第12回みかた残酷マラソン・・・04年6月13日(日) 大快晴!
いよいよレース当日、すでに明け方の4時過ぎに目が覚めていた私は、『少しでも寝なくては!』と思いながらも、うつらうつらしていた。
窓の外はもう、夜明けで朝日が差し込んでいる。
6時過ぎ長女が起き、次男が妻がめを覚ましたので、家族でゾロゾロと階下の食堂に下りていく。
昨夜の夕食のボリュームもすごかったが、『塩サバ』『牛乳』『魚のフライ』『ゆで卵』『スイカ』と朝食もたいしたものである。
これだけボリューム満点で一泊二食、6000円/人である。『残酷マラソン』であるがゆえの料金設定であろうが、安くとても充実していると思う。

準備を整え7時40分宿をあとにする。
レースウェアにはゆうすけの写真を縫い付けた。今回は、どうしても標高858mからの風景をゆうすけに見せたくて、写真を胸に縫いつけた。私の励みににもなるであろうし、どうしてもゆうすけと一緒に走りたい。ゆうすけには迷惑かも知らないが、きっと応援してくれているだろうと思っている。

会場まで歩いても15分程度あるが、レース後のことを考え、車で移動する。(きっとヘロヘロだろうから)

間もなく会場入りし、ストレッチや用足しに余念がない。
昨日までの天気とは打って変わって大快晴!普段なら手放しで喜ぶのであるが、今日のこの日は『ちょっと待てよ、堪忍してくれ〜』・・・次第に太陽が高度を上げていき、強烈な紫外線がランナーをいたぶっていく。本当に最後まで走りきれるのであろうか?期待と不安を胸に、スタートラインに並ぶ。

9時にスタートであるが、とにかく人・人・人である。なんで、こんなしんどいレースに毎年1000人以上の人が集まるんだろう?本当に、不思議に思う。
やがて、高石ともやさん司会で抽選会があり『ホノルル・マラソン』の当選者が発表された。当たり前であるが、私は外れた。(笑)
そしていよいよ、10秒前のカウントダウン!緊張の一瞬である。1000人を越すランナーで沿道が埋め尽くされている。圧巻であり、そして感動的でもある。
中には、仮装ランナーもおり(きっと実力ランナーなんだろうな)、本当にお祭り気分だ。

『3、2、1、スタート』
号砲一発、1000人超のランナーがいっせいに動き出す。長蛇の列である。
私は、まんなかくらいに位置していたが、スタート後もボチボチ歩き出す程度で、スタートラインを超えるのに、約40秒を要した。

沿道にも、応援の人・人・人、これでもか!というくらいの人・人・人。
『がんばって〜』『ゴールで待ってるからな〜』泊まった民宿の人が、宿泊者の名前とナンバーを書いたプラカードを持って応援してくれている。本当にほのぼのとする、心が温まる大会でもある。
かくして『第12回残酷マラソン』が始まった。

スタート直後から緩やかな下りである。気持ちよくさえもある。しかし高度を上げた太陽がジリジリと暑い。 最初の1kmはセーブして約6分00秒でラップ、3kmを17分50秒、長丁場を考えるとまずまずのラップである。  そして、間もなくコースはいきなり山岳コースのそれににさしかかり、いよいよ残酷マラソンがキバをむいてきた。

いきなりのカベの出現に、とたんに歩き出すランナーが続出、ランナーの顔からは戦意が消失している。
私も、身体中から汗という汗が噴出す、暑いというか熱いと表現した方が当てはまるだろうか?
とにかく、気持ちが切れると負けである。今回の私の目標は、3時間を切ることと、ノンストップ、即ち給水やエイドステーション以外は歩かないことである。

しかし、時間の経過とともに、戦意が薄れていき参加したことに後悔をしてきた。
『なんで、走ってるンやろ??』 自問自答を繰り返す。

何人かのランナーを抜いていくが、後ろからも無限とも思えるランナーの息遣いを感じる。
とにかく、リズムが大切である。気がつくとなぜか『ウルトラマン』の唄を口ずさんでいた。(胸ぇ〜につけぇてるぅ、マークは流星〜♪)走り始めて、35分が経過、最初のエイドステーション(全部で7箇所)が見えてきた。とにかく脱水を防ぐ為、水を2杯のみボトルポーチにも水を補給してもらった。
すると、多少なりとも元気がでてきた。足が軽くなるがまだまだ、のぼりが続く。
登るにつれ、歩き出すランナーが更に増えていた。私も、右股関節が痛くなってきたが、それでも容赦なくのぼりが続く。
口ずさむ、唄が変わった。柴田なんとかの『白ページの中に』のサビのフレーズで『な〜がい、ながぁい、さかみちを〜、いまぁ〜のぼっていくぅ〜う〜』・・・このフレーズをアホのひとつ憶えのように、繰り返す。こうでもしないと気が紛れない。
私の前を行くランナーがしゃがみこんでしまった。眼がウツロである、一応声をかけた。こんな時、『がんばってください』は禁物である、『ボチボチ行きましょう。』 やがて、スタッフが駆けつけてきたので安心する。
先を急ぐ、気がつくと2回目のエイドステーションである。ありがたいことに給食にバナナがあった。思わず1本頬張った。水もたくさん給水する。軽く屈伸して再出発、一時であろうが、足が軽くなった気がした。それでも右股関節が痛いが。

さらに脚を進める。自分が進んでいる距離もわからなくなり、11km過ぎだったか、一瞬くだりがあったすでにピークは越えたのか?と思ったのもつかの間、視界が開けた前方の斜面になにやら、アリンコが張り付くように、小さく小さく人の行列・・・良く見るとランナーであった。
愕然とした。心のどこかで残酷マラソンを甘くみていたのかもしれない。もう右足が限界に近く、ヒザ関節までもが痛くなっていた。
ランナーの殆どが歩いている。それでも私は歩かない。私をペースメーカーにしている方が話し掛けてきた。
40代の滋賀県の方で今年で5回目の参加らしいのだが、今年はいつになくキツクやはり天気が問題であるとのこと。
やがて、胸のゆうすけの写真に気がついた。『下で待っているんですか?』との質問に、『いや、天国で私に思い切りムチを入れているはずです。』とコメント。『天国でムチを?それは親孝行な息子さんですね』、『全くで』と私。二人とも思考回路が壊れかけている。

やがて、最高に視界が広がってきた。絶景の景色である、本当に気持ちがいい、心が洗われる一瞬である。アタマからボトルポーチの水をかぶる。ゆうすけにもかかったが、まぁ許してくれるであろう。
ゆうすけにも風景が良く見えるように、少しペースダウンをする。しばらくすると、『最高地点858m』の看板が見えてきた。やっとピークである。
ここからいきなりくだりである。下りは得意なほうであるが、もう既に右足股関節、ヒザ関節が限界を越えていた。一歩を踏み出すたびに激痛が走る。それでも歩かない、意地でも歩かない、ゆうすけに誓ったのだ、絶対に歩かない。

ビッコをひきながら、ダウンヒル、10km以上のものダウンヒルである。身体にいいことは絶対ない。
後ろからどんどん抜かされる。何人に抜かされたのか、わからないくらいである。しかも皆スピードが速い。
激痛に耐えながら、どんどん下る。すると人間はうまく出来ているもので、下るうちに痛みが引いてきた。というより、マヒしてきた言った方が正確か?残り6km、5kmと距離を重ねていく、やがて私を抜いていったランナーたちが歩いていた。ここで一気に抜いていった。50人は抜いて行っただろうか?気がつくと右膝関節がブラブラになっていた。痛みもない。完全に壊れたのを自覚した。残り3km、ラストスパートを賭けた。徐々に前のランナーとの距離を詰めていく。やがて、美方町内に到着、コースを左に曲がり、フラットコースになった。いきなりガツンとヒザに衝撃が戻ってきた。本当に残酷である。

ええい、ままよとそれでもスパート、5人を抜き、さらに8人を抜いた。ひとり私に食い下がってきた方がいたが、負けてたまるかいと、ちぎっていく。さらにスピードをあげ、ゴール直前のグラウンドの手前でも、さらに3人を抜き返し、そのままゴール。
手元の時計で、2時間40分くらいだったと記憶している。

ゴールするなり、長女が寄ってきてねぎらってくれた。そして、目標であった3時間を切る事と、決して歩かなかったこと、天国のゆうすけに約束を守れた事を神に感謝した。

ゴール直後から、じわじわと満ち足りてくるこの充足感、高石ともやさんの『走る友よ〜』と心にも訴えかけるような、唄がさらに心を癒してくれる。
残酷マラソン・・・走ったものしかわからないこの満足感、毎年リピーターが増えている理由がわかったような気がした。

来年も、出るぞ。


残酷マラソン(前夜)・・・04年6月12(土) 雨
7時00分過ぎに目が覚める。外は台風の影響でどんよりと曇っている。天気予報では回復の兆し・・とか言っていたが。
朝食を適当に頬張り、仕事に向かう。休日出勤は、普段できないメールのチェックやら、溜まっている書類の手続きやらで大忙しであるが、会議や電話でじゃまされる事が全くないため、とてもはかどる。
『残酷マラソン』をいよいよ明日に控え、なんだか落ち着かない。なんとか午前中で仕事が片付いたので、急いで帰宅する。
昼食後は、大会開催地の美方町まで家族で大移動である。

昼食が済んでクルマに荷物を詰め込みながら、一体どんなコースなんだろう?と想像しようとするが、恐怖感とレースを楽しむ気持ちが入り混じり、なんだかとても複雑で気分でさえある。
私の元上長の『日本三大苗字』さんより、
『残酷は24kmで高低差700mのコース設定。マラソンというより山岳レースに近く、本当に辛くキビシイけれど、沿道の声援や手作りのエイドステーション、人の温かみが感じられゴールした充足感がたまらん。きっと病みつきになるよ。』
と、薦められてはいたものの、走力に自信がなかったので今年が初のエントリーである。

14時30分、いよいよ現地に向け自宅を出発した。
自宅から『姫路バイパス』にのり、『姫路東』から播但ハイウェイを経由し『和田山・IC』で下車、国道9号線をひたすら北上する。若いとき通いに通った『ハチ〜ハチ北』スキー場を横目に更に北上を続け、県道482号線に入る、所要時間約2時間30分、ようやく美方町である。

今日、お世話になる宿は、『美方パレス』さんで会場から2番目に近い宿である。
荷物を部屋に入れ、私は早速、明日の会場の下見と受け付けをしに行く。
おじろドームで『高石ともや』さんの前夜祭コンサートもあるので、興味津々である。
受け付け会場はおじろ小学校、ちいさな学校であるが、木造作りのしゃれたデザインである。受付を済ませ、ナンバーカードに氏名を書き込む。
とにかく地元上げての一大イベントである。地元のおじさんやおばさん、小学生や中学生までもが手伝っている。
そういえば、ハガキで申し込みをしたとき、送られてきた案内状に地元中学生からの応援メッセージが同封されていた。なんだか、ほのぼのとした気持ちになる。

雨が気になりだしたので、高石ともやさんが前夜祭をやっている『おじろドーム』へと急ぐ。
すでに会場は、満杯であったが、隅っこの方に腰を下ろして聞き入る。トライアスロン(彼自身アスリートである)のことや、唄の事、この町のこと、を巧みに織り交ぜながら、聴衆を引き込んでいく。

気がつくと、18時過ぎ、妻から『ゴハン!』と電話が入り、会場をあとにする。(全く無粋な電話である。)
宿につき食事に行くが、なんともボリュームがスゴイ。多分、選手の栄養を気遣っての事だろうが、『但馬牛の鍋焼き』『からあげ』『さしみ』『魚の煮付け』『出石そば』『茶碗蒸し』・・・と量だけではなく、味付けも素晴らしい。
子供達も、大満足である。また、ささやかであるが、ビール一本を妻と二人で半分コした。明日の完走を祈念して。

さぁ、明日はいよいよ本番だ、どうやら天気は快晴、きついレースになりそうだ。
早く寝るとしよう。(21時に就寝)

残酷マラソン・・・04年6月11日(金) 雨
台風の影響で雨であるが、6月13日(日)は『みかた残酷マラソン』である。
ゆうすけと一緒に走るつもり、とにかく無事完走が目標である。

たたらぎダム湖マラソン・・・04年6月6日(日)雨 
今日は、第19回たたらぎダム湖マラソンの日。朝5時半過ぎに起床、ネボケまなこで準備を始める。二階からブツブツ言いながら妻と長女が降りて来た。(朝が早いので・・)
大体の準備は、昨夜のうちにしていたのであるが、昨夜は遅くに就寝した私も半分寝ながら朝食を済ませ、自宅を出発したのが6時40分過ぎ。
会場まで、クルマで約1時間の距離。場所は兵庫県の朝来町である。山奥であるため空気がすがすがしい。
去年も雨だったので、行く道中、よこなぐりの雨の中、車中で『この中に、雨女がいる!』と言おうとしたが、フクロ叩きにあいそうになったので言及はやめた。(そう、私が雨男です)
今年は2回目の参加なので要領は得ており、現地着と同時に私は受け付けへ、妻と長女は連絡バスに乗ってレース会場へと急ぐ。
今年もあいにくの雨であるが、これも一期一会、いいじゃないか、雨でも雪でも。

みのり館の一画に陣取り、スタートまでの時間を過ごす。さきほどまでの雨が止んで来た。雨はやむのはいいのだが、とにかく蒸し暑く、不快指数は高く、コンディションは最悪である。まだ、雨が降ってくれている方がいい。
そんなこんなで、10:30にコールされ、10:50にスタートした。去年走っているので、コースは一応憶えている。スタート直後の標高差90mのカベが約1km続くので、なるべくセーブしながら、脚を進める。

案の定、カベにさしかかると、私がいる集団のペースが落ち出しなかには歩き出す人すらいる。
とにかく暑い、じっとしているだけでも、汗が滴り落ちるほどの湿度の高さである。こんな中、走っているほうがおかしい。それでもなんとかカベを登りきり、1kmのラップをみると5分36秒であった。登りを考慮すると、こんなものか?
登ったら今度は下り勾配である。5kmまでは小刻みにアップダウンが続き結構キツクなってくるのであるが、あくまでもマイペースを保つ。

3kmまで来ると、多少余裕が出てきたので、周囲の景色を見やる。
なるほど、ダム湖の水面は、雨が少ないのか?水面がかなり下がっていた。それにしても風がない。体温がどんどん上昇していくのがわかる。給水ポイント(2km/4km)で水をとりアタマからかぶったが、それでも追いつかない。ホウホウの態で折り返しをクリアした。(26分36秒)

すると今度は、往路の下りが登りに一変する。
キツイなぁと思いつつ、ガマンしながら前方のランナーをペースメーカーにする。とにかく、ラスト1kmが強烈な下りなので、そこまで体力を温存する必要がある。マラソンは、登りより下りの方が実は、身体へのダメージが大きいのである。
前方のランナーに着かず離れず、呼吸を整えて最後の勝負に出る。
ラスト2kmで思い切りスパートをかける。一気にランナーを抜いていく。10人くらい抜いただろうか?もうすぐ下りであるが、後方からも激しい息遣いと足音が迫ってくる、まさしく逃げるようにやっとの思いで頂上をクリア、ここからはジェットコースターよろしく、ゴールまで一気にダウンヒルである。

どんどん加速していく・・・と、いうか 意思に反し勝手に足が伸びていく
ストライドは伸びきり、太ももの筋肉がプルンプルン揺れる。呼吸をするのさえもしんどい。あらゆる筋肉が、悲鳴をあげが、おかまいなしである。なんてたって、もう制御が効かないのだ・・・あとはゴールするまで休息はゆるされない。
もうこれ以上は・・・と心臓がバクバクする、何人かに抜かれたがそれでも何人かを抜き返した。
こうなりゃ、意地である。
ギリギリまで追い込んで、ゴールした、50分49秒で自己ベストをマークした。
しんどいけれど、この達成感がたまらない。来年はハーフで出ようっと!

会場は、出店も多く家族連れが多い。晴れていれば、もっと盛況なんだろうな。
そうだ今度は、ゆうすけの写真を、残酷マラソンの時一緒に持って走ろう。