*mnemonic solution / thoughts : 01
 ■■ 『中継』
 07.07.2000   ヤン富田『素晴らしい偶然を求めて』(P-VINE records : A.S.L.-5809)




■東京が誇る音楽家・ヤン富田のこのアルバムは、93年に行われたライブを収めたもの。当時300枚限定でリリースされた幻のレコードが、2000年の今年ついにCDで再発です。

■そのライブのタイトルは『HOW TIME PASSES』、訳すと「時間の経ち方」になるのかな。それは正に、ライブってものの基本的な性質を表したものだと思う。日頃シンセサイザーとスティールパン、そしてアナログ/デジタルレコーダーを駆使して編集による音楽制作を極めている彼にとって、ライブって編集のきかない・リアルタイムに進行してしまうものとして強く感じられたりするのかなって思う。

■そもそも絵画や彫刻と違い、音楽って本質的に時間と切っても切れない関係にあるよね。耳に届くあらゆる音は、その音が持続する時間を持ってる。巨大なコンサート会場だと観客の手拍子が微妙にズレたりしちゃうとかって、音源から耳まで音が届く時間だって無視できない。そしてまた、電源を入れてから経過した時間によって微妙に音が変化するという古いアナログ・シンセサイザー。そうした時間を持った音を、時間に沿って配置していくことで組み上げられる曲‥‥‥。

■そんな時間と不可分の音楽には、「過ぎちゃったものは取り返せない」という、あの宇宙最強の切なさ要素が搭載されることになる。その愛しさと切なさのあまり、人は科学技術を生みだし、音楽を何度でも録音し直したり編集したりできるようにしてきた訳だ。エジソン以来人々が辿った時間という限界を越えていく試み。その流れの頂点に、ヤン富田も位置している。名盤・『MUSIC FOR ASTRO AGE』(1992)には、そんな編集によって時間を何重にも重ねられた音楽が、様々なスタイルでギュッギュと詰まっていたのだった。そして、時間を超越しまくった『MUSIC FOR ASTRO AGE』を、今度は逆に時間という束縛の中にもう1度落とし込んだのがこの『HOW TIME PASSES』だったと、僕は今まさに気がついたよ。

■「今まさに」っていうのは、実は現在、僕はこのライブ盤を頭から聴きながら同じくライブでこの文章を書いてるからなんだ。今流れているのは3曲目、ARP 2600 とEMS SYNTHI Aという電子音を生み出すためにあった頃の古いアナログシンセサイザーを操るヤン富田に、ドラムがリズムを合わせているところ。ドラムがバンドを規定するのではなくて、時間に任せて変化し鳴り続けるシンセをドラムが肯定し、包み込む〜なんて状況が聴こえてくるんだ。

■続いて現在流れているのが、マルセル・デュシャンに捧げる音楽。クレジットによればジョン・ケージ作曲なんだね(不勉強)。ピチカートで鳴らされるバイオリンの音をマイクで拾い、ミキサー上でエフェクターへと振り分け、そのエフェクターを操作して音を加工しつつ、加工されて返ってきた音をさらにミキサー上で混ぜて、その音をさらにエフェクターに送ったりしながら音楽を作っているみたい。リアルタイムのミキサー操作による曲作り。


■そして4曲目が終わる。5曲目となるMCでは、「電子音楽とスティールパンは僕の中で同じ。今日は僕のソウルを聴いて欲しい」とヤン富田。続いて6・7曲目として繰り出されるのは、2台のラジオ(リードラジオと2ndラジオって言うらしいよ!)でリアルタイムにFM放送を受信しながら、そこから流れる音楽に楽器が合わせていくという試み。チューニングを変え続けるラジオから、ノイズ混じりで偶然受信されたコマーシャルや音楽、会話やセリフが音楽を励起したり・しなかったりする時間が流れていく。

■ここで、彼が掲げる『必然性のある偶然』って言葉について考えはじめてみたい。いくつか彼のインタビューを読んできた記憶によると、彼が制作する音楽が輝きを持つのは、不思議な偶然を捕まえられた時なんだそうだ。何だかちょっとオカルトっぽく聴こえるけど、音楽以外にも何かが上手くいったとき、不思議な偶然としか言えない事件が積み重なってたりするのって、わりとみんな経験してることなんじゃないかな。少なくとも僕はそう理解している。

■ただ、ここで彼の試みが面白いのは、音楽制作の中で起こる偶然の存在をしっかり認めてしまって、今度はその偶然をいかに引き起こすか?いかに起こった偶然を取り込むか?って具合に、偶然に対して積極的になってるところなんだよね。偶然を素敵なミラクルだったね〜って見送っちゃうのではなく、その偶然を必然のものとして考えて対処していきましょう・捕獲していきましょうって方法。

■電子音とFMノイズだけが聴こえるちょっと抽象的な時間が過ぎて、突然ラジオからデビット・サンボーンのベタで心地良いフュージョンが流れる。息をふきかえしたみたいにラジオにリズムを合わせるドラム。ばったりとフュージョンは終わり、ノイズが流れ、今度は老人福祉を語る評論家にドラムが華をそえる。そして『10時です』ポーンと時報。その偶然に全ての楽器はなりやみ、800Hzのサイン音波だけが会場に響いてる。これは嬉しいよね。自然に笑みがこぼれるような、分かりやすいミラクルに立ち会えたことで、僕はその音楽と時間を素敵に感じてしまうなと思った。

■と、ここでFMラジオを使った試みが終わった。段落ごとにキレイに曲が終わるこの偶然が、何より僕のこの文章を支えてくれる気がする(けれどその偶然のミラクルさが恐らく伝わらないだろうなってところに、僕の試みの弱さがあるわけだけども)。

■流れる8曲目は『C-YA!』。今度はアナログテープレコーダーに録音された曲が流れる。曲自体は非常に素敵なダブ・ミュージックであり、ゆったりしたリズムと地を這うように低く鳴らされる柔らかなシンセ音に包まれる。そして高いところで鳴る乾いたシンセ音。ビュワンと上がるスィープ音。恐らくマルチトラックで録音されたものをリアルタイムでミックスしてると思うんだけど、この曲で一番面白いのは頭から11分目に起こるテープの高速逆回転の瞬間。この時僕ははじめて、この『C-YA!』という曲を高速に逆回転させたものが、先のアルバムに別曲として収録された『MEMORIES OF TAPE RECORDER』って曲だったことに気がついたんだ。

■逆回転させたり・再生スピードを変化させたりしても、エラーも出さず音が滑らかに変化するアナログレコーダー。音楽をデータ化して保存するデジタルレコーダーには無い現象。CDやMDの逆回転とか早送りって、カセットと違ってピキピキしてるでしょ。とはいえもちろん、これはデジタルを否定するレジスタンスでは無くて、曲名にもある通り・消えていくアナログレコーダーへのレクイエムみたいなものなんじゃないかな。格好いい言い方すると。

■そして9曲目にジョン・ケージの『4分33秒』をカバーするなんてジョークを聴かせたあとには、10曲目・『WHEN CHERRY BLOSSOMS ARE BLOWN IN THE WIND』が流れる。これはいわゆる普通のバンドスタイルで演奏されるジャズ。さっきのFMラジオやアナログシンセも参加してるっぽいけど、本当にスタンダードな、音楽っていいよなって単純に思えちゃう良い曲を演奏したりするんだよね。低く、高く、電子音も心地よい直球ど真ん中の「最後の曲」っぷりに、僕はこのCDと流してきた74分48秒って時間全体を振り返り、良かったなって思えたりしたのだった。

■‥‥‥とここで(本当にここで)CDが終わった。僕のこの長すぎる文章も終わりにしなきゃね。


■時間が流れる、という音楽の基本的な仕組み。そして偶然を捕まえようとする試み。音楽の性質を深く探求し、実験的でありながらでも非常にポップで楽しいヤン富田の仕掛けとアイデア溢れる中継音声を、そしてソウルを、ぜひみんなも聴いてみて吉だと先生は思います。楽しいよ。それではまた。


(c) 2000 Spinn Teramoto for mnemonic solutions
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