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Nothing but blue
思ったことなどつらつらと


23.つかまえそこねたアニメーション(2005.2.22)

22.今日、また(2005.2.11)

21.今日(2005.1.31)

20.Come together(2005.1.10)

19.再びツーリング(2004.8.15)

18.ツーリング(2004.8.1)

17.またこわれた (2004.7.30)

16.パーソナルコンピュータ(2004.7.25)

15.パセリ (2004.414)

14.アメリカ (2004.4.5)

13.Day Tripperはどこいった?(2004.1.28)

12.ダメだ、黙ってられない (2003.12.4)

11.微熱の頭で考えた (2003.11.22)

10.空想的備忘録 2002年8月 (2002.09.02)

9.最近読んだ本で (2002.02.23)

8.じょーじはりすん(2001.12.02)

7.某大物女性歌手の仕事(2001.11.12)

6.マキシシングルについて。(2001.11.12)

5.最近こう思っている。(2000.11.5)

4.神様の最新情報(未確認・口コミ)(2000.11.5)

3.暖かいおもてなしにご用心。(2000.10.29)

2.かなり有名(超、ではない)某大型歌手からのダメ出し。(2000.9.7)

1.神に会った時のこと。(2000.7.28)

ここに書いてあることは一部-(「ホントなんだー!!!」って叫びたい心を抑えつつ)-一部を除きフィクションです。


.神に会った時のこと。

某月某日某JR駅にて、すごい人に会ったことがあります。あんまり大きな声じゃぁ言えないような超有名人で、実力者です。グラミー賞すら受賞してる人です。イギリス人です。

 彼は僕の前で切符を買っていました。JRの自動券売機で切符を買っていたのです。僕は「あ、外人いるなぁ」ぐらいの軽い気持ちで僕の目の前で切符を買っている彼の顔をのぞき込みました。彼は背があまり高くはない方です。髭も伸ばしていなかったので、その見覚えのある(ありすぎ)顔を見たとたん僕は言葉を失いました。そして頭の中にいくつかのギターフレーズが鳴り響きます。

 「っって、、、まさか、、、あの人、、?」

僕の尋常ではない雰囲気でツレも気づいたようです。僕の横で目を輝かせたまま絶句しています。僕は急いで空いている券売機にお金をねじ込み、値段も調べず切符を手に入れます。ツレは"彼"の行く手を目で真剣に追っています。「急げ!とりあえずついていこう。」

ところで、突然「神」に出会ってしまったら、あなたならどうしますか? 人間って、本当に重大な事態に対しては準備が不足しているものです。その時の僕もそうでした。言葉は出ません。自分がこれからどうしたら良いのか、その時はまったく解りませんでした。 いろいろな想いが交錯します。

「最近お子さんを亡くされて、さぞ落ち込んでいるだろう」とか、「元アル中だから、普通じゃないかな?」、「もっと英語を勉強しておくんだった。いざとなるとはじめましての挨拶すら言葉にならないものだ」 「握手って、有料かな?」エトセトラエトセトラ…

僕とツレはどうすることもできないまま、ただ彼を見失わないようにじっと見つめ、エスカレーターに乗っていました。彼は涼しい顔をしてエスカレーターの上で立っています。僕はツレにい言いました。

「すごくミーハーな考えだけど、握手をしてもらおう」と提案をしました。ツレは無責任にも「僕もギター弾くんです、って言ってごらん」なんてぬかします。「そんなことはこの際どうでも良い、何より恥ずかしいしな。それより握手のあとサインだ、サイン。サインをもらうぞ!紙とペンを持ってるか?」

普通のビルなら3階か4階に届きそうな高さまで上っていくそのエスカレーターの上でぼくは必死に英語を考えていました。「エクスキューズミー。アイラブユアミュージック…」
 彼はエスカレーターの最上部に到着したらしく少し歩を伸ばすような仕草をしました。僕らは急ぎました。

エスカレーターを小走りに上がり、彼に追いつきます。

「エクスキューズミー、サー。アーユーミスター……」僕が彼の名前を言おうとしたときです。彼は確かに微笑みました。優しく厳しく、そして少し悲しげで、洗練された微笑みです。ゆっくり首を横に振りました。目が合い、彼の目が僕に語りかけます。とても、とても優しい目をしています。

「ヘイ、ボーイ。君が僕のファンなら知っていると思うが、僕は日本公演に来ている。とても大変な仕事だよ。そして、今日はこうしてオフを静かに過ごしている。頼むから放っておいてくれ。君は思い違いをしたようなものなんだよ。そう思ってくれ。」

彼は少し歩を早めました。僕らは彼を追うのをやめました。彼は、「神」と呼ばれたりしている僕らの知っている彼であることを拒否しました。もうこれ以上追えません。もう無理です。

僕とツレはボーゼンと立ちつくし、下り電車に乗り込んだ彼を目で見送りました。

「サインどころか、握手なんて夢のまた夢だな。しかし、すごかった…。」
「見た目はフツーのガイジンだね」
「しかしすごい目をしてたな」
「すごく優しい目だった」
「きっと観光だな」
「うん、相撲でも見に行くのかな?」
「人間だったな、やっぱり。僕らと同じ人間だな。」
「きれいな女の人は愛人か?」
「コーディネータじゃない?」
「切符の買い方、教えてたもんな」
「会ったって言っても、友達、信じないだろうな」
「自分達だって、まだ信じられないもん…。なんだか夢みたい…」

僕らは興奮さめやらぬまま、だんだん遠くなっていく電車を見送り続けました。

おしまい

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.かなり有名(超、ではない)某大型歌手からのダメ出し。

 

某月某日某所某店にて、ライブ(っていうか営業)をやったときのこと。
そのお店は、何処にでもありそうな街の飲み屋さんで、カラオケ装置なんかも入っちゃってて、大人の社交場風(笑)のまぁまぁ健全なタイプ。オネーチャンはいない。ママとマスターね。

そのお店では前にも何回か演奏のお仕事を頂いていたのですが、その日はそのお店の開店5周年記念パーティー(会費制)でした。僕等(デュオで演奏)の演目はスタンダードジャズを中心に、歌謡曲、演歌と、出来る範囲で幅広く、ま、言葉は悪いけどナンパな選曲。 4,50分のステージを2回、お客さんの入れ替えナシでやる、というものでした。

比較的リーズナブルな会費(4000円ぐらいだったかな?)のせいもあり、お客さんの入りも上々。 お店にとってめでたい日、ということもあり、なんだか全体的にウキウキした明るい雰囲気のまま、1stセットは滞り無く終了。インターバルの合間、僕は相棒とお店の前でタバコを吹かしていました。

お店の入り口付近には、さすがに5周年です、いくつかお祝いの花輪(っていうのかな、盛り合わせみたいなヤツです)が芳名を記した紙と共に飾ってありました。

僕「へぇ、結構花とか来てるじゃない」
相棒(以下・相)「そうだな」
僕「どれどれ、だれから来てるのかな」
相「商工会の会長とかあるよ、やっぱり」
僕「5周年ともなるとすごいな、こういう商売」
相「お、○○ィー・○○とかあるし(笑)」
僕「ン?、だれ、だれ?
相「知らない? 「・・・・・・・」って歌で有名な歌手だよ」
僕「あ、知ってる。その歌、○○○大作曲のやつだろう?」
相「そうそう、テレビで主題歌だったよな」
僕「ここの店の客なのかな?」
相「今日来たりして(笑)」

お店の前でタバコを吹かしながら、そんなとりとめもない会話をしていたのですが、次の瞬間、来たのです。その歌手が。お供を二人従えて。

相「あ、ホント来たよ」
僕「おぉー、テレビのまんまだ」
相「連れは、あれ、やくざもんじゃないのかい?」
僕「いかにも芸能界風でよろしい(笑)」

某大物歌手はGパンにポロシャツとういう出で立ちで、ポケットに手を突っ込んだまま、連れのお供にドアを開けさせてお店に入っていきました。

相「じゃ、ま、セカンドセット、やりますか」
僕「うん、ぼちぼちいこか。よろしく」
相「よろしく」

僕と相棒はセカンドセットの準備をするために、ステージに向かいました。

ステージ上で楽器のセッティングをしながら、客席の様子を伺うのはいつものことですが、客席の様子は1stセットとはちょっと違うものになっていました。無理もありません。何せ、大物有名歌手ご一行様が客席中央付近、ステージ真ん前に陣取っているのですから。客席のあちこちから「あ、○○ィーよ、○○ィー。」とかささやいてる声が聞こえます。ま、例え有名人でも、お客はお客。僕等は構わずどんどんやります。

セカンドセットが始まりました。

セカンドはちょっと落ち着いた路線、ミディアムテンポの4ビートやバラードが中心の選曲です。2曲3曲と進むうちに、1stセットのパーティームードから、徐々にしっとりとした柔らかい緊張感がお店に広がっていきます。僕等の演奏も熱を帯びてきました。

ラスト3曲、When you wish upon a star を演奏中にそれは起こりました。彼(某有名歌手)が動いたのです。

歌手「あぁ、そこで待っちゃダメだよぉ!ちゃんとリードして!!」(厳しい口調)

演奏中にも関わらず彼は演奏に文句をつけてきました。別に僕等の演奏にケチをつけてくれるな、などと言う気は更々ないのですが、せめて演奏が終わってから言って欲しいものです(笑) 別にレッスンを受けているわけではないのですから。
こっちは仕事中です:-(

歌手「ギター!!おい、ちゃんとリードしなきゃダメだろ?!」
僕(一応、ヤツをたてて言う)「あー、ハイ、そうですねぇ、確かに。(ギター弾きつつ)」
相棒:←頑張って演奏中。こりゃ困ったヤツだ、と目で僕に語りかけている

会場の雰囲気は叙情的なそれから一気に緊張したものに変わりました。何てったって名前ある有名歌手がリアルタイムダメ出しをしているのですから(笑) そんなもの、なかなか見れる代物じゃぁありません(^^; 全員、固唾をのんで見守っています。

相(目で)「気にしないで、勝手にやろう」
僕(目で)「合点だ」
相(目で)「ヤツ、コロス!」
僕(目で)「ヨシ、ヤッチマオウ!」

こういうアイコンタクトは古くから一緒にやっている人とだと不思議と非常に上手くいくもので、次の曲は急遽、目の回るようなアップテンポのジャズブルーズナンバーと相成りました。この曲の演奏中はどんなに五月蠅いヤツもさすがに口を挟めないだろう、という暗黙の了解の選曲です。歌手は仕方なくウイスキーなど舐めています。僕等は構わずどんどん演奏を続けました。

もったいなくも、アンコールまで頂き、ステージは無事終了。客席で一杯やっていて、「あー、○○ィーに絶対からまれるよぉ」などと思っていたのですが、意外にもヤツは我々とは目も合わせない。それどころか、上機嫌でカラオケに手拍子なんか打ってます(笑) 仕舞いには自分もカラオケで歌い出す始末…。さすがに自分のヒット曲は歌わなかったですけど…。

-----後でお店のママに聞いたんですけど、彼、某有名歌手、仕事なくてアップアップなのだそうです。そのいらだちから上記の暴挙に出たのではないか、とのこと。
 先輩、ご意見は心してうかがいますが、演奏中はご遠慮ください。終わってからなら何でも聞きますから、ハイ。

以上、本番中にダメ出しをされるという、かつてない経験談でした。チャンチャン。

追記:実際本番後にダメ出しは結構されます(笑)相棒や、バンドメンバー始め、お店の人や先輩方に。いやー、タメになります、はい。
今後ともご指導ご鞭撻の程をよろしくお願いいたします。

 

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.暖かいおもてなしにご用心。

 

もうずいぶん前ですが、あちらこちらの飲食店へ演奏の営業にバンド(カルテット)でまわっていたことがあります。主にレストランや、パブスタイルのお店が多かったのですが。これからお話しするお店が今も存在しているのかは未確認ですが、当時レギュラー(月イチ)で仕事をさせていただいていたお店がありました。

K(仮称)というそのお店のウリは、なんと言っても週末のバンド演奏でした。ジャズ・カントリー・ブルースと、アメリカ音楽中心で。安いテーブルチャージでリーズナブル、お客さんがフロアで踊り出したりして盛り上がることもしばしばでした。

そのお店のマスターはM(仮称)さんといい、一人でお店を切り盛りし、地味ながらも楽しくお店をやっていました。人手の足りなくなる週末には近所の音楽好きの高校生なんかもアルバイトで雇っていましたね。

当時僕らのバンドはワゴン車一台に全ての楽器と機材を積み込み、Kの夜の部が始まる前にはお店に到着するようにしていました。お客さんが来店する前にはサウンドチェックや簡単なリハーサルを済ませたかったのです。

開店時間は確か6時だったと記憶しています。だいたい4時半には現場に到着しているという、非常にミュージシャンシップにあふれた真面目なバンドだったのです。4時半に着いて、車から機材を下ろしセッティング。慣れたもので、だいたい一時間もあれば準備はすませられました。

最初のステージが始まるのはだいたい八時から九時頃。準備が終わってから最初のステージまで、だいたい3時間ほどの待ち時間がいつもありました。僕らのバンドのメンバーは各々この待ち時間で自分の用事を済ませたりしていました。飯を食う奴(Mさんのご厚意で賄いが出たのです)、町の本屋に立ち読みに行くやつ、エトセトラエトセトラ。

ある日いつものように楽器のセッティングをすませた後に、Mさんが言いました。
「みんな、僕の部屋でコーヒでも飲んでくつろいでてよ。レコード聴いたり、テレビ見たり、好きに過ごしてて良いからさ。」
Mさんは店舗のすぐ裏手に自宅を構えていたのです。

僕らはなんの迷いもなくMさんの厚意に従い、彼の部屋へおじゃますることにしました。(なんせ待ち時間の時間のつぶしかたは結構悩みの種なのです。)

Mさんの部屋は、さすが独身貴族らしく、ふかふか絨毯にゆったりとした本革のソファーなどがおいてある、素敵な部屋でした。Mさんはコーヒーを入れながら、「良い部屋でしょう?」と聞いてきます。僕らは素直に、思った通り「ええ、素敵な部屋ですねぇ。こりゃ、くつろぎますね。」と答えました。

しかし、その後にMさんが僕らに言った言葉で、僕らの平穏な気分は一気に緊張を強いられることになりました。

 

「いつでも、遊びにオイデよ。一人で来ても良いよ。いつでもね♪」

メンバーの一人が、

「あはは、そうですねぇ、有り難うございます。ホント良い部屋ですもんねぇ。こんな部屋に住めたら良いなって思いますよ。」

といいました。 (もちろんこれはMさんに対する誘導的応答です)

するとMさんは、

「じゃ、うちの店で働きながら、ここに住みなよ。部屋も空いてるしね。あ、でも、男二人で同居してたら、ご近所がうるさいかな、アッハッは(笑)」

メンバーは、

「アハハ…、そうですよ」
「そりゃまずいでしょ」

なんて言いながら、互いに目配せをして、

(「おい、ちょっと、いや、かなりヤバイぞ」)
(「うん、あの目つきは、ちょっとヤバイな。嬉しそうだし。」)
(「ここからどうやって脱出するんだ?」)
(「まだステージまで時間がたっぷりあるぞ…」)

の様なやり取りを、目で素早く、しかしMさんには気づかれないようにこっそりとしました。

勇気ある我らがリーダ(リード奏者)が「あ、テレビいいっすか?」とMさんに聞いてくれたのでやっとテレビの電源が入れられ、緊張の空気は少しほぐれましたが、しかし、先程までの和んだ空気はもう戻ってこようはずもありません。

「あ、俺、ちょっとトイレ」
こう言って最初に席を立ったのはドラム奏者でした。(彼は一番男好きがするタイプだったのです)
彼の言葉を聞いたMさんはすかさず答えました。
「あ、トイレなら、すぐそこよ。お店まで戻らなくても大丈夫。そのドア出てすぐの所にあるから。(真顔) 君がトイレに行っている間にコーヒーもう一杯入れておいてあげるよ。」

(「おい、ヤバイぞ。逃げられない…」)
(「単独行動は危険だ…。」)
(「時間まで、なんとかみんなで頑張ろう。」

……

それから約二時間、軟禁状態で僕らはMさんの部屋で過ごしたのでした。

最後にMさんは、店に出る直前に、
「あ、ステージ終わったら、シャワーも浴びて良いよ。僕も後で入るし。」
こう仰って、僕らを更に震え上がらせたのでした。

 

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.神様の最新情報(未確認・口コミ)

の”神に会った時のこと。”で登場したお人、新たな噂を入手!
ま、情報元はミュージシャン仲間で、彼も人づてに聞いた話なので、事実かどうかはまったく保証できるものではありませんが。

・その1:神様は日本に”も”奥さん”がいらっしゃるらしい。

・その2:神様は”泡風呂天国”が大好きで、かなり造詣が深いらしい。

以上、簡単ながら最新情報でした。

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.最近こう思っている。

 

このページ、(Nothing But Blue)って、今までは結構不真面目な話というか不謹慎なネタが多かったのですが、今回はちょっと真面目に。深刻を装って(^^

この前、正確に言うと10月の九日。ジョンレノンが還暦を迎えました。還暦といっても生きていればの話ですが。(何はともあれ、Happy還暦to you、John!)
で、世間ではそれなりにイヴェントもあったみたいですね。埼玉にジョンレノンミュージアムはできるし(うーん…)、既発の音源がデジタルリマスタリングされたり。
その一環かどうか知りませんが、Music Magazine増刊という形で"ジョンレノンを抱きしめて-メモリアルエディション-"という雑誌が発売されまして、それを読みました。

内容はジョンレノン暗殺直後に発売された雑誌(1981/1)の復刻と、新たな記事という内容だったのですが、死の直前に行われたインタビューなんかがいまさら読めて、なかなかこれがよかったです。
インタビューの中でレノン氏は、音楽と”平和と静けさ”が好きと語っていました。うーん、平和と静けさ、ねぇ…。

 

私事ですが、ここしばらくはライブライブライブライブの毎日で、なんだかちょっと忙しすぎました。
4,5本のプロジェクトで月に10本のライブとか。
当然ながらライブへ向けてのリハーサルや打ち合わせ、資料の準備や、もちろん楽器や歌の練習もやるわけですから、これはまったくもってヘビーな日々でした。外泊も多かったですし。

頭のスイッチをいろいろに切り替えてなんとかこなせましたけど、一つだけ、不本意ながらおろそかになってしまった事があります。
それは、作詞・作曲、括って言えば創作です。

自分自身の音楽が解らなくなったとか、そういうわけじゃないのですが、単純に体力的な問題と、精神と生活のリズムの狂いが大きな要因になったようです。正直な所で、金銭的にもかなり追いつめられましたし(笑)。(経費かかりすぎ)

音楽に"追われ"ていました。

 

もちろん、僕はライブが大好きです。三度の飯より好きだと言ってもいいぐらい。
「一番自分の生にリアリティーを感じるのはステージの上」と、あの頭にいつも布をまいてるゴキゲンなギタリストが言ってましたけど、まったくその通りだと思うし。

でも、いまスケジュールに追われるのは、ちょっと違うんじゃないかな、って。音楽は常に追い求めていたいものだな、と、そう考えるに至りました。最近は。

生活に”平和と静けさ”を取り戻そう!と。
具体的な方法として色々ありますが、

・ライブの本数を減らす(仕事化している幾本かはちゃんとやりますが)
・部屋を掃除する
・金回りを良くする
・ボーっとする
・散歩を増やす
・ちゃんと寝る

今すぐできる範囲ではこのぐらいでしょうか。(もっとも金回りはちょっと難しいというか、限界ありますが)

ま、こんな事をやっていれば時間を持て余し気味になって、自然と本を読んだり映画を観たりするわけですね。
そして、僕はしばらくすると必ずこんな生活に(良い意味で)退屈してきて、ギターを手にして何か作り始めるので…。時間のゆっくり流れる生活を取り戻そうかな、なんて生意気なことを考えている次第です。

 

今現在、歌はなーんにも出てこなくて、ちょっと困ったもんですが。ま、そのうち出てくるだろうと。
作り始めちゃえば早いんで、楽観視してます。

おーい、音楽の神様ぁ。また来いよー!!

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.マキシシングルについて。

生意気にもレコードをつくって売ろうなどとは、恐れおおい、おこがましい。しかも自作自演だ。
しかし、つくってしまったのだ。そしてもうすぐ発売日だ。(それに合わせて編集等の〆切がやってくる)

今までも自分の演奏を収録した出版物(CD等)が、値段をつけられて売られたことはあったんです。

腐れ縁でずっと一緒にやらせてもらってるハーピスト(ハモニカだね)の深沢剛が書いた楽器教則本の付録教則CDでギターを弾いたのが最初で。なんて書くと、宣伝じみてるけど、僕はトッパライで仕事させてもらったんで宣伝してもお金が入るわけではない。
まぁ実際、この教則本は結構売れたらしくて、何回か増販されて今でも店頭で見かけます。(よかったよかった)

って事は、何千、何万もの人が僕の演奏を聴いたって事になる。
これは考え始めるとちょっと空恐ろしい。
でも、まぁ、上記教則本はハーモニカのためのものだから、ギターなんて意識して聴いてる人はほとんどいないンだけど、そう思うと逆にちょっと寂しいのと同時に、ちょっと気が楽になったり。

しかし既成事実として、自分の演奏が店頭で販売されたり、楽器屋で流れたり、はたまた電波に乗ったりってことが、今までにあったわけですね。

ざっと数えて、僕の演奏を耳にしたり、ライブを見た人の数ってのは…、
これ数万人規模になるわけで、当然何らかの聴衆からのリアクションが予想されますね。

・出版/放送/制作部署への感想の投書
・「あのギターは誰だ?」という問い合わせ
・街ですれ違った人に握手を求められる
・逆に街で嫌がらせをうけたりもする
・女が寄ってくる
・お金も寄ってくる
・仕事が抱えきれないほど舞い込む

なんてのが一般的かつ、妄想的な予想なんですが、実際、上記のような事は一切ありませんでした(笑)。
これって、まぁ、冷静に考えると当然なんですけどね。
ひるがえって、"自分が耳にした音楽にそれほど興味を持つのか"っていう事を考えると、やっぱりそれほど興味は持たないし。

しかしまぁ、「ギターなかなか良かったよ」とか、あるいは逆に「もっと練習して出直してこいや」とか。
所謂リアクションですね、「聴いたよ」っていう。
全くないってのもねぇ(笑)。

これ、僕がライブが好きだということの一番の理由なんです。
リアクション。
良かったとか、悪かったとか、好きとか嫌いとか。
そういったリスナーの反応が現場でちゃんとわかる。

どんなに入りが悪い日でも、どんなに静かな客席でも、そこにいる人が楽しんでいるかどうかは、顔を見れば全然わかるんです。「キャー」とか「イエェー!」とか、そういうわかりやすい反応じゃなくてもわかるんです。
顔を見れば。

出版物には、それがない。
売れたとか、売れなかったとか、そういうんじゃなくて。
楽しんでくれたかどうか。気に入ってくれたのかどうか。

「じゃ、なんでCDなんかつくるのさ?ステージで演奏すればいいじゃなか」、という事を言われそうですが。
録音物の作品をつくり発表するというのはどうやらまた違った理由があるようです。

「長らくそして今も、僕は音楽的には誤解されている」
そう自分では思ってきました。
人は誰でも、少なからず誤解され、そして誤解してるものだよね。
「わかってくれー」
ってのは、多くの人が思う所だと思いますが、
僕の場合、今回はCDをつくって売る、ということがその手段だったようです。

「おまえのことなんかわかる必要はない」
そう言われると弱いんだけどね(笑)。
ちょっとだけでもWebなんかで試聴してもらって、
ちょっとでも音に興味を持ってもらったんなら、
ぜひ一曲聴いてもらいたいです。

僕にしかできないこと、僕にしかつくれない音、僕の頭の中の音。曲、歌、そして世界。
今作を聴いてくれた人が、それをちょっとでも感じてくれたなら、今作は大成功です。

そしてさらに…、音や歌に共鳴してくれたんなら、僕は本当にうれしいです。
そうしたら、今度はあなたのことを僕に教えてください。あなたのやり方で。

 

参加ミュージシャンをはじめアートワークやプロモーション、経理に至るまで、僕はよき理解者に恵まれ、今作をつくることが出来ました。この場を借りて、関係者各位に心より、お礼を。
ありがとう。

 

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.某大物女性歌手の仕事

今回のネタはヤバイです。
ということで、かなりオブラートにくるんで表現せざるを得ません。
このページはあくまで楽しけりゃいいので。
決して特定の個人の営業活動を妨害したいとは思ってないので、悪しからず。
下記一切、あくまで"聞いた話"です。

 

先日、ある先輩と食事を一緒にしたときに先輩がいろいろと怖い話を聞かせてくれました。
その先輩、現在はかなり忙しく働くミュージシャンで、その忙しい生活(おもにツアーらしい)で起こった出来事をいろいろ話してくれたんですが…。

以前、先輩はある歌手のバックバンドをやっていました。
ある時、結構長いツアーに出たらしいんですが、某地方都市でオフ日があったらしく、バンドごと他の歌手、とある女性歌手のバックバンドとして駆り出されたそうなんです。。

いや、まずい、ちょっと書きすぎだな…。

ま、結果から書くと、

その女性歌手、歌わなかったそうです。
先輩もそのバックでは演奏しなかったそうです。
でも、ステージには居たそうです。
女性歌手もステージでスポットライトを浴びて、お客さんからの声援に応えたそうです。
でも、演奏はしなかったそうです。
バンドで一番ステージ上で困ったのはドラムスの人らしいです。
逆に楽だったのは、シンセサイザーの人だそうです。
その女性のバックバンドをつとめることは、非常に簡単だが、二度とやりたくないそうです。
ちなみに、本番で一斉に音がプッツン…(これは書けない)
興行としては上々のアガリだったそうです。

何が行われていたのか、どういうことなのかは、ご想像にお任せいたします。
ま、テレビの歌番組ではあたり前のことですが、
生のステージで、しかもお客さんはそうとは知らず…、
しかもある意味とても信頼性の高いデジタル機器ではなく、
バックアップ無しのオープンリー…(イカンイカン)

先輩の雇い主の歌手は以後一切その女性歌手からのオファーは受けていないそうです。

念のため言っときますけど、僕、その女性歌手の歌と声は、結構好きです。
だから先輩からその話を聞いて余計にびっくりしたわけですね。

モンキービジネス、究極の形の、その一つなのかもしれませんが。

 

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.じょーじはりすん

 ちょっと強がりを言うならば、僕はあなたのことを始めて知ったとき(確か10歳ぐらいだった)、あなたが今も生きてて音楽をやってるなんて事は知らなかったんだ。レコードで知ってただけだからね。
あなたが生きてたって事は、テレビとか、そういった感じで人づてに知ったんだ。 だから、いまさら死んだなんてニュースになっても、そんなに驚かないし、そんなにショックじゃないんだ。

でも、僕は書いておこう。

たくさんのギターフレーズをいただいたよ。ニュアンスとかビミョーで絶対に真似できないけど、絶対に真似できない、ってのがあるんだなぁって初めて教えてくれたんだ。
凡才と天才の決定的な差を教えてくれたよ。天才には普通成れないけど、凡才にだってそうそう成れるもんじゃないって事。決定的な個性ある凡才。これ重要。
僕は一度だけだけど、ステージを見たよ。実は相方のクラプトンに興味があったんだけど、印象に残ってるのはものすごくいい演奏をしたあなた。たんたんとギター弾いて歌ってた。僕はちゃんと聴いてたんだ。
たぶんね、ぐうの音も出ないんだ。だって、僕は未だにあなたのスライドをコピーしたりしてるし、生意気にも生きる意味なんて大仰なことも考えてる。

天にスライドするギター。
階段のようなディミニッシュ7th.
編隊飛行のストリングス
顔のある太陽が深く彫り込まれた鉄線の楽器、そして歌。
ワウワウ
ワウワウ

ストップアンドゴーのスライドバーが僕にとってのあなたのリアル。
その速度。その加減。
間違いなく伝わったんだ。
それが伝わったのは僕だけじゃないはずだ。

あなたがあなたでよかった。
美しい音楽をありがとう。

 

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.最近読んだ本で (2002/02/23)

ドラマーである菊池君と終電の駅のホームでばったり。そのまま二人で呑みに行く。
で、音楽の話だとかいろいろ、真面目な話から他愛もない話までいろいろおしゃべりして、菊池君にある人の書いた本を薦められました。

その人とは、中島義道。

で、早速「うるさい日本の私」というやつを文庫で買って読んでみました。(新潮文庫 な-33-1)

いや、なんとも、久しぶりに活字で大爆笑させていただきました。
斬新な角度から日本人/社会の精神構造をぶったぎる、というような話なんですが、ま、作品の主題、もちろんこれも面白いのですが、これは読んでもらった方が早いからここでは触れず、作品中にでてくる以下の部分で僕は大爆笑しました。

第4章5段より一部

”…。だが「読む」ことより「書く」ことのほうがくたびれ、その実状を克明に告げるために書いているのだから、読者が少々くたびれても仕方ない。もう少しおつきあいねがいたい。”

僕はここまで読んだところで3分間ほどベッドの上で笑い転げました。

一見、作者の少々傲慢ともとられかねない書きようですが、ここまで作品を読んできた中で読み進めていると、作者のこの一見矛盾しかねない書きようも非常におもしろ可笑しい。 うまく言えないけど、のせられてるんですね。作者の論法に妙に納得しながら読まされてしまう。

で、なんというか、こんなに強烈な洒落のきいた本はそうそう読めるものじゃないから強力にお勧めするべく、ここで取り上げた次第です。

上記の本を読んで上記のところで笑った人、菊池君に感謝しましょう。

 

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10..空想的備忘録 2002年8月 (2002.09.02)

首からボブ・マーレイを下げてコタツの化粧板を張り合わせた兄貴はとってもイカしてた。
もっとも、これから書く人は全員イカしてた。ちょっとイカレてたりもするけど、それ程じゃぁない。そのボブ・マーレイの兄貴の旧友の兄貴達もみんなちゃんといい車に乗ってたりするのがなによりの証拠だ。あんな高そうな車、ちゃんと働いたってなかなか買えるもんじゃない。よっぽどちゃんと働いたんだろう。たばこだってすごいのを吸ってた。

で、その兄貴達(一部姉貴)が七転八倒しているさまに僕は緊張しつつも「べんきょーになるナー」なんてのんきなことを考えながら一生懸命プレイしていたわけだけど、一人の兄貴に至っては僕の黒いギターの裏に鎮守されている別の兄貴の射程距離に居ることが明らかになり、ジェットスキーとBBQ経由でラジオドラマを作った気がした。

「のびたさんのエッチー」と一度は言って欲しかった姉貴は三日で獲得できる相対性理論を実演を交え僕にレクチャーしてくれたので、また忘れてはいけないことが一つ増えた分、僕は少し自由になれた。(ということは人類の進歩にBBQは不可欠だという論理もキチンと成り立つわけだ)

そういえば、先の兄貴のまぐれ知り合いの某姫のコアなワンフーの所為だろうか、宇宙系のちょっと兄貴は一瞬ひきこもったわけだが、露天で再び獲得した感触で僕に電信してきたりもして、やっぱり確実に地球は回っているんだということを僕に解き、僕は深く納得して更に自由になる。これから軌道計算をしなくてはいけない。

お互いに真夜中の水をチビチビと経済的に摂取するところの友達は、僕を口説きにかかってきたのでしっぺ返しに僕に口説かれ、結果、お互い脇の下に汗をいっぱいかくというなんとも得難い刺激的なベランダ駄目出し打ち上げの参加者になったのだが、たった幾晩かで完全に立場の逆転の逆転をされ僕はシンプルに、ただシンプルに楽しかった。彼は完全に僕を引っ張り込むことに成功したわけだけど、僕としてもやぶさかではない。彼が持参してきたリングは大きなリングで、ぐるンぐるン回ってまたどこかにつながってゆくといい。

その彼がかつて住んでいた街の、おそらくは西南西に2000qぐらい行ったところから息を吸吐しに来た一人の父親は僕の肩を叩き僕を安心させ僕から見たことのない力を引き出すことに成功し、もちろん彼もまた成功して北海道の名物を神妙な面もちで一緒に食べることが出来た。彼のもう一人の息子ともプレイ出来たし、そこでその息子のもう一人の父親が加わったのもファンキーなリズムの成り立ちを証明するのに役立ったんだろう。だてにアポロシアターではないのだ。

失敗だってしたのだ。僕とアレはビタミン不足がたたっていた結果、四千円の大赤字を引き出したのだがこれはたいした問題じゃぁない。何せギスコ社長が秘密のスナイパー"Gセン新渡戸"を派遣してくれていたからな。しかしその秘密は正しいバンマスの作法として守られたため、結果、初防衛戦に敗れた新チャンピオンよろしく、さらなるトレーニングと減量を実践して復活戦をすることになるだろう。しかしただ復活戦に臨むだけでは我々に勝利はない。必要なのは完全な勝利なのだ。
優秀なトレーナーに扮した僕は(あの笑わない召使いの居る)マッカーサー元帥のデイリーパーティーに潜入し、アレの重要人物(小野伸二似)との接触をした際にたまたま近所を通りかかって名古屋のホテルにいたもう一人の兄貴に暗号を伝えることに成功した。暗号曰く(初公開)「住所を確認させてくれ。普通郵便ですぐ送る」。デジタル処理された暗号コードは兄貴のアルミコーンスピーカーでデコードされ、ヘビーなパンチをお見舞いしてくれるはずだ。

全くの個人的な理由にもあって、すべてのパンチが有効打になると良いのだが。その理由とは、赤い羽根をふるわせていた気持ちよい初秋の夜風のふく浄水場で野ションをした(浄水場でそんなことしていいの?)永遠の女の子と話した、その内容にある。でも、この話を知っているのはその女の子と僕、そしてお釈迦様ぐらいだ。

 

こうしてつい先程2002年の8月が終わった。
こんな自分勝手な書き方は普段許されないうえ、
誰にも読んでもらえないかもしれないということを踏まえつつ、
備忘録としてこれを書き記す。

 

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11..微熱の頭で考えた (2003.11.22)

 最近なんだかニュースが無いのがニュース、といったさんなべです。 引っ越したり、まぁいろいろ思うようにことが進んだりそうじゃなかったり。森本 レオ氏が「晴れる日曇る日土砂降る日」なんてインタビューでーで言ってたけど、 ふむ、うまい事言うもんだ。

 風邪をひいた。寝込むほどではないけど、さりとて普段通りの行動はちょっと勘 弁、といった具合。
早めに床に着いて眠くないけどどうやっても覚醒しないボーっとした頭である人の ことを思い出した。


 僕はオートバイライダーなんだ。


 週末の峠道は、三白眼、血眼、白目、パチクリ、などなど。いろんな人がいろん な目をしてオートバイを走らせてる。峠族とかローリング奴とかいろいろ呼び名は あるけど、まぁ、その類。僕はまぁ、結構澄ました目をして時代遅れの400ccを転が してた。友達とつるんでコーヒーなんか飲みながらね。もっとも週末に峠に来るっ ていうことはその目的のほとんどはギャラリーをすることで、峠一決定、なんて大 層なものじゃない。僕らが"走る"のはもっぱらウィークデイだ。観光バスも県外ナ ンバーも少ない。

 峠をカリカリいわせて走ってるオートバイ乗りってのは何種類か人種が分かれて て、大きく分けるとレース志向のそれと公道志向のそれがある。レース志向っての は解りやすいけど公道志向ってのはどういうのかというと、どこからがそうかって いう境界は曖昧だけど、着てる服だったり乗ってるオートバイだったり、細かくは ライン取りが違う。もちろん目つきも。それと、これは大事な違いなんだけど、な んと言うか目的が圧倒的に違う。つまり、速い-遅い、と、上手い-下手。レース志 向の人は(技術的にはいろいろあるけど)とにかく速いもん勝ち。

 いつもいってた峠には、黄色いホンダに乗った、桁外れに上手い人がいた。決し て速くはない。黄色いホンダより速く走れる人は他にいくらでもいた。ただ、黄色 いホンダは上手かった。そして彼の乗る黄色いホンダは悲惨なぐらい旧式の非力で プアーなマシンだった。その旧式のマシンを、すごく楽しそうにライドしてた。舗 装したてのまだ表面にアスファルトの浮いているスリッピーな路面を、朝一雨振っ て木陰で未だ濡れている路面を、拡張工事中の段差の多い路面を、そしてもちろん 継ぎ目一つないグッドコンディションの路面を。そして峠を走る多くのライダーが するように、彼は何往復もその道を走る、ということはしなかった。ただ通り過ぎ るだけだった。

 ある平日の午後、峠道の脇にある自動販売機でコーヒーなんか飲んでいると、黄 色いホンダの人がコーヒーを飲むためにやってきた。
「よく来てるね。」と黄色いオートバイの人。
「いや、おにーさんほどじゃないですよ。他に行くともないですし、運動ついでと いうか暇つぶしというか、ですね。」
「よく転ぶでしょ?」
「あ、わかります?そうなんですよ、低速ですっ転んでるから良いようなものの、 この道じゃなかったら死んでます。転ぶの見られちゃいました?なんだか照れるな ぁ。」
「いや、転んだところ見たことはないけど、君のジャケットには路面でつけた擦り 傷があるし、何よりタイヤの減り方がさ。」
「へ?」
「よくない減り方だよ、それは。前後それぞれの減り方とか、エッジの使い方と か。」

 「いや、こんな事言っておこがましいんだけど、危ないからさ、こけるのは。死 んじゃうよ、そのうち。」
「えぇ、でも、よく転ぶのは確かによく転ぶんで、へへ。おにーさんはこけないで す?」
「僕はこけない。絶対にね。何があっても絶対に転ばないぞ、というつもりでライ ドしてる。いつまでこけずにいられるか、わからないけどね。」
「でも、二輪乗ってたら、一回や二回はこけるでしょ?」
「はは、そう考えてたらまんまとこけるんだよ。まぁ何というか、こけないそって いう決意が重要というか、その決意に落とし前つけて走るっていうかさ。」

 そんなもんですかねぇ、と半ば聞き流しながら僕はちょっと複雑な気分でいた。 嘘をつけ一回ぐらいこけてるだろう、とも思っていたしまた同時に、本当にそうな ら僕もそうやって乗らないとな、とも思っていた。
「こけないコツは?」聞いてみた。
「だからオトシマエ。はは、なんていうか、それがコツといえばコツ。速く走ろう とかかっこよく走ろうとか考えてたらだめ。バランスさえ失わなければとまってよ うが走ってようがバイクは横にならない。」
「上手く乗るってことなのかなぁ?」
「そんなもんかもね。練習あるのみだしさ。こけない程度に。」


 その人のライドは、後ろから見ても、前からミラー越しに見ても、肩の力の抜け た、いかにも美しいものだった。あえてたとえるなら白バイ隊員風というか。で も、白バイ隊員のスタイルと圧倒的に違うのはすごく素人っぽく見えるところだっ た。誰かの真似をして身に付けたのとは違う、黄色いホンダにあわせて完成された とでも言うべき乗りかただ。そして驚いたのが、ものすごく速かったのだ!僕はち ょっと千切ってみようというぐらいの気持ちでだんだんペースを上げていったんだ けど、一向離れない。正確には少しづつ距離は離れていっているものの、バックミ ラーの視界からは絶対に外すことができなかった。

 「危ないよー、死んじゃうよー」
ヘルメットを脱いだ黄色いホンダのお兄さんは笑いながら言った。
「ちょっとやりすぎだよー。途中で降りておいてよかった。」
僕は、何だよそれ、と思っていた。
「今日は僕乗れてるんで、とことん来てほしかったですねぇ。」
「いや、でも、レースしてるわけじゃないしさ。どっちのほうが速いか、なんて無 意味なことだよ。命を危険にさらして遊ぶことを僕はしない。馬が何頭かで走って るみたいに、きれいに走るのが一番と思ってるからね、僕は。」
「でも、かっ飛ばないと、面白くないでしょう?」
「そんなことないよ。十分速いもん。こけたら死ねる。こけたら死ねる速度、これ で十分速い。あと、君はこの峠道をよく知ってるみたいだけど、ライン取りがサー キットのライン取りみたいになってる。速く走れるかもしれないけど、滑ったら終 わりだ。」
「でも、ライン外したら逆に危ないでしょ?こけちゃいますよ。」
「そういう速度ってことだよ。で、このコンディションでしょ?」
彼の言った次の一言は僕の血の気を引かせた。
「その調子で乗ってると、そのうち死ぬよ。」

 調子よく飛ばしていた僕だったけど、その日は我ながら相当飛ばしていた。でも 実際はそれなりにいきがって走ってもいたのだ。それが証拠、バイクを止めたらひ ざが軽く震えている。何度かリアタイヤが流れて、ごくごく軽いものではあったけ どハイサイドを起していたり、コーナーへの侵入を失敗して、ナムサンという気分 でブレーキレバーを握ったりしていたのだ。彼の言葉で僕はいつかこの付近で見た バイクの転倒事故の様子を思い出していた。
「ま、帰りもお互い安全運転で。」
彼は笑いながらヘルメットをかぶり直して峠超えの方向へ走り去った。でも、僕はま だバイクに跨る気になれないでいた。
「そのうち死ぬよ。」という彼の言葉が耳にこびりついていた。余計なおせっかい かけやがってという気持ちもあった。でも、ハイスピードライディングの興奮と恐 怖、そして彼の言葉が感覚の中でミックスされて、とても走り出す気にならなかったん だ。

 その日二本目の缶コーヒーを飲んで呼吸を静めた。この足の振るえと武者ぶるい ってのはおんなじかななんて馬鹿なことを考えながら、よし帰ろう、とバイクのエ ンジンをかけた。
「馬が走るように」と僕はイメージして帰路の峠を越えた。怖かった。本気でこけ たくない、と考えながら走っていた。でも、なんだかとても気分がよかったんだ。 スピードメーターは"十分死ねそうな速度"を指していた。ラッキーを頼らずに走っ ていた僕は、初めて感じる爽快感を感じていたんだ。あ、生きてるな、って。

バイクに跨って走っていると、いろんな感覚に襲われる。恐怖充実感爽快感孤独 感。暑い寒いなんてもそうだ。でも、あの日以来、僕は「生きてるな」という感覚 をかみ締めながらバイクを走らせるようになったんだ。道すがら他のオートバイと すれ違うと「お、あんたも生きてるね!」なんて思うようにもなったし、自分の前 後にオートバイが走っているときは「馬が何頭かで走ってるみたいに」一緒に走っ て喜んだりしている。そして実際、一緒に走るのがとても楽しいのだ。生の実感を 共有して走るんだ。競走なんてそのときは意味がない。それはレースですること だ。ま、そういう種類のオートバイライダーだということだ。僕はどんな目をして 峠を越えているのだろう。楽しんでいるのは確かだけど、これだけは自分の寝顔と 同じく、自分では見えない。


微熱があるみたいだ。バイクを手放してだいぶたつのに、こんなことを考えてい た。
元々はね、あるベーシストのことを考えていたんだよ。尊敬する、あるベーシスト のことを。
いろんなことをその人から教わった。厳しくもやさしい人なんだ。

 

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12.ダメだ、黙ってられない(2003.12.4)

 ある兄貴の思い出話。

■「昔さ、○○のオーディションに行ったんだよ、つきあいで。」
□「つきあい?」
■「そう、オーディション受けたら○万円くれるって言うからさ、行ったんだよ。」
□「金もらうオーディションってのも珍しいね。」
■「格好付かなかったんじゃないかな。人いなくてさ、頭数が。」
□「受かったの?」
■「落ちたよ。」
□「なんて言われた?」
■「■君さぁ、もうちょっと、こう、なんて言うか、K.Rみたいに弾けないの?って。」
□「あはは」
■「弾けません、スイマセン、ってな。」
□「で?」
■「■君さぁ、もうちょっとロック?エイトビートのやつ、勉強した方がいいよう〜、って。」
一同:爆笑
□「それは○○の◎◎が言ったの?」
■「いや、○○。」
一同:爆笑

一件でも削除依頼があったら、即刻削除します。削除以来はメールでお願いします。

 

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13.Day Tripperはどこいった?(2004.1.28)

理由あって数ヶ月前に僕のコンピュータにADSL線が引かれた。
基本的に快適この上なく、「どうしてもっと早く導入しなかったんだろう?」とさえ思うから人間というのはつくづく欲深い。
ただ、下り実測3M強の通信速度は、控えめに言ってもちょっともてあまし気味。従量制ではないので有益なパケットができるだけ流れていることが望ましいけど、怪しいファイル交換などにも興味が(それほど)ないので、もっぱらWebブラウザとメーラーが外部ネットワークとのインターフェイス。

で、ある日、キーコマンドが無茶苦茶使いやすいので以前から汎用のプレーヤとして利用していたWinAmpに インターネットラジオ/テレビ の機能があることを思い出してからは、WinAmpでインターネットラジオを聴いていることが多い。

思えばラジオにはいろいろとすてきな曲を紹介してもらってきた。

・FM横浜:

ちょうどFM横浜の放送が始まった頃だったと思う。僕は未だ中学生で、ギターはチューニングの仕方すら知らなかった。ジャンルとかそういうことも考えないで、なんかこう、グッとくるとか堪んないとかそういった主観、ただそれだけのフィルターで音楽とつきあってた。
誰だったのか失念したけど、あるギタリストがDJをやっていた番組の1コーナーで"ロックギター列伝!"っていう特集が組まれたことがあって、そこでは古今東西の"ロックギター"が取り上げられて、ギタリストを一人ずつ紹介しながら、そのギタリストの代表的な演奏をノーカットで流してた。そのエアチェックのカセットテープは、文字通りすり切れるほど聴いたなぁ。特集第二回目はチャックベリー、BBキングに始まって、デュアンオールマンやクラプトン、ピーターグリーンなんかを経て、スティーブルカサー、ピータートッシュ、最後はエディバンヘイレンだったと思う。そうそう、FM横浜といえば、なぜか年末にはビートルズの特集が組まれることが多くて、ある年など"全てのオリジナルアルバムをノーカットで"というレコード屋泣かせの企画もやってくれてた。僕はそのとき高校生だったのでこれは非常に嬉しかった。「どこでカセットテープを裏返すか?」という重要問題に頭を悩ませたことも今となっては良い思いでだ。

・FEN:

今はこの呼び名じゃない(と思う)。Far East Networkの略って本当?
最近一寸あちらのお国がアレなんで戦意高揚のためか、一時期トホホなプログラムが多かったけど、基本的にDJが自分が選曲して電波に乗せるということに関しては、日本国内のどの広域局にも負けると思う。それは(僕がこの局をもっともよく聴いていたということを差し引いても)このチャンネルを通して出会った、このチャンネルだから出会えたたくさんの素敵な曲があったということが証明しているとおもう。
John Lennonの"Here we go again"はこの局で発売前に聴いた。(今になって思えば、もちろんプロモーションかかってたんだどうけどさ) 叔父の車の中で聴いて、この曲なんだっ!?て思って、当時の(今でもそうだけど)つたない英語ヒヤリング能力をフル動員してDJのMCを聞き取った。「...was new released Lennon's album...」なんて文句がかろうじて聞き取れて…。あの時あの曲を初めて聴いたときのことは今でもよく覚えてる。僕はラジオで完全に飛んだ。最高だと思った。(そういや最近、Janet Jacksonの歌う"Big yellow taxi"もここで初めて聴いたなぁ。)

さっきもWinAmpで"Radiostorm.com"の"CLASSIC ROCK"というチャンネルを聴きながら、とあるテキストを読んだりしていたんだけど、ふと聞き覚えのあるリフが聞き覚えのないサウンドで流れてきた。
WinAmpのプレイリストには、"現在のチャンネル"と"現在流れている曲のクレジット"が表示されるんだけど、それ見て一寸、いや結構びっくり。そこには、
John Lennon&Jimi Hendrix :Day Tripper(Live)‘68
の文字が…。Screen Shot
えーっ!そんなのあったの?!
少なくとも僕にはびっくりなクレジット。

早速Googleで検索してみたんだけど。うーん、どうなんでしょうね?Jimi HendrixがDay Tripperをカバーしてるのは知ってたし、1968年という年も何となく「そんなこともありそうだなぁ」なんて思わせる年だったりして、どうなんだろうって感じです。一度しか聴いてないからはっきりとは言えなかったけど、John Lennonぽい声やギターは聞こえなかったような…。

この曲に事情に詳しい人は是非お知らせください。
(ブートでは出てるらしい、というところまでは判っているんですが。)

しかし、なぜかラジオなんだよね、テレビからじゃないのは何でなんだろう?いつだってラジオから入ってくるんだ。
すーっと歌が自分の中に入ってきて、いつの間にかその曲の魅力に引きずり込まれて夢中になってるあの感じ…。そうやって自分を虜にしてくれた曲とは、それから長いつきあいになるんだ。嬉しいことだよね。

今、WinAmpラジオからはThe ClashのSpanish Bombsが流れてきています。

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14.アメリカ (2004.4.5)

 その国に対して、特別な感情がある。
そこには人々が住んでいて、何人かは個人的に知っている人もいる。愛すべき文化と、夢がある。おそらくは今もある。そう信じている。

 ひどい国だ。が、大統領を悪く言うのは簡単だ。
彼ら憲章を信じるならば、いみじくも民主主義の国だ。人民の意志を重んじる国だ。だから要人個人を責めるのは筋違いで、議会を選んだ選挙民を責めるべきだろう。

 あなた方の選んだ議会の所為だよ。ひどい国だね、まったく。
僕の国もひどいもんだが、国民をやっていて、まだいくらかこっちの方が気が楽だよ。比べるもんじゃないけど。

 乱暴に言えば、あなた方の国の歴史がロックを創り出した。少なくとも無関係ではない。
奴隷制度、第二次世界大戦、経済のグローバリズム。ロックはそのどれとも無縁ではいられない。反吐が出るような、むごい過去。ヘビーな経験を経てロックはだんだんロックになった。奴隷の二世、マッキンレー・モーガンフィールドがトラック運転手で、敗戦国の悪ガキがマッキンレーの舎弟たちにあこがれて、やがては勝戦国でも大人気になった。

 僕はといえば、すっかり復興した敗戦国に生まれ、モンキーズに惹かれ、その次にサイモン&ガーファンクル、そして決定的にビートルズだった。英語を11年(!)学んだ。
ロックを通して、僕はアメリカの歴史を学んだ。 文字にできない、リアルな歴史。

 昔、初めて自分で作った歌は、アメリカの歌だった。
輝ける兵士が闇をも見抜く鋼鉄の目で砂混じりのコーヒーをすする。大統領がこう言ってる。命より金。それより石油。
稚拙ながら、我ながらなかなかの歌だったな。

 エルビスがいなかったら、僕はアメリカに爆弾を落としたかもしれない。
 レノンがいなかったら、僕はアメリカに人が住んでいるとは思わなかったかもしれない。
 レッドホットチリペッパーズがいなかったら、僕はアメリカをあきらめたかもしれない。
 チャックベリーがいなかったら、僕はアメリカにあこがれなかったかもしれない。
 ディランがいなかったら、 僕はアメリカをちっともわからなかったかもしれない。

 音楽がアメリカを救っている。少なくとも僕にはそうだ。
愛する音楽とそれを同じく愛するアメリカの人々。それはぼくにとっても、アメリカの人々にとっても、僕とアメリカにとっても、まちがいなく財産だ。 

 愛憎が渦巻いている。
いつだってそうだったのかもしれない、ちょうど沖縄みたいに。僕のいる環境がたまたま今まで平穏だったというだけでさ。 複雑な心持ち。そこに音楽があってよかった。

 ニール・ヤングが歌う。

ゴールデンゲートで神様に会った。
髪の毛みたいに溢れ出てる愛。
「愛と音楽の時代は、果たしてやってくるのでしょうか?」

「いいや、息子よ。そんな時代は去った。それどころじゃない。おまえと出会った頃とでは、世界は変わった。あの頃、ジュークジョイントをザ・バンドが"Rock&Ages"でゆらしてた頃とは違う。」

神様。憎しみが溢れています。
まるで他の星に来てしまったみたいです。
どうしたら、あなたのように、
見ざる言わざる聞かざるでいられるのですか?
こんな、心で?こんな傷心で?生身の心で?

 

歩むうちに空に雲は黒くたれこめ
とうとう雨がまじめに降り出す。

二人はなるようにしかならないということを再認識。
古い友達みたいに、バイバイと手を振って別れた。

神様。憎しみが溢れています。
まるで他の星に来てしまったみたいです。
どうしたら、あなたのように、
見ざる言わざる聞かざるでいられるのですか?
こんな、心で?こんな傷心で?生身の心で?

(Neil Yong "Two old friends" WPCR-11251)

 

 ニール・ヤングはカナダ出身。ジョン・レノンはイギリス(アイルランド系)出身。でもそれはあまり関係ない。
僕は日本生まれだし、誰もこの世界からは逃げ出せない。

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