ううむ…どうなんだろう。
ジョゼ・サラマーゴが書いた原作「白の闇」が、すごく良かったと感じていて、その延長線上で映画を観たせいか、これといった感慨が湧かないのであった。
つまり、本を読んだ私は、どんな物語か知っている。映画では、その記憶にある話をなぞっていく。こうなって、ああなって…と、ほぼイメージ通りに映像が進んでいく。
だから驚く場面もないし、あとから映画をどう思い返しても、
読書時に感じた以上のインパクトがない。
無難に映画化しているとは思う。
収容所での出来事を映画のメインにしたのは、まあ、妥当だろう。
社会(世界)の醜い凝縮図のようなものだし。
そのあとの、外界でのサバイバルは、食料を得る話、教会での話を経て、スムーズに家に入っていっちゃってましたね。
原作は、もっと、いろいろなことがあって、住み処を占拠しているオバさんやら作家やらが出てきたりするのだが、映画でそれをやると時間が足りなくなるので、しかたがないところか。
また、映画では日本人夫婦が主役級で登場してくるが、私たちと同じ人種だけに、何だか話が変に身近に感じられもして、これが良かったのかどうか、よく分からない。
原作では、人種の説明はない。ぼんやりとして、
どこの世界でも当てはまるようなスケール感があるのだ。
収容所の、汚物まみれの汚さも、映像では遠慮がちだったと思う。あまりにリアルにしたら映せないというのも分かるが、原作でイメージしていたところからすれば、ちょっと綺麗すぎるかなと…。
人間も、衣服など、もっと汚なかろうと思ったりするが。
他人の目がないので、平気で裸で過ごしているような人を、映画でも、たまに映してはいたが、
表現的には、おとなしいなあと感じた。
原作を知らずに、映画で初めてストーリーに触れたら、どう思っただろうか。どのくらいのインパクトを受けただろうか。気にいっただろうか。考えても分からない。分かるわけないか。
もしかして、こういうのって不幸かもしれないぞ…。
どうしても原作と比べてしまう。
でも、原作を読んだときに、じゅうぶん堪能したから、いいか。
女性3人がシャワーを浴びるシーンがあるが、木村佳乃さんだけが位置の関係もあるのか、おっぱいを見せていない。もしも、わざとだったら、これは、いただけないと思うけど。いかがなものでしょう?
原作本「白の闇」の感想もHPにあるので、興味のある方は
こちらへ。