*mnemonic solution / deep storage ex
 ■■ ユー・アー・ノー・ドリーマー
 3.20.2004   PlayStation用ソフト『ファイナルファンタジーVIII』(スクウェア)について
(このコラムは2002年5月26日にdeep storageで書いた文章をリファインしたものです)


■スクウェア(現・スクウェアエニックス)のRPGシリーズ『ファイナルファンタジー』。それはもう一方の雄『ドラゴン・クエスト』と対をなし、ファミコン時代の1から現在製作中の12まで常に日本のRPGでトップを張ってきたゲームだし、近作ではその美麗なムービーとあわせて海外でもヒットを続け→国内200万枚・ワールドワイドで500万枚以上の販売枚数を誇る超有名シリーズだから、ゲームに興味がない人でもその名前をきいたことはあるんじゃないかなと思うんだ。

■シリーズとはいえストーリー的にもシステム的にも単純な続き物ではなく、毎回毎回新たな設定と内容をひっさげてくるから、「オレはやっぱり4が好き」「システムは5がベスト」「9は正統派だね」「ネットゲームの11だったらもう1年半プレイしてるよ」なんて感じでゲーマーの中で好みや評価がわかれてるんだけど、その中で『ファイナルファンタジー8』の評判ときたら、なんだかちっとも高くないんだよね。

■いわくシナリオがめちゃくちゃ、いわく経験値上げが無意味なシステムなんて最低、etc。でもね、僕はそんな『8』が好きで好きでたまらないんだ。他のFFをちゃんとクリアしてないから比較はできないけど、ほぼ100%クリアまでやりこんだ『8』は本当に最高だったんだよ。

■なのにそんな話をすると、ゲーマー友人からも『このゲテモノ食い』『ウケ狙いかよこのやろう』みたいな奇異な目でみられてしまいがちなので、この機会に僕がどれだけ『8』が好きか、『8』がどれだけ魅力的なのか書いておきたいと思います。きいてよ、『8』は素敵なんだよ。本気でいってるんだってば!


■まずはお話を要約すると、私設の兵士養成学校「ガーデン」に通う若者たちが、「魔女」が世界にもたらした未曾有の危機の中・時空を越えた不思議な運命にみちびかれ、戦い・迷い・そして出会う、そんなストーリーだ。けど、そんな王道RPG的なアウトラインは僕にとってこの際どうでもいい。僕にとっての『8』、それはディテール部分で「10代後半の全能感」をパーフェクトに描き切った、セイシュンのゲーム、なんだよね。

■例えば戦闘システム。このゲームでプレイヤーが操るキャラクターたちは、それぞれG.F.(ガーディアンフォース)っていう特別に強力なモンスター(=召喚獣)をその身に宿すことができる。そして敵のモンスターから魔法を吸収(ドロー)して→体力や攻撃力といったパラメータにアサインすることで、自らのパワーを様々に上げることができるんだ。こういった強化/成長システムを「ジャンクション」っていうんだけど、おかげでプレイヤーは、自分がスペシャルな存在だってことや、人と出会うことで自分の力がどんどん進歩する=ビッグになれるってことを素朴に信じちゃってるみたいな、そんな10代後半の全能感をキャラクターを通じて味わうことができるんだ。

■しかもG.F.を宿したキャラクターたちは、副作用として過去の記憶をどんどん忘れていく〜なんてストーリー上の設定があるんだよね。これだって、自分の歴史やコドモの頃のことが恥ずかしくてイヤなあまりに→過去なんて無かったかのようにふるまう、そんな10代後半の無根拠さとそっくりじゃないかと思うんだ。

■そしてキャラ移動時。ワールドマップ上では異常に大きく表示される主人公(右図・1000m単位の大地形を前にたたずむ身長数百mの主人公)や、パーティで行動してる時でもマップ上では必ず一人だけで表示されることだって、世界に対して自分がラウドな存在だという根拠のない自信や・結局自分のことしか考えていない的な傲慢さだと思えばすっきり理解できる。それは、10代後半に特有の雰囲気だ。

■で、最後にストーリーの細部。これがまたいいんだ。世界の危機と戦ってるってのに、主人公たちはいつも彼らスペシャルな仲良し仲間のレンジ内で考え、他人のことなんておかまいなしで常にその場その時で場当たり的に対処しちゃうんだよね。

■魔女暗殺を企てた秒刻みの作戦途中、仲間に謝りたいなんて個人的な理由で持ち場を離れるキスティス。世界の危機に絶望する仲間たちの中で一人自分の恋心に気付き、延々とモノローグを続ける主人公・スコール。どんな状況下であろうとも、自分が悩みたいときは悩み・爆発したいときは爆発し、飛びたい時は飛びだしちゃう。黒くなるときは黒くなる。僕はそんな彼らの無防備すぎる感情の流れに終始ドキドキさせられっぱなしだった。「キャラの性格が一貫してない」「動機付けがひどすぎる」とかって怒る人もいたみたいだけど、しょうがないよ、それが10代後半の若さなんだから。

■‥‥‥こうして僕はシステム+ストーリーの両面から、4枚組のディスク全てに10代後半の若さが完璧にコンパイルされたゲームとして『8』を受けとめた。そして僕はそんな『8』が大好きだ。誤解されたくないから繰り返すけど、決して皮肉でもなんでもなく、本当に僕は『8』が好きなんだよ。


■ここであえていうと、僕が愛するこうした『8』の若さや全能感って、きっと恐らく開発スタッフの意図という以上に、当時のスクウェア社自体の状況が生み出したものが大きかったんじゃないかなって思うんだ。鳴りモノ入りでプレステに参入し、『8』の前作=『Final Fantasy VII』を満を持してリリース→大ヒットさせた彼らは、セガサターンとプレステのハード戦争に事実上の終止符を打ったスーパー立役者だったし、それに見合うギラギラした噂も業界内やマニアさんたちの間にむせ返る程に溢れていた。例えばインセンティブとして全スタッフに数百万〜1千万円以上のボーナスがあったとか、社内旅行がトルコだのオーストラリアだのといった海外だったとか、カネで他のゲーム会社から大量の人材を引き抜いてるとかなんとかetc。プレステバブルの絶頂期に君臨した超大型ソフトにふさわしい、そしてあまりにも美しい、夢のような噂につぐ噂。

■そんな噂がどこまで本当なのかは判らないけど、『8』に流れるあの全能感には、当時のスクウェアスタッフがきっと心のどこかに感じていただろうある気持、望月の欠けたることナシ的グルーヴがどこか影響していたんじゃないかって僕には思えてならないんだよね。例えばストーリーとは直接関係ないミニイベント‥‥‥やった人はわかると思うけど、「みんなで音楽」とか「サルと石を投げる」とか「蒸気のバルブ」とか、それに最終ダンジョンの謎という謎。どう贔屓目にみてもデキがいいとは言い難いこうしたミニイベントの数々には、現場スタッフの無遠慮さと若さがみなぎっていたと思う。他にもそうだ、ストーリー内で主人公達が所属する傭兵部隊の名前=「SeeD」。どんなに細かいセリフでも周到に小文字のeを使ったりしてさ、めちゃくちゃ格好つけてたよ。

■そして当時としては珍しく、主題歌『eyes on me』にタイアップで起用していたアジアの歌姫フェイ・ウォンだって、きっとマーケティングでも何でもなく、スタッフの趣味先行で選択されてたと思うんだよね。しかもカウントダウンTVのCD売り上げチャートに入った『eyes on me』のアーティスト名は「フェイ・ウォン featured in Final Fantasy」だった。featured in? その他に例をみないクレジット表記に、僕はスクウェアの猛烈な勢いを感じずにはいられなかったよ。


■で、だ。突然白状するけど、僕は基本的に「ファンタジー」がニガテなので、いわゆるRPGはほとんど遊んでない、というかやりたくならないタイプのゲームだったんだよね。実際ドラクエだって1しかクリアしてないくらいだし、タイトルからしてファンタジーって入ってるFFシリーズって全然得意じゃないゲームだったんだよ。

■けれど『8』は特別だった。エンディングはもちろん見たし、G.F.も全部ゲットしたし、武器も全て限界まで改造するくらいやり込んだ。究極魔法のアルテマだって、やっきになって100個×3キャラ分ドローしてみたさ。それって恐らく、ファンタジーなシリーズのなかで僕にとって『8』だけが唯一リアルなゲーム、若さによる全能感の中で生まれ・若さによる全能感をリアルに描いたゲームだったからじゃないかと思うんだよね。

■だから僕は、将来歳をとって老人と呼ばれるようになった頃、この『8』をある憧憬とともにもう1度プレイしてしまう気がするんだ。残念ながらいわゆる青春小説に縁のない10代を送ってしまった僕にとって、『8』をプレイすることが「10代後半の全能感」を遠く懐かしく思い出す手段になるんじゃないか、そして‥‥‥おそらくは、「プレステが若かった頃の全能感」を、思い出すことにも、なるかも、しれないって、思うんだよ、ね。


■あれから、ゲームの世界はずいぶん変わってしまった。FFはすっかり大人の表情になり、はじけた演出で楽しませる『X-2』ですら、しっかりとコントロールされたトーンと力強さ、そして磐石の完成度とクオリティを誇っている。主題歌だってAVEXと組んで周到に用意した大人のタイアップだ。一方で日本のゲーム市場はなだらかな衰退を続けていて、僕を含め、プレステバブル期にゲームに飛び込んだ開発スタッフは1年に1歳ずつ年をとっている。軋む骨の痛みに耐えながら、それでも夢を描こうと悪戦苦闘を続けてるのが実情だ。そんなわけだから、愛すべき無垢さの中で生み出され・危うげにキラキラと輝くこの『8』のようなゲームは、しばらくリリースされることはないと思う。

■でもね。もう1ついっておきたいことは、ゲームはまだまだ終わってないってことだ。『8』の頃の無垢さに戻ることはないかもしれないけれど、TVゲームが好きで・TVゲームのプランニングを仕事にする機会に恵まれた僕自身としても、また違ったやり方を編み出して→キラキラやドキドキを生み出していかなきゃと思うんだよね。ありがとう『8』。またいつか『8』。だけど僕はもう、いくよ。


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