黄飛鴻の父・黄麒英が設立した医局兼武術道場。当初は広州の靖遠街にあったが、後に仁安街二十六号に移転。

黄飛鴻はここを拠点として医薬品の行商のようなことを行っていたといい、製造・販売した「通脈丹」は東南アジアまで広まった有名な漢方薬だった。
 「寶芝林」の名の由来は、革命家・夏重民が贈った詩、「宝剣出筐 芝草成林」(宝剣を抜くところ芝草(=霊芝)が林となる=英雄のいるところは栄える」の意)にあり、この詩が店の門に看板として掲げられていたとも、あるいは室内で、劉永福が贈った黄飛鴻の肖像画の左右に対句として掲げられていたとも言われる。

 1923年、広州において、政府の弾圧と強制武装解除に反発し、商団(自衛武装組織)の反乱が勃発。その余波が仁安街にも及び「寶芝林」は焼失、その翌年黄飛鴻も没した。

 寶芝林は焼失したが、黄飛鴻の4番目にして最後の妻、莫桂蘭と黄飛鴻の弟子達により、後年「黄飛鴻武館」が香港に設立され、武術指導と治療を続け黄飛鴻直伝の洪家拳を継承した。

 また、1996年には、黄飛鴻の故郷である広東省南海市に、彼を記念した「黄飛鴻獅藝武術館」が設立され、館内には「寶芝林」が再現されている。

 

 現在、香港で「寶芝林」といえば關コ興の設立した涼茶舗であろう。關コ興の「寶芝林」は、92年に設立され、現在旺角本店のほか銅鑼湾、灣仔、天后など6店舗に及ぶ。  關コ興の「寶芝林」のロゴ


 名物の亀苓膏(亀ゼリー)

左:關コ興、中央:莫桂蘭、
右:黄漢熙(黄飛鴻の10番目の子)。
黄漢熙はもっとも黄飛鴻に
風貌が似ていたという