+++ 『SHIROH』紀行 2 +++
 
■原城址(2)■


 
本丸は現在でもまだ発掘調査が続けられているため、至る所に立ち入りを制限するロープや青いビニールシートが張られていました。本丸への出入り口となる虎口と呼ばれる場所からは、城を破壊した際に埋められたと思われるたくさんの城壁や石垣などの残骸とともに、人骨が数多く発見されているそうです。無惨と言う以外、言うべき言葉が見つかりません。

【枡形虎口址】
本丸中心部への出入り口のひとつ

【原城攻防布陣図】
左下が原城。小さくて見づらいのですが、中央のやや右下あたりのCの数字の位置が伊豆守の陣で、その左側が板倉重昌の陣になります。
本丸址の口之津側の海を望む絶好の場所に、物見櫓があったといわれています。ここは現在、発掘調査中のため、ビニールシートが掛けられていました。『SHIROH』に当てはめてみると、ここがシローの絶命の場所になるのかな…。
櫓台の先に見える緑地が天草丸と名付けられている場所で、乱当時、天草勢が多く守備したことから、こう名付けられたそうです。

【櫓台跡】
櫓台があったと言われているところ
口之津、天草方面が見渡せる絶好の場所にあります。

【櫓台跡】
本丸の下から櫓台を見上げたところ。発掘調査中のため、ビニールシートが掛けられています。
本丸は三方の海が見渡せる場所にあり、本当に見晴らしの良いところ。想像したような断崖絶壁の孤城、という印象は微塵も感じませんでした。
この場所であれほど悲惨な戦いが繰り広げられたとは、この場に立っても信じられないほど、時間がゆっくり過ぎてゆきます。ここで命を落としたたくさんの人々の魂が癒されることを、心から願ってやみません。

【本丸からの風景】
口之津方面を望む。

【本丸からの風景】
天草方面を望む。

【本丸からの風景】
二の丸方面を望む。

【本丸からの風景】
三の丸方面を望む。
今はほとんどが畑となっており、のどかな田園風景が広がります。
本丸から国道本面へ戻る途中、行きに後回しにしていた三の丸址の板倉重昌の慰霊碑に立ち寄りました。このあたりで討ち死にしたのでしょうか。確かに三の丸から近い場所に重昌の陣はあったようです。
慰霊碑の左側にある碑文には、重昌の辞世が刻まれていました。

  「あらたまのとしにまかせて さくはなの なのみのこらば さきかけとしれ」
   
重昌は眉間を撃ち抜かれて死亡したといわれていますが、碑文には胸部を撃たれた、とありました。尚、この辞世は総攻撃に向かう直前に、その心境を詠んだものと云われています。すでに討ち死にを覚悟していたとも取れる句ですね。※辞世については”新玉の年の始めに散る花の 名のみ残らば魁と知れ”とする説もあるようです。

【原城三の丸址】
三の丸址に板倉重昌の慰霊碑があります。
重昌の碑を示す表示のとなりに温泉の看板があるのは何ともねえ…。

【板倉重昌慰霊碑】
1798年(寛政10年)重昌の子孫にあたる板倉八右衛門勝彪により建立。
原城を後にして、次に、原城での発掘品が展示されているという、原城文化センターに立ち寄りました。
文化センターは国道を挟んだ向かい側の山の上にありました。幕府側の陣のあった場所ですね。
行ってみたら、発掘品が展示されている筈のキリシタン資料室はなんと資料整理中で、一時公開中止となっていました。でも、事務室にいらっしゃった係の方にお願いしたところ、整理中で説明プレートもちゃんとついていないのだけれどそれでも良ければ、とおっしゃって見せて下さいました。感謝!!

資料室は会議室のような部屋ひと部屋だけなので、展示品はそれほど多くはありませんでした。もちろん発掘されたもの全てを展示できるわけではないでしょうし、まだ発掘調査が行われている最中なので、展示できない調査中の資料も多いのでしょう。発掘品の一部は文化センター以外では、天草切支丹館などでも展示されています。

資料室の正面の壁には、原城の石垣が再現されています。この石垣の石は本物のようでした。石垣の前の虎口と思われる部分に、人骨が散らばっている様子まで再現されています。説明プレートがなかったのでわからないのですが、たぶん発掘調査時の人骨が見つかった状態を再現したものと思われます(人骨はレプリカだと思うのですが…)。※後になってわかったことですが、この石垣は大手門跡から発掘されたもので、大手門の様子を再現したものだそうです。石は実際に発掘されたもので、人骨はレプリカだそうです。4/30より一般公開とのこと。
他に、本丸内で見つかったたくさんの十字架、ロザリオ、メダイ(マリア様などを彫刻したメダルの一種)、つぶれた銃弾、陶器の破片など原城での生活が窺えるような日用品の数々が展示されていました。

ところで、文化センターの受付には原城址の案内図が置いてありました。これを先に持っていれば、もっとあちこち見られたのに〜。観光用のガイドブックでは原城はほとんど触れられていないので、何がどこにあるということまではわかりません。これから行かれる方は、まず原城文化センターへ行って(もしかすると他の場所でも配布しているのかも知れませんが)、案内図をもらってから行くのがいいかと思います。

そして私たちは、天草へ渡るフェリーに乗るべく、口之津港へ向かったのでした。出航まであと10分しかないんですが…、着くのかっ?!

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