GODZILLA ゴジラ

GODZILLA
監督 ギャレス・エドワーズ
出演 アーロン・テイラー=ジョンソン  渡辺謙  エリザベス・オルセン  サリー・ホーキンス  ブライアン・クランストン  ジュリエット・ビノシュ  デヴィッド・ストラザーン
原案 デヴィッド・キャラハム
脚本 マックス・ボレンスタイン
撮影 シーマス・マッガーヴェイ
編集 ボブ・ダクセイ
音楽 アレクサンドル・デスプラ
2014年 アメリカ作品 123分
好き度☆☆☆☆


あまりのカッコよさに泣いた!   

ゴジラ生誕60年、アメリカから、ハリウッドから、あたらしいゴジラがやってきた。
第一級の娯楽大作として。
…でも、根本的に興味がない人には、おもしろいこともないんじゃないか…ってのは当たり前でしょうね。

以下、ネタばれ。

感情を揺さぶる家族愛あり、視覚から訴えかけ興奮させられる場面あり、なんといってもゴジラの圧倒的な存在は、小さな人間から見た、ゴジラの脚のみの視点や、軍艦を従えながら悠然と背びれだけ見せて泳いでいる姿、上陸すれば津波を起こすほど。
人間など、ほとんど気にしていない。
兵器による攻撃を受けても、へっちゃらである。
この強さ。これを待ってたんだよ!
「シェー」なんてポーズをする、ふざけたゴジラでなくてよかった。(日本製のゴジラ映画でそういうのがあった。映画は見ていないけど映像は見たことがあるので知っている。)

しかも、ゴジラ、なかなか出てこない。
ゴジラか!?と思った怪獣は、別の怪獣なのだ。うまいねえ、この肩透かし!
これにはMUTO(ムートー)という名前がつけられるが、この怪獣のほうが主役のごとき前半。
ちなみに、ムートーの造形は、ステルス機を意識したのだそう。
日本原作のゴジラなので、新怪獣の名も日本的にしたのだろうが、「ムトウくん」がいじめられないか心配だ(笑)。
いや、逆に「お前、怪獣の名前なんだって! すげーな!」と尊敬してほしい。

ムートーに襲われる核施設がある日本の都市名が外国の地名のようになっている(ジャンジラ〔雀路羅〕)のは、核がメルトダウンしてしまうその都市が、日本の実際の都市を思わせないための配慮か。
日本人にしてみれば、違和感のある地名ですけどね。
施設が倒壊していく図は、こんなことが起きませんように、と見ていて背筋が寒くなるが…アメリカ軍は怪獣退治に核を使おうとして、最後には陸地からそう遠くない沖合いで爆発することになる(「ダークナイト ライジング」みたいな)から、気を使ってはいても、本当の恐ろしさを分かっていないのではないかという、ハリウッド映画によく見られる傾向は感じてしまう。

ゴジラが、人間などほとんど気にしていないと書いたけれど、橋のシーンでは、人間を守ったのではないかと思えるところもある。
砲撃に対して、自分の体を楯にして橋上の人々を守ったのか?
橋のケーブルを持って橋を傾け、バスが走るための障害物をどけたのではないか?
ゴジラが「神」的な存在を背負うならば、それもあるだろう。
(人間の)主人公と目が合う場面がある。彼は何を感じたのか。大いなる存在を感じなかっただろうか。

視覚に訴えるのは怪獣だけでなく、鉄橋の下をムートーが通っていくときに、上にいる人間が気づかれないかどうかというスリルや、燃え盛った機関車が突然迫ってくる驚き、電源を喪失した戦闘機が次々と墜ちていく衝撃的なシーン、9000メートルの高さからダイビングして発炎筒の光が糸を引く幻想的なシーンなど、よく考えられ、工夫があり、「魅(み)せる」。

人間はがんばるけれども、最後は結局、絶対的な存在であるゴジラが決める!
あの咆哮を聴いたときから、もう感動だった。思いっきり長々と咆えるシーンもあり、もー、やってくれますね!
オスのムートーを倒すのは、尾を使っての激烈な一撃!
狙いすましたのが分かって、すごい。尾を使うときは後ろ向きになるから、失敗はできないよね。
ムートーはビル壁に、ふっとばされて即死! 圧倒的。

背びれを光らせて、口から放射熱線(?)を吐くのは2回。この必殺技をなかなか出さないのは、いちど出したら倒れるほど疲れる、ということか。
放射のシーンは、カッコよくて、ぞくぞくします!
しかも、2回目は相手の口を有無をいわさず、こじ開けて、そこへ、これでもか!とばかりに放射するんだから、あっけにとられるというか、またまた圧倒されるような感動。絶対的。

最後は、疲れきって倒れて死んでしまったかのように見えたゴジラが、目を開き、立ち上がり、海へと姿を消していくところは、テレビ放送の「救世主か?」というテロップが出るのとあわせて、もう感激で泣いておりましたよ
倒れているのは、休んでいるんだね…。
素晴らしいゴジラを見せてもらいました。

俳優では、日本代表の渡辺謙さん、科学者の役で、翻弄されて、人知の及ばないことを、ゴジラに望みをかけながらも見守るしかない立場は、よく出ていたと思うが、終始いかめしいというか重々しいのは、そもそもの個性なのか、役の立場のせいでもあるのか。
アメリカ代表のアーロン・テイラー=ジョンソンは、さまざまに巻き込まれながらも、自分の置かれた境遇を、せいいっぱい頑張っている役で、納得できる。若くして結婚して子どももいるのは、幼い頃に母を亡くして、父の愛情も離れてしまっていたという、さみしい背景があるんだろうなあと思えたり。

最後に音楽のアレクサンドル・デスプラ。伊福部昭がつくったオリジナルテーマの「繰り返し」メロディによるワクワク感をよく分かっていて、同じ感じをうまく出していると思う。こちらも素晴らしいです。




〔2014年7月26日(土) ユナイテッド・シネマ としまえん〕


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