もちろん、これは
マリリンがらみなので観た作品。
マイケル・ジャクソンのインパーソネーター(ディエゴ・ルナ)が、マリリンのインパーソネーター(サマンサ・モートン)と出会う。
マイケルはマリリンから、インパーソネーターたちが共同生活をしているスコットランドに来ないかと誘われ、美しい自然に囲まれた古城へと向かう。
インパーソネーターというのは「ものまね役者」という訳になったりするが、英語で意味するところは、単なる真似ではなく、もっと真剣に
その人になりきる感じであるらしい。
マリリンは結婚していて、夫がチャールズ・チャップリンのインパーソネーター(ドニ・ラヴァン)、娘がシャーリー・テンプルのインパーソネーターだ。一家そろって、という設定は、すごいですね。本当のマリリンの夫だったジョー・ディマジオだったら、よかったのに。でも、
ディマジオだったら、何を似せたらいいのか難しいか。(笑)
ヴェルナー・ヘルツォーク、レオス・カラックスといった著名な監督が、俳優として出演しているのも見どころだ。
あまり話を知らずに、これから本作を観たいという方は、この先、読まないほうがいいかもしれません。
知らないことが多いほうが、新鮮に映画に対することができるので。
共同生活の仲間になったマイケル。マリリンの家族の他には、ジェームズ・ディーン、マドンナ、リンカーン大統領など、さまざまなインパーソネーターがいる。彼らは芝居小屋を建てて、公演を計画する…。
もうひとつ、
まったく別進行の話がある。それは、神父とシスターたちの話。彼らは、飛行機から貧しい人たちのために食料を投下している。
そこで奇跡というか、不思議な出来事が起きる。
この話と、インパーソネーターたちの話が、何の関連があるのだろう、というのが難しい。
なんなの、これ? と思ってしまうような、
不思議な感覚の映画なのである。
この映画が言いたいことは、ペシミズム(悲観主義)なのではないか、とか、いや、それを越えた上で、その逆なのでは、などと考えた。
それに、人間、神の領域に近づこうなんて高慢な考えを持ったら、しっぺ返しを食らうぞ、というのも、あるのかも、とか。
そんなこんなありまして、いまのところ到達している考えは、
生きることの難しさと愛しさ。人それぞれの人生だけれども、嫉妬をしたりする弱い存在だけれども、悲しいこともあるけれども、何があるか分からない、時には無情な人生だけれども、それでも生きていこうとする者には、幸あらんことを。あなたは、ひとりじゃないよ。
つまり、人間を、あったかく見ている映画ではあろうと、とらえておきます。
(あとで知ったのだが、監督は「
純粋さと社会性の対立」の話と言っているらしい。なるほど。)
映画祭で発表された他は、あまり公開されていないようで、日本公開はイギリス・アメリカ・フランスよりも早いらしい。
たまーに、そういう作品ありますね。
マリリンを演じたサマンサ・モートンは好演。演技派女優なので心配はしていなかったが、きちんと、こなしてます。
たまーにマリリンっぽく見えることもあり。
衣装は「七年目の浮気」でスカートがひらりと舞い上がるときの白いドレスがメイン。
マリリンの衣装は、フランスのファッションブランド、
アニエスベー(agnes b.)による特注。
アニエスベーは私の大好きな映画
「マルホランド・ドライブ」(デヴィッド・リンチ監督)でも衣装も担当していて、そのときから私は注目していたが、今回もマリリンの衣装である!(そういえば、アニエスベーは、リンチ監督の次作「インランド・エンパイア」でも衣装協力してたっけ。)
アニエスベーは映画会社「ラブストリームス」をもっていて、今回は製作にも関係している。
また、青山店で2月18日まで写真展、2月中旬から一部店舗で「ミスター・ロンリー」Tシャツの販売があるという。これはチェックしなきゃ。
ひとつ、注意してほしいことがある。
公式サイトにある「STORY」は、結末まで、すべて書かれているので、観る予定がある方は読まないほうがいい。
そこまで書くなら、なぜ「結末まで書かれています」と前置きをしておかないのか。
ちょっと信じられない配慮のなさだ。
追記:読売新聞に載っていた監督の話。そっくりさんたちと尼僧たちの物語の共通点は「強迫観念にとらわれた夢追い人が社会に戻ろうとした時に、泡がはじけるように起こる悲劇」であり、「互いの物語を寓意的に補完する、詩的なアクセントでもある」とのこと。