Cogito Ergo Sumとは




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 Cogito ergo sum.ラテン語である。世界史とかをやってた人にとっては馴染みのある言葉ではないか。そう。「近代哲学の父」と言われた17世紀のフランスの哲学者、ルネ・デカルト Rene Decartes の言葉である。

 cogitoとは日本語で「考える、思う」という意味の動詞の1人称形ergoは「つまり」という意味の副詞sumとは英語でいうbe動詞の1人称形。ラテン語は1人称の場合には主語を抜く、という性質があるので、訳すと有名な「我思う、ゆえに我あり」となる。

 「確実な知識を得るにはいったんすべての先入観や知識を疑う必要がある。しかし最後に確実に残るものは疑っている自分の存在である」ということである。つまりまだまだ自分は未完成なんだ、と知ることだ、ということ。デカルトは、「明晰判明なる知識は真理なり」と確信し、「不完全な自分を自覚せしめるものこそ、完全なる存在としての神である」との論法で神の存在証明をなしとげた。つまりは全然未完成な自分自身というものを自分の考えを述べることで再確認する、ということである。

 ここで、自分が何を思ってるのか、ということをつれづれなるままに書きたいと思う。当然のことながら、各方面からの批判が相次ぐものとは思うが、それをケアしてたら何も言えない。いつでも御意見をお待ちしています。それによって内容が変わるかどうかはまた別の話ですけれど。僕がそれで納得して、考え方が変われば改訂版を載せることでしょうが、それでも元の文は己の為にも消すつもりはありません。先にも述べたように、まだまだ未完成なんですから、その過程を大事に保存しておくことは僕にとっては大変意味のあることですから。




2000.04.07



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