特急かもめ戦後初めて山陽線から九州に乗り入れた特急が「かもめ」で、昭和28(1953)年3月15日から運転が始められました。 その当初は3等車としてスハ44系が、2等車としてスロ54が用いられていましたが、昭和32(1957)年6月以降、スハ44系から軽量客車に置き換えられ、スハ44,スハフ43がナハ11、ナハフ11に、スハニ35はオハニ36に置き換えられました。 このときの編成は、
の9輛編成になります。 その後、昭和34(1959)年にはマシ49がオシ17に、昭和35(1960)年にはスロ54がナロ10に、それぞれ置き換えられ、1号車のオハニ36を除いて軽量客車になりました。 「かもめ」の牽引機は当初は京都-下関間はC59(C62)、下関-門司間がEF10、門司-博多間がC57(C59)でした。 昭和33(1958)年4月の姫路電化以降、電化区間はEF58が牽引するようになりました。 「かもめ」のヘッドマークは牽引機を受け持つ梅小路、広島、下関の3区3様の特徴あるデザインが採用されていました。 また上り列車における瀬野八越えでは瀬野区のD52が補機として使用されましたが、このD52のテンダーにもユニークなテールマークが使用されていました。 この客車特急「かもめ」も昭和36(1961)年10月にキハ80(82)系気動車に置き換えとなり、同時に昼間客車特急も消滅しました。 今回、模型化に当たっては、上記の軽量客車に置き換え直後の編成としましたが、編成に変化を付けるため、レイル'81年秋号に書かれていた、2号車のスロ54をスロ50に置き換えた下のような編成としました。
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