マトリックス レボリューションズ

THE MATRIX REVOLUTIONS
脚本・監督 アンディ・ウォシャウスキー  ラリー・ウォシャウスキー
出演 キアヌ・リーブス  キャリー=アン・モス  ローレンス・フィッシュバーン  ヒューゴ・ウィービング  ジェイダ・ピンケット=スミス  メアリー・アリス  コリン・チャウ  ノーナ・M・ゲイ  ハロルド・ペリノーJr.  イアン・ブリス  ハリー・J・レニックス  ナサニエル・リース  ブルース・スペンス  モニカ・ベルッチ
撮影 ビル・ポープ
音楽 ドン・デイビス
編集 ザック・ステンバーグ
美術 オーウェン・パターソン
2003年 アメリカ作品 129分
評価☆☆☆☆

この感想は、初回に字幕版、次に「マトリックス」「マトリックス リローデッド」のそれぞれ吹替版を観たあとに、2回目で吹替版を観て書いている。

人間の最後の砦ザイオンで繰り広げられる、人間対機械の、すさまじい戦闘シーンは圧巻だ。
壁を突き破って侵入してくるドリル型の掘削(くっさく)機と、おびただしい数で襲ってくるイカ型メカのセンティネル。その圧倒的攻勢の前に、絶望的な戦いを挑む人間。人間側のメカは、人が搭乗して操縦する、ヒト型(?)のロボットAPU(アーマード・パーソナル・ユニット)。日本のアニメでもよく見るような形だ。

「マトリックス」独特の世界を期待する人たちには、この戦闘はたぶん、「他のSF映画でやればいいじゃん」みたいに取られるのではないかと思うが、私には、とても面白かった。単純だからね。
敵が力的にも数的にも圧倒する迫力に、敵うわけないじゃん!と思わせる状況は、思い出してみると、「スターシップ・トゥルーパーズ」に似ているかもしれない。「スターシップ〜」も大好きだったから、私は、こういうパターンが好みなんだ。そうか、そうだったのか!

隊長の名前がミフネ(ナサニエル・リース)というのは、もう、当然、三船敏郎をイメージしているのに間違いない。雲霞のごとく攻め寄せる敵に対して、死ぬ前に一匹でも多くの敵を道連れにしてやる、というサムライ魂の男。かっこいい、というより、もうやるっきゃないのだよね。
メカに弾丸を補給する係も命懸け。護衛をつけて戦場を走らなければならないが、センティネルはススーイと難なく飛んでくるのだから、いつやられるか分からない。こんな仕事、怖すぎる!

機械にゲリラ戦を挑む女たちの覚悟も凄い。やられる可能性99%にも思える戦いをする覚悟。映画だからいつものことで、できるんだ、なんて甘くみてはいけない。
この覚悟というものを観客が感じなければ、映画なんて感動しないだろうと思うぞ。

前作「マトリックス リローデッド」を、初見の時点では、あまり面白く思えなかったままだったので、この続編の「レボリューションズ」には期待していなかった。続編、しかも完結編なので観ないわけにはいくまい、映画会社の策にハマッてしまってるなあ、というくらいの気持ちで観に行った。
そういう気持ちで臨んだのもよかったのか、まさに「レボリューションズ」は「リローデッド」の続編そのものだったが、「リローデッド」よりはかなり分かりやすく、ザイオンでの戦いのド迫力が楽しめたのだった。
単純にSF戦争アクション映画と見ても、すごかったのだ。

敵に気づかれないように、普通の操縦技術では通れないような細い難路を抜けてザイオン救援に向かおうとするパイロットの、ナイオビ(ジェイダ・ピンケット=スミス)は、かっこよかったね。
それに対して、同乗するモーフィアス(ローレンス・フィッシュバーン)は、今回、かなり普通の人(?)になっている印象で、前2作よりも活躍の場面が見られない。
彼の役は、ネオを見つけて、ある地点まで導く、ということだったのか。その後は、格別な役柄を与えられていないのかもしれない。

ネオ(キアヌ・リーブス)とトリニティ(キャリー=アン・モス)は、敵である機械の都市、マシンシティへ乗り込もうとする。
「リローデッド」でラブラブだった2人。一緒に行動するのは当然の運命だ。
目的地に近づくと、ここでも、またしてもセンティネルの大軍団が。
はたして、2人はどうなる!?

ラストは、ネオとスミスの一騎打ち。初めて観たときは、これが、いろんなところで言われているように、「ドラゴンボール」を実写にしたら、こんな戦いなのだろうなあ、という映像に思えた。
CGに大金をかけたというが、そのわりには、私は、それほど凄いとは思わなかった。日本の観客のなかには、マンガであのイメージに慣れすぎている人もいる、という点が、痛いところかもしれない。
だが、2回目に観たときは、かなり面白く観た。大げさといえばそれまでだが、ここまで迫力を出して表現してくれたら、すごいことじゃないか、と思った。
初見と2回目で、感じ方が違うのは、なぜなのか。
観る側の気持ちひとつで、受け取り方ひとつで、印象が変わることがある、としか言えない。そういうことを考えると、映画というものは一度観ただけでは語れないときがある、ということになるのだが。

本作には「ナウシカ」「エヴァンゲリオン」みたいなシーンもあるという。私は「ナウシカ」は一度観たきりで、失礼ながら、よく覚えていないし、「エヴァンゲリオン」は観てもいないので、どこが似ているのか分からない。しかし、そうなると、日本の映像文化のパクリぶりが、タランティーノ監督の「キル・ビルVol.1」みたいに目立っているのだろう。
しかし、私は、パクるのに文句はない。パクりパクられ、文化は発展していくのだ。ガタガタ言うことはない。いいのだ、それで。

話を戻して、雨の中の一騎打ちの結末は…。
なあるほど。そういうことか。
善と悪は自分の中にある。悪の心を克服することが平和を呼ぶ。
これは、そういう戦いなのではなかったか。

とにもかくにも、物語は終わった。
これがウォシャウスキー兄弟の考えた、ひとつの神話であり、救世主の物語であり、ウォシャウスキー兄弟の考えた今の世界観であると思えた。

今までになかった独特な世界を描いて、本当に映画界の革命だった第1作から始まって、今年の第2作、第3作まで、謎をばらまきながら、どんな物語になるのだろうと思わせながら、このシリーズは、じゅうぶんに観客を楽しませてくれたと言える。

※今回の感想にはネタばれページがありますが(リンクは下↓から。)、物語の重大な展開について書いてあり、個人的な解釈を行なっていますから、映画に先入観を持ちたくない人、内容を知りたくない人は、絶対に読まないでください。

〔2003年11月8日(土) ワーナー・マイカル・シネマズ 大井〕



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