孤高の人・・・02年3月31日(日)晴れ
孤高の人・・決して新田次郎の小説ではない。
3月27日、とあるエンジニアが定年を迎えた。私が入社し、その製品群を担当した時からそのエンジニアはいた。理論的に事象を正確に捉え冷静に分析し、その知識は多方面に精通していた。ただ、お世辞にも性格はよくなく、寄らば人を罵倒しナイフエッジのような繊細な神経の持ち主であった。私なんぞは失敗を繰り返すたび、ののしられ罵詈雑言を浴びせられていた。
今振り返ると失敗のたびに、カミナリが落ちた。でも、どこか人情臭く説教しながらでもマイルストーンを置き導いてくれたのは、誰あらん、そのエンジニアであった。怒られている時、恨みもした、こんちくしょうと思った事もあった、でも結果がついてきた。当時私は、自分一人でやった・・と勘違いしていた。それは大きな勘違いであり、全て関係者の協力なしでは達成し得なかった事である。
私は入社して17年が経過する。最近、つくづく仕事はスタンドプレイではなく、チームワークであるということに気付いてきた。私はこの事に気付くのが遅かったのかもしれないが、後輩達に体で持って残していこうと思う。

退社式の後、そのエンジニアを乗せたタクシーが発車した時、仕事というセクションを越え、関係者が並び『ありがとう、ございました!』 とお見送りをした。壮観であった。そのエンジニアの目から頬にかけて、つたわる光るものを私は見た。
5年後、いや10年後私は、どんなエンジニアになっているのであろうか? 彼ほどではないにしろ、こだわりを持ちつづけて行きたいと思う。
 

通信簿・・・02年3月25日(晴れ)
土曜日以来、私の体調が思わしくなく完全にダウンの状態。(>_<)

それはそうと、先週の金曜日に長女とゆうすけが通信簿を貰ってきた。二人ともよくがんばってくれて、本当にうれしい。長女は来年小4であるが、最近ではよく家のお手伝いもすすんでするようになった。
ゆうすけは、まだ体調が本調子ではないにしろ、反応がよくなってきたと先生方からコメントがあった。病気を発症してから早6年が経過しようとしている。発症した当時毎日がどん底で、直面している現実がなかなか受け入れられず、毎日泣いて過ごしていたのを思い出す。本当に色々なことがあった。しみじみの6年、感謝の6年・・・ゆうすけは今年、小学校2年生。

退院後の外来・・・02年3月21日(木)曇り後雨⇒晴れ?
なんとも、私の体の調子がおかしい・・朝はだるいし肩が凝って仕方が無い。一年を通じこんな日が何日か続くことがある。昔は(25〜6歳)の頃と比べるとずいぶんと体力が落ちたような気がする。あの頃は仕事が面白く、徹夜の連続でも一晩寝れば何とでもなったが、寄る年波・・・仕方がないか・・タメイキが出てしまう。
そんなこた、どーでもいいのだが、昨日はゆうすけの退院後の初の外来。
ゲリが依然として終息しなかったので、血液検査と相成ったが、結果はOK。各項目(CPK/CRP/GOT/TP・・etc)すべて及第点であった。若干Caの低下が観察されたが、入院中のそれと比較すると、数値が上がってきているのでOK。とりあえずは、ホッとする。我が家の元気印、ゆうすけのお姉ちゃんも久方ぶりに同行。しかもこのあいだ、ブランコから落ちておでこをすりむきガーゼを当てていたので、I先生が『昔、先生も・・・』と、診察室がニギヤカこの上ない。
ゆうすけのおしりの床ずれは徐々に直すしかないのだが、現在のゆうすけの状況から判断すると、全身状態が良いのでそんなに問題にはならないとのコメント。ゲリの方も血液検査の結果から徐々に改善されると思われる。
とにかく、安心!

体温:35.5℃〜37.2℃ 脈拍:60〜96 SpO2:100 尿量:285g(便込み、ニンジン色)

下痢、快復ならず・・・02年3月18日(月)雨のち晴れ
入院中から続いていた下痢であるが、このあいだ少し元に戻ったと思い、ニンジンをやめエンシュアを注入したところ元の木阿弥に。さらに我々の気を滅入らせたのが、おしりの部分にあった床ずれがひどくなっていた。なんだか、ゆうすけの回復力が落ちてきているような気がしないでもない。
私は、カゼは順調に快復し体調は、言うことなし。しかしこのところまた仕事で忙しさがブリ返してきたのと、時期が時期の確定申告とか、長女がブランコから落ちておでこを擦りむき通院・・昨日は昨日でPCがダウンしHDDの交換とシステム再構築でほとんど徹夜する等、神経が休まるヒマがない。今の時間を確認すると日付が変わり3月19日の午前2:00・・・。

昨日、私の好きな神戸出身のジャズ・ピアニスト『綾戸 智絵』の新しいCDを購入した。原信夫と#&♭とのジョイントコンサートでの収録盤である。この人は咽喉ガンであるのだが、その小さく細い体から他を圧倒する声量と、喉にポリープができているとは思えないほどのダイナミックなレンジの発声音域・・・人を惹き付けるパワー。聞いていて鳥肌(関西では『さぶイボ』)が立ってくる。4年前のデヴュー当時から聞いてはいるが、落ち込んだ時この人のゴスペルを聞くと、『気合いれなアカン!』と思えてしまうから不思議である。恐ろしくパワーをもったオバハンである。明日から気合一発仕切りなおし。

今日、ゆうすけの洗髪を部屋でする(大人用の介護オムツを敷いて・・)。ほぼ一ヶ月ぶり。髪の毛がサラサラになった。
体温:35.8℃〜36.2℃ 脈拍:56〜68 SpO2:100 尿量:265g(便込み⇒粘液状)
今日のゆうすけのBGM♪:もちろん 綾戸智絵

父、崩壊す!・・・02年3月12日(火)(晴れ)
3月9日(土)1ヶ月ぶりにゆうすけが退院となった。多少の消化不良が懸念事項となったが、なんとか在宅で過ごせる射程距離内まで追い込んだので、思い切って退院を決断した。ところが・・・ところがである、家に帰ってからというもの私の調子が狂い始めた。腰のあたりが痛くなり、次いでどうしようもなくだるくなった。この日は妻に『寝る!』と言ったまま、あえなくダウン。次の日の日曜日もアタマが痛く、フシブシが痛い。昼からゴロリと横になり、食欲も無く、月曜日は仕事を休み、一日中寝ていた。医者に行くとカゼとのこと、インフルエンザでなくてよかった。
ゆうすけは、ニンジンがよく効いており消化不良も改善の兆候。低体温も解消。さすがに春だね。

体温:35.9℃〜37.0℃ 脈拍:63〜69 SpO2:99 尿量:304g(便込み)

かぜ、カゼ 風邪・・・02年3月6日(雨/曇り)
もう、だめだ。おばあちゃんちに預けている次男が昨夜、40℃に迫らんとする勢いで発熱。急遽会社を休み、病院へと直行する。
完全に我が家は、壊滅状態。藤圭子じゃないけれど、どうすりゃいいのか?このワタシ〜・・冗談じゃねぇ・・
病院に直行後、妻と交代し妻は次男を、私はゆうすけを・・次男は血液検査と点滴をして血液検査の結果、CRP=1.3だったのとインフエンザは陰性だったので一安心。
ゆうすけは、今日初めて消化不良ではない便が出た。看護婦さんと喜ぶ。また、2月14日に骨折した左足がくっつきシーネが取れた。退院が近いぞ。でも今度はとうちゃんが倒れる寸前・・・どっかにツッカイ棒ないかな?(T_T)

カゼ PartU・・・02年3月5日(火)雨
我が家でカゼが蔓延している。次男に続き長女までセキと発熱で、4日ほど学校をお休み。私は意外と頑丈にできているのか、家族が順番にひいてしまってカゼ自体が下火になりかけた頃に、私の体の中で核反応を起こすように臨界点を越えMelt downする。はっきりいってタチが悪い。

仕事を19:00頃に切り上げ、雨の中を病院へと車を走らせる。消化不良状態を打破するため、日曜日から別の整腸剤を使用しているが、それでもゆうすけのお腹は動く気配もない。ゆうすけにとっても、我々にとっても辛い状態だが、もう少し、もう少し・・と希望を明日につなぐ。おでこに手をやると、わずかにまぶたを動かしてくれて返事をしてくれる。うっかりすると見落としてしまいそうなかすかな反応であるが、今はそれがうれしい。

カゼ・・・3月3日(日)快晴
朝9:00に起床。次男を預けている実家からTEL、どうも次男がカゼをひいたらしい。家の中の片づけをして、長女と慌しくトーストをほおばり、長女を積んで実家へと向かう。本当は午前中に片付けたかった仕事があったのだが、そんなことは言ってられない。
地域の救急センターに連絡をとり次男をクルマに放り込み、クルマを飛ばす。20分後に到着したが、この季節急患でごった返す。ヤキモキしながら順番を待ち診察、そのとき既に発熱は38℃Over、さすがの頑健な次男もグッタリ・・・
薬を処方してもらい、実家へと向い次男を降ろし、その足でゆうすけの元へ。
15:00を過ぎていたが、妻と付き添いを交代し次男の様子を伝える。朝からナーバスになっていたので、妻からたしなめられる。
でもゆうすけのそばにいると、とても落ち着きを取り戻せるので、不思議である。
やがて妻が帰還し付き添い交代、家路につく。家に帰ると、やりかけの仕事が私を待っている。今日は何時に寝れるかな?
それにしても今日は、めまぐるしかったな・・・あれ?今日はひな祭りじゃなかったっけ?

夢・・・3月2日(土)曇り
何か鳴っている・・なんだろう?・・・この音はなんだっけ? 
だんだん大きくなってきた・・・目覚ましだっけ?・・いいや違う・・・え〜っとこの音は・・・?
大変だモニターのアラームだっ! いつから鳴っている?
・・・私は覚醒した。ここは病院。昨夜から妻と交代で泊まっているんだっけ・・モニターの音は、夢であった。
すぐさま、ゆうすけを見やる。サチュレーション、脈拍ともに正常、知らん顔で、顔元は穏やかである。
夢でよかった・・・と、ホッと胸をなでおろす。気がつくと、私は寝汗でびっしょりであった。
最近、こういう夢を見るようになった。なんだか強迫観念にとらわれているような・・追い詰められている夢である。
逆の夢もある。この正月に、見た夢もそうである。

私は、キャッチボールをしていた。額には汗が滲み出している。グローブをはめている左手が痛いくらいの返球である。
もう私の肩が上がらないくらい、投げつづけている。どのくらい投げているんだろう?相手は誰だろう?・・・まぶしい夏の光が逆光となってよく見えない。帽子をかぶっている・・・誰だろう?
『おとうちゃん・・・』・・・何か言っている。とても懐かしいトーン・・・誰だ?もう一度言ってくれ。
ノイズに埋もれそうになる声に、耳を澄ます。
『・・・おとうちゃん、へたくそやなぁ・・僕の方がうまいで。○○(次男の名前)が笑うてるで!』
逆光の中の声の主に、全神経を集中させた。顔元がみえた!
ゆうすけ?おまえか?立てるんか?歩けるんか?
私と肩を並べるくらいに成長し、でも顔は子供のままでにっこり笑っているゆうすけがそこに立っていた。
走って、そばに行こうとした時、夢から覚めた・・・。思わず泣けた

私は、正夢であると信じている。フロイトはどういう分析をするであろうか?

今日のゆうすけは、脈拍も落ち着き肺の音もクリアになってきている。ただ、便状態は相変わらずの消化不良であるが・・