尊き聖体の秘跡ほめ尊まえ給れ−文化庁訳)と記されています。中央に大聖杯、その上に聖餅、聖杯を挟んで左右にアンジョと云う羽根を付けた二人の天使がアベマリア(天使の祝詞)を唱えるように合掌礼拝する姿が描かれています。右側の天使の上部にある赤黒い染みは血痕、その下方の穴は矢玉の跡と云われています。
  全て破壊しつくされた筈の原城から、なぜこの旗だけが無傷で残っているのかというと、1638年(寛永15年)2月27日の幕府連合軍による総攻撃の際、抜け駆けをした鍋島家の家臣、鍋島大膳が戦利品として、本丸にはためいていたこの旗を持ち帰ったためで、その後、この旗は鍋島藩の所有するところとなり、松平伊豆守家臣の奥村権丞書状(大膳が戦功をたてた確認書)、鍋島藩許可状(大膳の孫に与えられた所持許可証)、原城攻略図とともに代々鍋島藩で受け継がれてきましたが、1963年(昭和38年)頃、一説には子孫である岡山一之氏がアメリカへ売却しようとしたところを、文化庁が急遽、国の重要文化財に指定し、流出を阻止したと云われています。昭和52年頃には長崎・愛野町愛野パラダイス資料館「四郎の館」で展示されましたが、閉館後は個人の所有となり、昭和53年、本渡市に寄託され天草切支丹館で公開展示されていました。しかし、この陣中旗の性質上、個人が所有しているべきものではないとの所有者のご意向により、平成7年になって本渡市へ寄贈されることになりました。
  現在では、毎年4月・8月・11月の第1週、および10月の天草殉教祭の間だけ、実物が展示され、それ以外の期間はレプリカが展示されています。実物とレプリカとでは生地の質感が多少違い、同じ綸子でも、実物はより光沢のある生地で作られています。※実物を見に行かれる方は、事前に公開日をご確認の上お出かけ下さい。