梅雨再来?・・・02年6月30日(日) 雨 このあいだから天気が悪いのと、仕事の〆が間に合わないのでケツに火がつき昼休みのジョギングが出来ないでいる。 と、同時にこの季節ユーウツなのが『白癬菌』である。ひらたく言うと水虫である。永年連れ添っているが、手ごわい相手である。そんじょそこらの水虫でない、根性が据わっておりこの季節になると、活動を開始する。 そんなこたどーでもいーのだが、最近天気がおかしい。今日で6月が終わるが子供の頃7月といえば、太陽の高度が増し透き通るような青空の夏大好き少年であった私は、学校のプールが待ち遠しいものであった。やっぱり、地球温暖化が進行しているのであろうか?雨が降ればジョギングも出来ないし、ゆうすけのお出かけも出来ない。ゆうすけはサッカーも終わって、野球中継も少なく機嫌がメチャクチャに悪い(ケイレンが続く)。早く、天気になって欲しいものである。 体温:35.6℃〜36.8℃ SpO2:99〜100 脈拍:75〜94 尿量:300g |
勉強会&出張・・・02年6月27日(木) 快晴 先週の土曜日(22日)日医大で勉強会があった。私は、この患者会に入ったきっかけは、ゆうすけの発症当時(1996年)、不安で不安で堪らず、また乳幼児において発症例がない、この病気の患者さんが果たして日本中にいるのだろうか?いるなら連絡をとりあいたい、生活を聞いてみたい、ワラにもすがる思いで、入会したのを思い出す。 今でこそ、ネットの発達により検索が容易であるが、その当時全くと言っていいほど情報がなく、毎日奈落のそこで泣いて暮らしていた。入会して悩みを聞いてもらったり励まされたりして、私にとって、いや家族にとって患者会はなくてはならないものになった。なにより、仲間がいる。私にとってこれほど心強いものはない。今年も勉強会にはたくさんの家族が集まり、盛況に終わった。 でもでも、次の日からの横浜出張はほんまキツかった・・・一旦自宅に戻らなアカンし、ほとんど勉強会と同じ場所やんケ・・・ 世話人の皆様、ボランティアの皆様・・本当にご苦労様でした。来年からは反省会にも参加しますね。 |
父の日・・02年6月16日(日) 快晴 13日(木)から14日(金)にかけて仕事で徹夜・・なんとしててでも分析しなければいけない業務が入り、実験室に引きこもり都合4人で分析を開始する。分析といえば聞こえはいいが、どこの世界でもあるような泥臭い泥臭い作業である。16時間ものあいだ、立ちっ放しで解析作業にあたる。前の晩2時間しか睡眠をとっていないので、さすがにこたえる。14日は16時頃に帰宅するが、そのまま横になると、食事もとらずに泥のように眠リ続けた。目が覚めると15日のお昼過ぎ・・・。まだ体がだるく血尿が出た。その間ゆうすけは、妻と添い寝。私とだったらP−Oモニターをピコピコ鳴らすのであるが、アラ不思議、妻曰く『全然、鳴らんかったよ・・』 全くの優等生のゆうすけ・・これは、ゆうすけの差別か?でも考えてみりゃそうかもしれない。私もガキの頃はオヤジと寝るのは、イヤなもんだった。 そういえば、16日は資格試験だっけ・・モーローとしたアタマで思い出したように参考書を開くが集中力はどこへやら・・憶えなければいけない化学式や薬品名、法令を眼でなぞっているだけで、全然アタマに入ってこない。 試験当日の今日(16日)は、いつもどうりに起床し出発する。落ちると分かっていても、受験料がモッタイナイのでダメもとでの勝負。(バクチじゃ、ないんだけどね・・f(^_^;)) まっ結果は追って沙汰がくるであろう。 試験終了後、本屋に立ち寄り好きな天文の本をあさるが、高価なのとビンボーなのとで立ち読みで終わらせ家路につく。 家に帰ってから夕食の時、長女(小四)が、『お父さん、これ・・・今日、父の日だから・・』と言って、渡してくれたものがあった。お手伝いやお使いなどで貰った、お小遣いを貯めて買ってくれたビールが2本・・、私の好きなビールが2本、値札があったが、そんなことはどうでもいい。長女の気持ちが嬉しかった。疲れなんぞは吹っ飛びナミダがチョチョ切れそうになった。私はこのビールを、いつまでもいつまでも飲まずに取っておこうと思う。 (次の試験は8月25日、今日から準備に入る。) 体温:36.2℃〜36.9℃ SpO2:99〜100 脈拍:95〜105 尿量:205g(摘便35g:ゆるい) |
体脂肪率・・02年6月11日(曇り後雨) 台風が接近しているとのことで、蒸し暑い。通勤途上のたんぼは、いつの間にやら田植えが終わっており、これからはこの稲穂の背の高さを毎日見やるたびに、季節感を感じる事ができるようになった。 ところで、この三日間というものろくに睡眠が取れていない。昨日は帰宅したのが午前2時前、それから仕事の続きをやって就寝しようとしたのが午前4時半、午前6時にゆうすけのアラームにタタキ起こされ気管吸引。それから出勤。この三日で何時間睡眠がとれたのであろうか?・・・仕事でのトラブルが多すぎる。 話は変わるが・・この前の日曜日、妻が父の日のプレゼントということで、『体脂肪計付体重計』を買ってきてくれた。かくいう私は毎年の『母の日』には、これといって何もしてやれないのだが・・・妻に感謝である。 最近ジョギングの効果か、体重もグンと減り体も軽いので、早速乗ってみる。 乗ってビックリ・・・あえて数字は書かないが体脂肪率は、『おデブちゃん』の領域を示していた。総じてこういう類の測定機器は『誤差』があるのだが、その『誤差』をどんなに贔屓目にみても、『おデブちゃん』に変わりはなかった。とてもショックであった。 あぁ・・今日は、もう寝よう。明日(6/12)はゆうすけの外来で会社をオヤスミ・・・ 体温:35.7℃〜37.0℃ SpO2:98〜100 脈拍:87〜114 尿量:215g(摘便30g) |
ベンキョー?・・・02年6月9日(日) 快晴 昨日はゆうすけの養護学校で、こともあろうに私が講師となり2時間に及ぶ講演会・・病気の事、在宅の事、これからの事、患者会のこと・・・あれやこれやと思いつくままにシャベリ倒した。聞かされている方は、たまらなかったと思うが・・・ただ、ひとつ気になったのが、出席されている先生方が、在宅訪問の先生が多く、一般の先生はごくごく少数にとどまっていたというのが残念であった。講演会が始まる前にゆうすけの担任の先生に、『この学校の教員数は何人ですか?』と問うたのはそういった私の伏線があり、どれだけの先生が、呼吸器を装着しての超重度障害児の在宅生活に興味があるのか?また踏み込んでこれるのか?私自身非常に興味があった。(私はそういうところは、ズルイ方である。イヤなヤツである。数少ないヘンコツなトモダチにもよく言われる) その先生は、私の伏線に気付いたかどうか定かではではないが・・・。正直に言わせてもらうと、講演するにしても資料を揃えることは、今の私にとっては少ない睡眠時間(平均3〜4時間)を更に削っての事、資料としては充分ではないが、決して手を抜いたつもりはなく、はっきり申し上げて、せめて養護学校の教員ならもう少し視野を広げて興味を持って欲しい。もっと辛辣にいえば、この程度なのね?っていうところか。講演をしながら、自分自身、話すトーンが落ちていくのに気付く自分がいた。 すんだこたぁ、どうでもいいのだが、今日はピーカン、家のエアコンがもうだめで、近所の電気屋さんに新品をあさりに行く。量販店ではあるが、めざとくイイのを見つけると、気の弱そうな店員を呼びつけ早速落としにかかる。 結局最後は『なぁ にいちゃん、なんぼベンキョーしてくれるん?』と、一押し。その間約一時間。両者折り合いがつき、家路につく。前述の、講演会ではないが『人間一生、ベンキョー』である。 体温:35.8℃〜36.7℃ SpO2:98〜100 脈拍:96〜102 尿量:190g(摘便20g) |
紙ひこうき・・・02年6月6日快晴 私の趣味の中のひとつに『紙ひこうき』がある。 断っておくが、『紙ひこうき』といっても、紙をパタパタ折ってハイでき上がりという、そんじょそこらの紙飛行機ではなく、ちゃんと主翼面積やら機体長、重心バランス等を計算し、ケント紙(233g/m2)を用い、制作期間は2〜3週間という非常に手の込んだ一品である。ここ3年ほど休止状態であったが、こないだオトモダチにあげた一機(97年製No12号機)の調整飛行を行った。 ついでに、家の中に転がっていた試作機が4機あったので(96年〜97年製)、長女と次男とで河川敷に出向く。 河川敷には、テニスやらBBQをやっている家族連れが多くみかけられ、風も強くもなく弱くなく絶好のフライト日和。 まずは、歪の出た機体を飛ばす。カタパルトから離脱した瞬間に地面に激突。次男はすっかり飛んでるものと思い、空を見上げたまま・・。長女は『飛ばへんやん・・・』と一言。気を取り直し機体を修正し再度トライ・・・やはり地面に激突。 周りから、なんだか失笑が聴こえる。おかまいなしに、今度は違う機体を調整し、テイクオフ・・・キリモミ状態で失速。しかも主翼がもげた。 またもや、失笑が聴こえる。気がつくと周りにいる家族連れの視線が私に注がれていた。 3機目を取り出し、重心バランス、ねじれを調整しテイクオフ。 すると、らせん上昇をし、ピークに達すると同時にクルリと機体を反転させ、滑空しだした。 上昇高度は、約20m、それからの水平滑空であるため、ランディングまでは100mに達した。滞空時間はそんなにたいしたことは無かったのだが、周りの家族連れから『おぉ〜』とどよめきが挙がった。 長女も『すごい〜♪』と同時に、機体回収に走り出す。父親の面目躍如の日であった。 |