ゆうすけの命日・・・05年1月26日(水)  晴れ
何と言う、慌しさ!今日はゆうすけの命日、今ごろは天国の仲間と一緒に遊んでいるんだろうか?・・・・と考えるヒマもなく忙しい。
というのも、年末からの品質問題の影響で、今日も資料作り、サンプル確認、打ち合わせ、電話対応、メールの山etc、etc・・・とにかく、落ち着くヒマがない。
データの確認やまとめで、気がつくと18時30分過ぎ・・・今日は定時日ではなかったか?もちろん事務所には、ぽつねんと私だけ・・・。こんな日はとっとと帰る。

帰宅すると、晩御飯はニギリズシであった。(もちろんクルクルズシではあるが・・・(^_^;))
命日にニギリズシ・・というのもおかしなものであるが、生前ゆうすけがスシが大好きだったので、ニギリにしたとのこと。
そういえばゆうすけはグルメであった。
たとえばスシならば、上トロ、蒸しアナゴのネタだけ、ウナギの蒲焼(一番柔らかいところ) メロンは一番上の甘い部分、魚はカレイといった具合に、味もわかっていたようで、これら以外はゆうすけが口を開けなかった。
柔らかくておいしい部分をゆうすけに、シャリやゆうすけの食べ残しは私や妻が食べていた。
かなりお金がかかったように記憶しているが、せめて口から食べられるのであれば・・・と、惜しくはなかった。
ほどなくマーゲンで、エンシュアの栄養補給を100%依存しなければならなくなったが。

・・・仏前には、親類やお友達から戴いた、ゆうすけの好物がいっぱいである。
さぞかし、ゆうすけも食べるのに苦労している事であろう。

ゆうすけが天国で消化不良になってはイカンので、父も手伝うことにしよう!


三回忌・・・05年1月23日(日)  曇り(一日中)
ちょっと早いけど、昨日はゆうすけの三回忌、朝早くから親戚が集まる。
読経が行なわれる中、私は2年前の1月26日を思い出していた。
いずれ書き残すことになると思うが、いまだ昨日のことのように鮮明に思い出す。

ゆうすけは本当に幸せだったのか?自問するが、私自身に答えは出せない。
でも、長期入院中の外泊で家に帰ったとき、ゆうすけの嬉しそうな顔と長女のはしゃぐ声が忘れられない。
それが私の心の支えでもある。ゆうすけがこの世に生きた証でもある。

そろそろ、なまった身体にムチを入れるとするか?

震災10年・・・05年1月17日(月) 晴れ後曇り(冷え込みそこそこ)
今日は、1.17 言わずと知れた『阪神淡路大震災』の10年目である。
あれから早いもので、10年が経つ・・・。

当時、私は入社10年目のステップアップ休暇中で、出社しようとしていた日だった。
5時半くらいに、目が覚めたものの近所の犬達が吠えまくっていたので、『おかしいな?』と思っていた途端、東の方向から『ゴォ〜』と地鳴りがして、いきなり揺れ出したからたまったものではない。

当時の記憶を、鮮明にいまでも思い出すことができる。
一階の居間に私が、となりの部屋に妻と長女が寝ており、2階には、たまたま実家を増築していたので、遊びに来ていた私の母と長男のゆうすけ(9ヶ月)が一緒に寝ていた。
地震とともに跳ね起き、隣の部屋に寝ていた妻と長女(2歳)の上に覆いかぶさった。というのも、タンスが直近にあったため、長女をかばった行動であった。(結局倒れなかったのであるが・・・)横揺れが約30秒続いた。

揺れがおさまってから、すぐにTVと無線機のスイッチを入れて様子をみたが、NHKは神戸の震度が空白のまま。
無線機からは、『阪神高速が落ちた・・』との情報が・・。
この情報に半信半疑ではあったが、姫路地方はあまり被害がなかったので、そのまま出社したが、続々と入る被害の情報に、耳を疑った。

ちょうどその頃である、ゆうすけにも発病の兆しがみられたのは。
一回目のカゼで入院がそれである。ただし、そのときは単なるカゼで処置されたのであるが、そのときの病院の様子は言語に絶する。被災地が神戸と近かったので、廊下にも被災地から患者さんが搬送され、点滴待ちの患者さんがごった返し、診察どころではない。お医者さんも看護師さんも憔悴しきっていたように記憶している・・・。

あれから10年、長女は今年中学生、次男も小学生になる。
時の流れを否が応でも感じてしまう、そして言葉ではいい表せない、言い尽くせない10年でもある。

冬将軍・・・05年1月12日(水) 晴れ(強烈に寒い)
寒い、強烈に寒い。生来、寒さに弱い私には堪え難い寒さである。
といっても、20歳過ぎの頃は毎週スキーに精を出し、徹夜明けでもものともせず、信州やあちこちですべり倒していたものであるが、あの頃の元気はどこへやら・・・。情けない限りである。

この寒い中でも冬の夜空は大好きで、星空を眺めていると本当に心が落ち着く。
また最近新聞を賑わしている、10万年に一度といわれるマックホルツ彗星を探しはしたものの、ショボイ双眼鏡(50mm、7倍)では、探しきれずおかげで風邪気味である。

来週は、『阪神淡路大震災』の10年目である。宇宙空間では10年はあっという間であろうが、私にとっては、されど10年であり様々な思いが倒錯し複雑な思いで胸が一杯になる。今日もすばるが、寒空の中さんざめいている。

日記再開・・・05年1月11日(火) 晴れ
実にしばらくぶりの日記である、しかし去年はあまりにも色々な事が起きすぎた。
あまり詳しくは書けないが、私の人生そのものを左右するほどの大きな出来事である。
どうかこれ以上ショッキングなことが起きないよう願うばかりであるが、事業再編により旧職場の仲間は、別天地へ・・・。やはり今年は激動の年かな?

それはそうと、まだ今年は一日も走っておらず、体重計に乗るのも怖いくらいに体重が増えてしまっている。こんなことでいいのか?と自問自答するが、どうにもこうにも力が入らない。
まぁ、焦っても仕方がないので、ボチボチやるか。