+++ 天草・島原の乱の発端 +++
 

  1637年(寛永14年)10月頃、天草四郎によって洗礼を授けられたといわれる三吉と角内という者が、島原の有馬村へキリシタンの絵を持ち帰り、農民にキリシタンへの立ち帰りを勧めたところ、毎夜夥しい数の人々が周辺の村から訪れ、次々とキリシタンへと立ち返りました。
  10月24日、注進を受けた島原藩は三人の侍を遣わして両名をその家族共々捕らえてしまいました。この時、村の者がキリストの絵像を拝んでいるところに乗り込み、彼らを捕らえたのが有馬の代官、林兵左衛門でした。翌25日、これに怒った農民達は、宗門改めに来た林兵左衛門を殴り殺して しまい、鉄砲等の武器を掻き集めて島原の城下へと押し寄せ、途中、協力しない村には火をかけて焼き払ってしまいました。26日になると、一揆の討伐に出た島原藩の兵と交戦し、島原城下へ入って一気に城攻めにかかりました。この出来事が事実上、天草・島原の乱の発端となりました。