こういう終わり方しか、なかったか。
予告編を見るたびに、終末観のようなものや重々しさを感じて、泣けていた。
さて、やっと本編を観ることができた。
それも、IMAXのスクリーンで。3Dは映画として製作しなかったようだが、それは正解だろう。飛び出るのが目当ての映画じゃない。
ゴッサム・シティにもたらされた新たな脅威に、バットマンは8年間の沈黙を破る。
ノーラン監督は、物事を、ものすごいことであるように見せるのが上手い。
誤解しないでほしいが、悪く聞こえる言い方をすれば、
ハッタリの力技だ。
重たい物語に、相応の映像、音楽をかぶせて、重厚感を増幅させる。
「ダークナイト」では、ヒース・レジャーが演じたジョーカーという特異なキャラクターが、映画全体を、突き抜けたものに押し上げていたが、今回はそこまでは行っていないような気がする。
もちろん、セリーナ・カイル役のアン・ハサウェイ、ブレイク警官役のジョセフ・ゴードン=レヴィットをはじめ、俳優陣は、皆、しっかりと演じている。
けっきょくのところ、…
けっこう、ありふれてないか? と思うのだ。
あまり、ネタばれしたくないが、(珍しくもない)爆弾が出てきたり、穴倉を登る障害って、あれだけなの?と拍子抜けしたり、ちょうどいいタイミングでベインがセリーナに吹っ飛ばされたり、なんで殴り合いしかしないんだろうとか、ベインってレクター博士みたい、とか…。
監督が、自分の作品
「インセプション」から、マリオン・コティヤールや、ジョセフ・ゴードン=レヴィット、トム・ハーディ、マイケル・ケインを再び起用しているのも、どうなのかと思う。
同じチームで気心が知れているからというなら、それもいいかもしれないが、
今後の映画でも、いつもそうならば、ちょっと面白くないのでは?
…なんて書いていると、ファンに荒らされそうで怖いが、嫌いじゃないんですよ、普通です。
それから、「ダークナイト」の「ナイト」は
「夜(NIGHT)」ではなくて「騎士(KNIGHT)」であることは、認識しておくべきだろう。