演技派の対決。
まあ、こんなもの?
期待以上のものではなかった。
最近、映画感想では、まず初めに自分が感じた結論のようなものを書くようにしているが、そこで映画をほめていないと、好きじゃないんだと思われがちで困るときもある。これも、そう思ったでしょ?
本作の場合は、好きでも嫌いでもないが、映画としては、ちゃんとしている(偉そうで申し訳ない!)ので普通。つまり星3つとした。
ドラマ作りが普通すぎて面白くない面もある。(と書くと、また好きじゃないんだ、と思われそう。)
2005年のトニー賞、ピューリッツァ賞受賞の舞台劇の映画化。舞台は1964年のあるカトリック学校。
メリル・ストリープの校長先生、フィリップ・シーモア・ホフマンの神父。そこにエイミー・アダムスの若いシスター、ヴィオラ・デイヴィスの生徒の母親が絡む。
この4人が、すべてアカデミー賞候補にあがっていた(受賞は、なし)わけだから、その演技合戦は見ごたえはある。
メリルの場合はアカデミー賞候補になるのは、なんと15回目(ひろちゃんさん、ご教授ありがとうございます)。半分、候補者数の穴埋めのような気もしてくる。そろそろ再受賞させてあげないと。歌唱力を見せつけた「マンマ・ミーア!」で候補になって受賞したら、新境地(?)が認められたっぽくて、いいのに。
「魔法にかけられて」で、いいなあと思った
エイミー・アダムスが若いシスターを演じていたこと、観終わっても気づいていなかった!
オープニングクレジットで彼女の名前が出たのは分かっていたのに、あのシスターが彼女とは気づかなかったのである。「魔法にかけられて」のお姫様とはまったく雰囲気が違うせいか。今回は、尼僧姿しか出てこないし。
私は誰かが変装していたら、ぜんぜん気がつかない人間なのかもしれない。
生徒の母親役のヴィオラ・デイヴィスが、短い出番のなかで印象を残す。校長がとろうとしている行動では、自分たちはうまくやっていけないのだ、という厳しい現実が、メリル・ストリープとの会話のなかで次第に明らかにされていくところは出色。
疑惑(ダウト)だけで、神父を追い詰めていく校長。神父の言葉を信じようとする若いシスター。
私は、完全に校長の側に立って観ていた。校長の立場として、生徒を守るためには何でもする。神父と戦う。もしも、神父の罪に確証がなくても。私自身、神父はクロに思えたこともあって、校長を応援していたのだろう。
彼女が疑惑のみで策をろうして神父に対抗したことに苦しむのを見たとき、なぜ苦しむのか、宗教と関連すると、そういうことになってくるのかなあ、と少し不思議にも感じた。私は無宗教なので。
でも、後には、
校長の行動に賛同して観ていた私自身が必ずしも正しかったかどうか、と疑問ももったのだった。
もしも裁判員制度で裁判員になったときに、この事件があったなら、無罪かな?