POMPEII
ポンペイにやって来た。AD79年に凍結された街は、世界史的なあこがれである。30年ごろイエスが刑死し、
66年から始まった第一次ユダヤ戦争で70年にはエルサレムが破壊された。日本のことに関して言えば、
57年漢の委奴国王の金印の時代に近く。ほぼ同時代の建築遺構ではないか。レヴィ=ストロースのいわゆる
通時的味わいを満喫した。
マリーナ門からアプローチ。 | レンガによる仕切り。62年の地震被害を修復した 際に、修理範囲を確定するためのものか との解説あり。 |
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ガイドさんに教えられてサンゴの化石を撮影。 | この犬ずっとわれわれについてくる。 |
バシリカ。裁判や商取引が行われていた。 62年の地震で倒壊。再建されず。 |
その円柱の断面。 | ||
フォルム 市民広場。ポンペイの中心。 早川解説。背後にガイドのおじさん。 |
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SALA DEI DECURIONI 沿いのじつに 精緻なレンガ組。オブス・ラテリキウム。 |
エウマキアの門。 羊毛職人会館といわれる。 |
ガラス保護されたアカンサスの葉の フリーズを見ることができる。 |
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公設市場 マケルム | |||
ガラスケースの石膏死体その1。 |
その1側面。ベルトをしているので、 身分は高くなかったらしいと。 |
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その2。こちらはベルトをしていない。 しかし、いくら屋根つきとはいえ、露天 に展示されているとは思わなかった。 |
フォルム浴場
男湯。温浴室(テピダリウム。 | そのフリーズに見られるクピード。 | ||
男湯。熱浴室(カルダリウム)。奥のアプシス* には巨大な水盤(ラブルム)がある。四周の壁 を突起つきのかわら(テグラ・マンマタ)で覆って、 床下から暖気を循環させた。 |
大理石の一枚岩。縁にある銅の象嵌銘には 公金5250セステルティウスでこれを作らせた と、二名の連署がある。 |
*丸天井のある半円形凹所。
悲劇詩人の家 Casa di Poeta Tragicoの番犬モザイク。 柵越しに撮影しなければならない。 ひどく磨耗してるけど、これ複製だろ。 違うか? |
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メルクリオ通り。公共水道の人面蛇口は翼のついた 帽子をかぶったメルクリウス(つまり、マーキュリー)。 |
水槽の角には馬車よけの縁石。 |
ヴェッティの家
もと解放奴隷の豪商。ワインで産をなしたとか。第W様式の壁画もぺリステリウム(列柱つき中庭)もみごと。
玄関に有名な絵。ディオニュソスの息子、 プリアポス。Priapus weights a money bag against his penis. |
ウェネリウム(愛戯室)って何だろ。 わからん。 |
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ラレス神の神棚(ララリウム) | ||
管の分岐栓 は、オリジナ ルだという。 すばらしい。 この水栓は ガスのコック と同じく 開・閉式。 |
吹き抜けの台所は非常に狭い。 |
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The History of Plumbing-Pompeii & Herculaneum Roman Warterworks Frontinus on the Water Supply of Rome |
ヴエッティの家では当時の宇宙認識と、水道水栓の技術的困難が話題となる。アレクサンドリア図書館館長でも
あったErastosthenes(BC276-196ごろ)は地球の全周を25万スタディオン(約46,250キロメートル)、黄道の傾斜を
23°51’15”と計算した。中世暗黒時代といえど、地球が平らであるなどと、学者が信じていたわけではない。春分の
日以降の最初の満月の次の日曜日という復活祭の設定は325年二カエア公会議以来のものである。
正しい天文学的素養を無視して計算することは不可能である。
古代バビロニア・ウル近郊のアルウバイド出土の銅のレリーフに鉛のろう付けが使われている(BC3100頃)。
これがエジプト人に継承された。ポンペイのハンダは鉛1:錫2で鉛工ハンダに近い。ちなみに錫6:鉛4(6‐4ハンダ)
が最も低温で溶け、溶着性も良い。錫の産地はコーンウオール。銅はキプロス(コッパ−の名称由来)、ドロミテ・
アルプス(とくにカルパティア山脈)、エーゲ海キトノス島。銀と鉛を産出するのが、シフノス島およびアッティカ沿岸
のラウリオン(いわゆる大銀山)。
技術史を調べていてわかったこと。ポンペイの窓ガラスは、平たい石に砂を敷き、流し込んで作っていた。
半透明で厚い仕上がりになった。
対のクピード噴水。まさかキリスト教の手下に なるとは予想外だったろうな。 |
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これもプリアポス。もとは庭に あった噴水。水がどこから出 るかといえば・・ |
ポピディウス・プリスクスのパン屋
かまど。 |
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碾き臼。周囲の広さから、 動物ではなく、ほぞに棒 を通して奴隷が回したの であろうとみんなで推測。 ものの本によると、らばに 曳かせたとあった。 |
LUPANARE(牝狼の館)
石のベッド。うわ、犬がいたのね。 |
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右手がルパナ−レ。2階の張り だしは再現されたもの。 上はお泊り、下はちょんの間。 おいおい。 |
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通路は大混雑。上部の絵がサービスメニュー なんですと。 |
古代のビデと説明をうける。当時、 酢・オリーブ油の入った洗浄液が 用いられていたようだが。 |
発掘途中のビーナス神殿。というかほったらかし。 TEMPIO DI VENERE 62年の地震で崩壊。 |
アッボンダンツァ通り。
雨どいなんだろうね。
早川さんが10年前に見た露頭に行くため、 いったん外に出る。この売店で、はじめて まともなブラッドオレンジを飲んだ。サンドイッチ もすてき。バスで移動。 |
この入り口は何門だったか忘れた。 早川さん、下見に行くが残念。露頭は 表面処理されて観察不可。 |
end