作り手の良心:パクリはどこまで許されるか

文責:矢澤美子 2002/2/23

この数年、宮崎のある工房で作られている作品が、「矢澤さんのものとそっくりですね」「似たものを作っていらっしゃいますが、お弟子さんですか?」と、多くの人から言われるようになり、気にしていました。そして、先日その人の作品のリーフレットを持って来てくれた人がいて、その作品のラインアップ全体に流れるあまりの類似性に、私達はショックを受けてしまいました。その人が仕事を始めた頃の作品は知っており、矢澤の家具とは異なるものでしたので、なぜこのように安易に人の作品の真似ができるのか理解に苦しみます。

オリジナルな作品を作ることは難しいですが、それは、良いものを作るのと同じように、作家を作家たらしめる、根幹を成すものだと思います。家具を作る者は確かに、今までこの世に存在しなかったようなものを作ることのみを目標にしているわけではありません。テーブルは天板と脚からなり、その上に物が置けたり、食事が出来るものでなければならないという必要条件は、古今東西変わりません。ですから、長い家具の歴史の中で、そして世界という視野に立ったとき、どこかで似通った作品が生まれることは当たり前のことでしょう。

また、南海の孤島に孤独に生まれ育つわけではありませんので、どこかで何かに触発されて、ものが生まれていくのが基本だとは思います。ですから、他の作家の影響を受けるということはある程度、許されると思います。しかし、同じデザインの部品を流用するのではなく、概念的な意味において影響を受け、触発され、自分なりに消化して、作品に取り込んでいかなくてはならないと思います。

インダストリアル・デザインの世界では、あるものが売れ出すと、途端に他のメーカーもきわめてよく似せたものを平気で作ります。その是非を論じることはここでは避けますが、手作り家具、創作家具を手がける、作家と呼ばれる人たちの場合は、インダストリアル・デザインと同じ感覚ではいけないのではないでしょうか。よいものを作っているかどうかと同時に、各人のスタイル、オリジナリティがその評価の対象となり、その部分に恥ずべきものがないかどうか、作家としての良心が常に問われていると思います。

では、比較の一例としてロッキングチェアーをとりあげてみましょう。問題の椅子と矢澤の椅子と一般的な椅子とを比較、検証してみたいと思います。
問題の椅子
問題の椅子
矢澤金太郎作おふくろの椅子
矢澤金太郎作・おふくろの椅子
一般的なロッキングチェアー
一般的なロッキングチェアー
(つくしの家具)
矢澤のロッキングチェアーの特徴

1)[笠木(頭の当たる部分)]普通は薄い板で、曲げ木のような作り方をするが、矢澤のは角材を刳りだしている。

2)[背]普通は細い丸棒を使っているが、矢澤のは幅広の板にし、先端を丸ホゾにしている。

3)[肘]普通は断面が幅の狭い正方形になっているが、矢澤は幅広の板状にした。

4)[座面]通常のロッキングチェアーの倍近くの厚みがある。

5)[ソリ]普通はなぎなた状で、断面が縦長であるが、畳の上でも使えるよう幅広にした。

6)[座面の高さ]40〜50代の女性が座りやすいよう、普通のロッキングチェアーよりかなり低くした。

7)[脚]構造を違えて一般的なロッキングチェアーより脚を太めにした。

8)[削り]平らに仕上げるのが普通であるが、凸凹の削りを残した。

矢澤の椅子の特徴のうち、背の部分に焦点を当ててみます。
普通のロッキングチェアーは背が細い丸棒なので、背中が痛いです。それで矢澤は幅広の板を使いたいと思いました。しかし、座面と背とがなす角度は直角ではありませんので、そのままでは加工が難しいのです。加工が容易で、背当たりがよいという二つの難しい事柄を解決した労作のデザインです。出来上がったものを見れば、コロンブスの卵で簡単ですが、何もないところから生み出すことは大変でした。私達はこの様な先端の加工法による幅広の板の背を持ったロッキングチェアーを、矢澤のものと問題の椅子の他には見たことがありません。

笠木や肘や座面、ソリ、背板等の各部品にはいろいろな選択があるわけで、ある一つの部分が類似性を持つことはあり得ます。しかし、多少違えてはあっても、基本的構想がここまで矢澤の選択と偶然一致することは奇跡としか思えません。意図的に真似しない限り、そういう偶然が重なることはあり得ないと思います。そして、そのような類似性が他の作品でも見られ、作品全体から受ける印象は矢澤風であることは誰の目にも明らかなようです。見た人が「お弟子さんですか」と特別な関係があるはずだと思うのも無理ありません。うちの弟子かもしれない、と思ってもらえるうちはまだよいのですが、なかには、矢澤がその人のパクリをやっている、と思っている人がいるかもしれません!では、矢澤がその人の真似をしたのでしょうか。いえ、それはあり得ません。なぜなら、そのような作品は矢澤の方が随分先に発表していることを証明できるからです。
問題の彼は何故物まねに走ったのでしょうか?。真似されて光栄、喜んでもらえるんじゃないかと思っているのでしょうか。それなら申し上げたいです。もし、真似をした、影響を受けた、という自覚があるのなら、独自のデザイン、等と偽らず、パンフレット上などで公表すべきです。右の写真はアメリカのThe Taunton Press社の Fine Woodwoking No.155 の裏表紙の写真です。写真のベンチを作った作家は「ジョージ中島の影響を受けている」と明言しています。どこがジョージ中島の影響かと思わせるくらい、それは異なった作品に仕上がっています。影響を受けるとはこのようなことで、しかも、影響を受けたものに対する敬意を払うことは礼儀です。とにかく、日本人は物まねに対する罪悪感に乏しいと思います。
Bench by Mr.John Nesset
ジョン・ネッセット氏のベンチ

そして、ここでお客様達にお願いがあります。「○○さんの作品に似ている」と感じたら作者にそのような感想を述べて下さい。作家を目覚めさせ、安易にコピーに走ることを防ぐ効果があります。また、「○○さんの○○と同じデザインのものを、もっと安く作ってださい」というような、コピーを促すようなことは決して要求しないようにお願いいたします。作家が正しい道を歩むよう教育して下さい。お願いいたします。

また、ここでうちの弟子たちの名誉のために付け加えさせて下さい。弟子達は確かに矢澤のところで勉強するわけですから影響を受けます。しかし彼らは、矢澤と似ていると言われないよう、自分のオリジナリティを追求した作品作りをしており、むしろ、ここで問題にしている人の方が、弟子達よりはるかに矢澤風のものを作っています。矢澤自身もそうですが、みな、誰かの作品と似ていると言われることを恥としています。独自に思いついたものが、すでに雑誌とかで紹介されている中にあったりすると、それを形にすることを断念することもあるくらいです。

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