風花の舞う街


 気がつくと私は見知らぬ街で空を見上げていた。

 雪が降っている。重力に引きよせられながら、流れる風に翻弄されながら、ゆっくりと舞い降りる雪。

 地面を覆うにはもう少し時間がかかるだろう。薄暗くなりかけた空を見上げるわたしの鼻先を、いくつもの白い結晶がかすめていく。ふと、視線をまわりに向けて見た。

 私を避けるように通りすぎていく人達。空を見上げている人などいない。だれもがあたり前のように、自分の目の前だけをみつめ喧騒の中に消えていく。

 ふわりと降りてきた白いそれは、手のひらの上で姿を変え、やがてゆっくりと消えていった。

 じっと手のひらを見つめていた私。

「冷たい…」

 手のひらの上で結晶が消えていく瞬間の感覚。ああ、わたしの視界にあるこれがわたしの腕なのだと初めて気がついた。

 いい知れぬ違和感。じっと、てのひらを見つめる。

 これがわたしの身体?

 あれ…?なんでそんなこと思うんだろう。これが、わたし以外の身体であるはずがないじゃない。

 私は……。

「うぐぅ。ご、ごめんなさい、ちょっとどいて!」

 突然の声に顔を上げる。わたしは一歩も動かない。いいえ、動けないでいた。

 紙袋を抱えた女の子が、目の前に迫る。けれどその子はわたしにぶつかることなく、わたしの脇を走りぬけていった。

 その勢いに一瞬だけよろけたわたしが、態勢を立て直して振り返った時にはすでに彼女の姿は雑踏の中に消えていた。

 そして、彼女の走ってきた方から同じように走ってくる白衣を着た男の人。なにやら『ドロボウ!』と叫んでいるようだが…。

 彼女の姿を見失ったのだろう。しばらくきょろきょろとしていたが、やがてきびすを返すと女の子の消えた方とは反対の方へ戻っていってしまった。

 あれ、ここはどこなの?

 ふと我にかえるわたし。今、自分がいる場所がどこなのか。そして、わたし自身が何者なのか。そんなことが、わからなくなっているわたし。

 そう、何も覚えていない。


 わたしはひとり、風花舞う街の中に立ち尽くしていた。


 目の前には、商店街が広がっている。わたし、いつのまにこんなところに来ていたんだろう?今更のようにそんなことに気がついた。

 ところで、あたしっていったい誰?

 何故ここにいるの? 

 なにも思い出せない。

 不安にかられながらも、わたしは自分に言いきかせる

 じゃあ何を覚えている?自問自答してみる。

 覚えているのは…。わたしは、目をとじ必死になって思い出そうとした。

 何を覚えている?

 『なんでもいいから、思いだして…』

 そんな言葉をつぶやいていた。

 ズキン!

 急に胸が痛み出し、息が苦しくなる。それでもわたしは一生懸命思い出そうとした。

 ぼんやりとある映像が浮かんでくる。

 胸の痛みが激しくなる。それでも私はその映像を必死に思い出そうとする。両腕で胸を押さえる。

 覚えているのは…。

 覚えているのは、わたしに向かって手をふる男の子の姿。

 そして、その男の子に向かって泣き叫ぶわたしの姿

 痛みの止まらないてのひらの下から、言葉に表せない感情が溢れ出す。

 思慕、悔恨、嫉妬、憎悪……。

 追いかける私を、置き去りにしていくあいつ。


 あいつだ。

 あいつを、あいつを探さなきゃ。わたし、きっとあいつに傷つけられたんだ。その傷が元で、きっと他のいろんな事を忘れちゃったんだ。

 あいつを探さなきゃ、わたしの傷はきっと治らないままだ。

 だって……。

 だって、わたし…

 わたしはゆっくり深く息を吸いこむ。

 だって、あいつのことを考えるだけで……。



 今も、息もできなくなるくらいに、胸のあたりが痛むんだもの…
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     Kanonの真琴編、プレSSです。
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