ワンチャイ5の敵役、張保仔は香港に実在した海賊である。

香港は大小200を超える島々からなり、海岸線は複雑を極め、海賊の基地となるには最適の地だが、張保仔は香港近海を根城とし、最盛期には配下数千人、千隻を超える大船団を従えた大海賊であった。

 中国史において著名な海賊は数多いが、史料に現れる最初の海賊は後漢の張伯路

 黄河河口付近を根城とした張伯路は、沿海九郡を武力で制圧、さらに内陸の匪賊と結託し、一時は天子を模するほどの力を得たという。

 下って七世紀頃になると、イスラム国家の成立に伴い、広州が中国・東南アジア・アラブ世界を結ぶいわゆる南海貿易の拠点となると、海賊達の活動範囲も南下した。

 さらに十七世紀に入りオランダが台湾を拠点として中国貿易を開始すると、その貿易船を狙った海賊も台湾を舞台とするようになり、その代表的人物として鄭成功の父、鄭芝龍がいる。

 張保仔は生年不詳だが、十九世紀初頭の代表的海賊の一人である。
 漁師の息子であったが、時の大海賊・鄭一に拉致されて海賊の一員となり、聡明な美少年であった張保仔は鄭一に気に入られ、程なくして頭目に取り立てられる。
 鄭一の死後は鄭一の妻・石氏(鄭一嫂)の信任を受けて鄭一の組織を継承、紅い旗を旗印にしたことから紅旗幇と呼ばれた集団を率い、広東沿岸一帯にかけて活動した。



1810年、両広総督・百齢の海賊鎮圧策の前に降伏。海賊組織は解散させられたが、張保仔は武官として取り立てられ、1822年に没している。

 1822年というと黄飛鴻の生まれる四半世紀前。百歩譲ってその後も張保仔が生存していたとしても、ワンチャイ5は1900年頃の設定だから、その時点で100歳を超えることは間違いない。黄飛鴻と戦わせるにはかなり無理があるが、それでもあえて対決させたかった気持ちもわかる。

というのも、ワンチャイ5だけ見ると単なる「宝石亡者の怪人」だが、張保仔と言えば香港では知らぬもののない有名人。

 張保仔の財宝の隠し場所であったという「張保洞」は長州島の観光名所だが、これ以外にも香港には張保仔に関わる史跡が多数残っている。

 ビクトリア・ピークの香港名「扯旗山」は、張保仔が自旗を掲げたことからその名が付いたというし、そのビクトリア・ピークに至る「張保仔旧道」も現存。


 張保仔を主人公に据えた香港映画も当然あって、題名もそのままズバリの「張保仔」('94)、公開はワンチャイ5の8ヶ月前。

 張保仔を演じるのは、真田広之と「龍の忍者」('82)で共演し、LW4では李連杰の兄だった李元覇。この映画では、張保仔は極悪非道の東インド会社に林則徐と協力して立ち向かう、まるで「民族の英雄」。

 史実とは少々異なるが、張保仔への香港人の思い入れが感じられるような映画ではある。