修学旅行は一日にして成らず・・・

 土曜日早朝

 この道はいつか来た道
 そんな歌を口ずさんでしまいそうな風景・・・。まあ、高校までこっちに住んでたものなぁ(苦笑)
 世界遺産もある観光地、といわれてもあまり実感わかない。
 世界遺産のある街に住んでいる、のではなくて、住んでいる街が世界遺産になっちゃった、てへっ! という感じなのだから。


 あの杉並木を例にして考えてみよう。

 勇壮な杉の並木道も、地元の人間にとっては単なる日照権を主張することの出来ない高い壁でしかない。
 線香の生産を営む者にとっては飯の種。
 なんせ原材料が道端に落ちているのだから…。天然記念物といっても落ち葉は落ち葉でしかない。
 線香の材料としてだけではなく、持続力はないものの、その燃え始まりの激しさから五右衛門風呂の焚き付けなどにも使われてきた。
なによあり、杉花粉のメッカ(笑)

 シーズン真っ盛りの時期は花粉で空が濁るのだから…。
 私はやったことはないが、コンビニのビニール袋いっぱいに杉花粉を詰め込んで、アレルギー症の少年の背後から忍び寄り頭からかぶせる、
という悪戯(イジメ)が考案されたのは私が中学二年の頃だった。
 そんな事を思いながら、僕たちの車は杉並木を抜け東照宮・中禅寺湖方面へ進んでいた。
 急いでいこうとすれば「日光−宇都宮道路」の自動車専用道路を利用して清滝まで抜けてしまう方法もあったのだが、私達は大沢インターの
料金所で通行料を支払った後今市インターで一般道路へ下りるルートを選択した。

 時間的にまだ結構早い時間だったとか、今市インターで下りると杉並木を通って東照宮へ抜けることが出来るとか、色々な理由があるが、
今市インターから先へ行くには新たに通行料金が発生するからというのが一番の理由だったことはあえて言わなかった川崎(爆)
 高速を下りたばかりで、ついつい惰性でスピードがあがりがちになるのを抑えながら片側一斜線の狭い道を進む。
 途中、無料駐車場で旧道や、水車の風景を写真に撮りつつ進む。
 未舗装の旧道の脇を、アスファルト舗装された道路が肩をならべるような形で整備されている。

  時刻はまだ午前6時過ぎ。
  さほど車の通りが激しくもないのに、検問がひかれていたりして僕らの旅行の行く末にちょっぴり暗雲が控えていそうな気がした。
 最初の計画では中禅寺湖の先にある湯の湖で朝風呂を浴びてから、中禅寺湖へ向かう予定だったものの、だらだらと散歩だけして
体力温存を理由に風呂には入らず中禅寺湖へ向け出発した。

 途中、戦場が原の展望台で記念写真。

 本来小田代が原、戦場が原は軽装散策するだけで丸1日を要する場所なのだが、今回の旅行では展望台での風景を眺めるだけにとどまった。
中禅寺湖へ向かった一向は、8時半の滝壷付近へ向かうエレベーターの運転開始をまって展望台へ。
 その昔は自殺の名所、幼少の頃は心霊特集には必ず登場するスポットととして登場してきた華厳の滝。
 何年か前の落盤で、滝壷への落下距離が減ったとかやや趣に架ける風景になったとか言われたこともあったが、それはそれ、滝は滝である。
 水不足の時は深夜や、平日は落水量を調整されるこの滝も、今年はまだ普通に滝壷へ向けて水を落としつづけていた。

 光の関係で、霧のように舞った水飛沫が虹をつくりだす。


 そんな光の乱舞をカメラにおさめるものもいれば、徹夜ドライブにやや疲れ、一瞬寝落ちたドライバーの恥ずかしい姿をカメラにおさめる者もいる…。


 中禅寺湖を後にした一向は、東照宮を目指す前に一旦この日の宿泊地へ向かうことになっていたが、市街地で簡単にお土産を購入してから、
ということになりコンビニ近くの路上に車を止めた。

 ふと、ガイドブックの記事を思い出した川崎。
(地元とはいえ、旅のたしなみとして買っちゃいました)
 たしか、近くに「湯波」で有名な店があったはず、と他のメンバーをコンビニに待たせ今下ってきた道を徒歩で再び戻り始めた。
 その時、川崎の携帯電話は車の中に置き去りにされたままだったが、この事が後に大きな幸運(川崎にとっては大きな疲労)を生むこととなる。

 行けども、行けども、目的の店舗を見付けられない川崎。

 他のメンバーも時間的に戻るように促す為、携帯電話へ連絡を取ろうとするが、不携帯電話となっている状況で川崎に連絡がつくはずもなく、
時間だけが過ぎていった。
 2キロ近く戻ったところでやっとガイドブックで見た事のある店舗が目の前にあらわれた。
 時刻は9時40分。
 あとでガイドブックを確認したところ営業開始は午前10時からということで、かなり無謀な賭けに出ていたことが判明。
 とにかく、営業時間なんて頭の中から飛んでいた川崎は店先で掃除機を掛けているおばちゃん(おかみさんでした)に声をかけた。

「『さしみ湯波』ってまだあります?」

 営業開始前に、「まだありますか?」はないような気がしなくもないが、そう聞いたのはあながち間違いではない。
 地元料亭におろされることが多いこの店の「刺し身湯波」は予約無しで買うのは結構難しかったらしい…。
 とにかく、営業時間前にもかかわらず、おかみさんは店の奥に声を掛け、刺し身湯波を用意してくれました。
 こうして、酒のつまみを手に入れた川崎は、当然来た道をまた同じように下っていった…。

 川崎の実家に荷物と刺し身湯波をおいた面々は、今回のメイン観光スポットである日光「明治の館」「東照宮」へ。
 時間的に中途半端な時間についてしまい、軽く散策して昼食をとってから東照宮へ向かうことになった。

 で、今回の食べ物スポット明治の館にて昼食。

 個人的評価としてはには「チーズケーキ」の館なのですが、ドミグラスソースを使った料理にも定評があるようです。
 入口脇のバルコニーに案内された一行は、どこかネジが一本はずれたらしく次々と高額のコース料理を注文していく(笑)
 結構な値段となりましたが満足なお味ではあった様子。

そしていざ東照宮へ。


鳴き龍

眠り猫

三猿

家康の墓




…そして巫女さん(爆)
 階段なげーよ!と心の声を封印しつつ、次の観光スポットへ。


 こうしてつらつらと書いてみると、1日で色々とやったんだということが改めて実感してしまうが、まだ終わりません。
 日光駅から霧降方面へ抜け日光地ビール生産場で一服。
 ドライバーの川崎はここで15分ほど仮眠。

 日光キスゲで有名な霧降り高原をそのままスルーしてもう一度今市市に。
 山の中腹にある駐車場に車をとめ300メートルほど先を見るとこれまた自殺の名所「六方沢橋」が見えてくる。
 橋下約100メートル。川は流れておらず、覗き込むのにも結構な勇気が必要になる。
 後ろから脅かそうものなら、本当に寿命が縮みます。

 戻り際、トイレ休憩を兼ねて霧降り高原の駐車場に車が止められたのをいいことに、リフト乗り場に向かう。
 リフト券をうってるおねーさんの口車にのり、見事往復のリフト券を購入してしまい頂上を目指すことに。

 冬はスキー場となるなるこの場所も、夏のこの時期は高山植物の一種「日光キスゲ」の繁殖地となる。

 リフトに乗りながら見られたキスゲ畑だったが、頂上から眺めると、その姿を霧の中に隠れてしまっていた。
 『霧降』の言葉はダテじゃあないということで…。


ま、こんな光景も(苦笑)

 下界へともどった僕たちは冷えた体を温める為、温泉へ。
 市民浴場でもある温泉は地元民には割引料金だが、ビジターでもほぼ銭湯価格。

 風呂上がりの牛乳一気のみをクリアすると、日程の関係で明日来店が無理になった餃子やチェーン「正嗣」へ。

 店頭でのメニューが『焼き餃子』『水餃子』の2種類しかない餃子店。これに持ち帰りの『生餃子』が加わるだけで
 この店のメニューは全種類制覇したことになる。

「メニューの上から、順に持ってこい!」
 というギャグもこの店には通用しない。
 ビールもなければ、白いご飯もない、ひたすら餃子だけを食べる店「正嗣」
 私の注文は焼き餃子2人前、水餃子1一人前、しめて510円。
 食べている間にもひっきりなしに持ち帰りの注文が飛び込む。
 ひと心地ついたところで、本日の宿泊地川崎の実家へ。

 いつ寝落ちてもいいように蒲団だけは引いて飲み会へ。
 テーブルの上に置かれた地酒の1升瓶とか、日光地ビールを飲みつつつまみを食べる。

 メインディツシュは賞味期限が本日中という、えびやの刺し身湯波。かつおのダシ醤油や、ポン酢でいただきます。
 あとはオーソドックスな田舎の食材が並ぶ。
 既に正嗣行っていたことを知らなかった母が買っていた生餃子はそのまま冷凍庫に。
 (これが翌日、犬くんへのおみやげになったとさ)

 田舎の夜は早く、徹夜明けに近い僕たちの夜も早かった(笑)
 地ビールは飲みきっものの、一升瓶は半分ほど残った状態で宴はお開きとなった。


翌日