Fateな旅パート4(H16/2/22〜24) 副題『真実への旅 フェイクもあるぜよ(苦笑)』
最初は、普通の観光旅行の予定でした。
ま、結果から言えばあまり普通の旅行にならなかったのです・・・。
最初の目的地は「札幌・小樽」を予定していました。
2泊3日で巡る札幌、小樽への橘クンとの二人旅。
ここしばらく単独行動で続いていた「『Fate』な旅」も小休止。
そんな風に考えたいたのです。
まあ、場所が札幌ですから二人とも好きな「水曜どうせしょう」がらみで、HTBとか、平岸公園とか某ベトナム料理店に
でも行こうなどと話していたのです。
飛行機さえ飛べばね!!(爆)
「しょぼりチョコレート」のイベント整理券があたったときに、『今年の運は使い切った』と言っていたが、
どうやらマジだったらしい。
チケットを取るときに「帰りが大雪で飛行機が飛ばなかったら、翌日は風邪引いたことにして
会社を休まないといけないなぁ・・・」 などと冗談半分で橘クンと話していたのですが、まさか行きの飛行機で
それが実現するとは思いませんでした。
13時フライト予定だった札幌行きの飛行機は千歳の悪天候もあり、一時間以上遅れて14時になってやっと登場が開始された。
しかし、搭乗が済んで30分以上たったにもかかわらず、一向に出発の気配がなく痺れを切らしかけたところで機内アナウンス。
『フライト中止』
千歳空港が悪天候のため着陸は無理とパイロットが判断、先に出発していた便も羽田に戻ってくるとのアナウンスだった。
夕方には一応フライト再開は予定しているものの、それも流動的でなおかつキャンセル待ちを強いられると聞いた瞬間、
僕達の北海道旅行は終了した。
本当はキャンセル待ちも考えなかったわけではなかったのですが、色々と橘クンと話した結果、北海道をキャンセルして
新たな旅行先を考えようということになりました。
もっとも、このとき不測の事態を迎えていた川崎の脳は、ドーパミン満載だったようでしきりに、
『よし、今から北斗星の予約を取って札幌に行こう』
冷静に考えれば、やめとけといわれそうなことを平気で口走っていたのも事実なんですが・・・。
午前中に伊丹空港から札幌に向かっていた人は、札幌で着陸できず一旦羽田に引き返してきたものの、午後のフライトが
キャンセルになったため札幌へ行くことはできず、しかも日曜日ということで伊丹へのキャンセル待ちもままならない様子。
最終的にはツアーデスクで東京-大阪間の新幹線料金を現金で支給されて大阪へ戻っていった人達もいたらしい。
飛んでから羽田に戻ってくるよりはましだよ、と橘クンに慰められとにかく羽田空港からはさっさと離れたいという思いだけで
京浜急行に乗り込んだ時には、この旅行がこの後、さらに行きあたりばったりな展開を迎えることになるなんて二人は知らなかった。
ちなみに自宅で寝ていた、某犬くんも知る由はなかった。
翌日の千歳空港も大荒れの天気で、約220本のフライトが中止になったそうです。
2月22日(15:20) 品川駅
JRのびゅうプラザを物色するも、良いアイデアは浮かばず。
まあ、旅行当日に旅行先を決めるなんて馬鹿なことは『サイコロの旅』ぐらいしかやらねーよ、と思いつつ、いっそのこと夜行バスで
道後温泉でも行こうか? などと本気とも冗談とも取れる会話を橘クンとしながらも山手線へ乗り込む。
最終的に、まあ北斗星は無理でも夜行の寝台車にでものって目的地に向かえば明日は平日だし現地で宿も取れるだろうという
結論に行き着いた。
で「夜行列車」といえば上野駅だろう・・・という単純な発送で上野駅へ。
2月22日(16:10) 上野駅
上野へ向かう道中で、雪の日本海方面へ向かうことに話し合いが進み、最終的には『雪の兼六園』を見よう、ということで目的地を
『金沢』に決定。
ま、金沢に決定したもうひとつの理由が、金沢には「アニメイト」と「ゲーマーズ」があるから、というのは割りと大きな理由だったりする
という事実を僕は否定することができない(爆)
早速、23時3分発の上野-金沢間の夜行列車のチケット予約する。
列車が発車するのはまだまだ6時間以上先、上野で時間つぶしをするのは、あまりに時間の無駄となるため、一旦橘邸にむかいそこで
ネット検索で明日の宿を手配することになった。
2月22日(18:00)橘邸
金沢市内で宿を取るよりは、金沢近辺の温泉ホテルに泊まろうということで温泉宿を検索する。
が、さすがに和倉温泉は敷居が高い(苦笑)
最終的に、列車の往復チケットでいけるギリギリの位置にある加賀温泉で宿を予約した。
この、いいかげんとも思える選択が、あんな運命的な出会いを演出することになろうとは、しつこい様だが、このときの僕達には
想像できなかった。
そして、これも当然だが『旅行に行く前に上野で飲もうぜ』と呼び出された犬君にも想像なんてできなかった。
2月22日(16:10)上野駅近くにある某居酒屋
私と橘クン、そして遅れて到着した犬君と3人で昼飯兼夕飯となる酒宴。
今日の事の顛末を話したり、馬刺しにいたく感動したり、結構な量のアルコールが消費されていった。
そんな中、犬クンがぼそりと「雪の金沢か・・・行きたいなぁ」と言ったとか、言わなかったとか。
川崎はこのとき結構酩酊状態で、昼から続く予想外な展開の連続にドーパミンが全力で放出されていたらしい。
列車の時間が迫り駅へ向かった3人。
そんな中、川崎は改札へ向かわず何故かみどりの窓口へ。
で、ここでは書けないような紆余曲折があって「2泊3日札幌・小樽 二人旅」は「寝台特急で行く金沢散策、
ぶらり3人の旅へと変わっていた。
雪の金沢を目指す寝台特急は、雨の中をゆっくりと進んでいた。
北の空港程ではないけれど、その行く道はやはり低気圧の中。
向かい風の中を突き進む列車は、時折小雨に、時折小雪にその鉄のボディを打たれながら暗闇を一定のリズムの音を奏でながら進む。
2月23日(00:10)寝台特急内
つい2時間ほど前まで、居酒屋でバカ話をしていたずっこけ3人組は場所が寝台急行の連結スペースに変わっても、結局はビールを飲んでバカ話
をしていた。
B寝台のため、他の乗客の邪魔になる睡眠スペースで話ができなかった、ということで僕らなりに気は使ったつもりだったのだが・・・。
大声でしゃべっていれば、どこで話そうが他の乗客の迷惑になっていたんだろうなぁ、と今更反省してみる。
持ち込んだ酒を全部飲み干す勢いで消費していた僕らも、明日は朝から観光が待っているということで、それでも深夜1時には就寝するために
各々のベッドへと戻っていった。
2月23日(02:50)長岡駅
川崎はひとりトイレに起きだした。
少し飲みすぎたらしい。用を済ませてベットヘ向かおうとしたときに初めて列車の揺れが小さくなっていることに気付いた。
列車はゆっくりと長岡駅のホームへ入っていく。
小雪の舞い散る長岡駅のホームは、蛍光灯よりも自動販売機の見本缶を照らし出す光の方が明るく思えた。
時間的に終電車は既に走り終えている時間帯。
車内の蛍光灯が明るくて、外の景色が反射光にさえぎられしっかりと見ることができない。
僕は両手でおでこの上にひさしを作るようにして、そのままおでこをガラスに押し付けると目を細めて外を眺めた。
一瞬、外の誰かと目が会った様な気がして一歩後づさった。
隣のホームには、僕達が乗っているものと同系統じ寝台特急が停車していた。
行き先は上野駅。
道のりとしては、東京と金沢の中間点にあたるということなのだろうか?
こちらの列車が、ゆっくりとその速度をゆるめ完全に停車してから一分と経たずに上野へ向かう特急列車が動き出した。
なぜかそんな動きを見ていて、高校に通っていたときに使っていた私鉄電車を思い出した。
単線で営業をしていたその路線は、いつも同じ時間に同じ駅で対抗列車の待ち合わせをしていた。
ある時はは自分の乗った列車が5分ほど対抗列車の到着を待ち、ある時はこちらがホームに止まりきらないうちに反対側の
列車が待ちきれないように走り出したり・・・。
この路線でも、そんなことがあるのだろうか?
単線でも、一両編成で運行されているわけでもない寝台特急に乗っていてそんなことを思ってしまった。
10分程そのまま外を眺めたいたものの、酔いも醒め少し身体も冷えてきたので自分のベッドへと戻り、上掛けにくるまった。
ゆったりとまどろみながら、まぶたが重くなりだし意識が消えかけたそのとき、ガタン、と列車が動き出したような気がして
反射的に顔を上げようとしたが、結局は顔を上げるどころか、指ひとつ動かすこともできずに僕は眠りへと落ちていった。
2月23日(07:20)金沢駅ホーム
結局、風雨の影響で正常ダイヤに40分程遅れる形で列車は金沢駅へ到着した。
朝飯をかねて立ち食いそばでも、と思ったたもののその値段を見て、即座に却下となった(爆)
とりあえず、荷物をロッカーに突っ込みすきっ腹を抱えて、金沢観光へ向かうことにする。
2月23日(08:00)金沢市内
期待していた雪は実のところ、ここ2、3日の暖かさで融けてしまったらしく、その痕跡すら見つけることができません。
駅を出るときにはかなり怪しげな雲行きだったのですが、百万石通りを過ぎる頃には小雨が振り出してきました。
『まったく』旅の準備をしていなかった犬くんは、傘がないとか、携帯の電池が切れそうだとか、色々とトラブルを抱えていたようです。
だめですね、最低限の準備ぐらいはして旅にはでないと・・・。
普通は『飲み会に行くだけ』なのに、旅行の準備までして家を出てくる人はいないと思うんだが。
とりあえず、コンビニで色々と購入しまずは尾山神社へ。
偶然巫女さんを見かけたり、思ったよりも深かった池に驚いてみたりした後は、雪のないの兼六園へ。
以上、金沢観光終了。
1行で金沢観光終了かよ?
や、だって特に書くことないし(苦笑)
兼六園からの帰り道、アニメイトに寄り道。
東京(秋葉原)では既に売り切れとなっている『Fate』のシングルCD『THIS ILLUSION』の在庫がないか
確認してみると、予想通り店頭在庫20枚程発見。
3人そろって購入。
同封のサーヴァントカードは、私だけ「ライダー」でした。
とりあえず、今回はこれだけでも金沢へ来た甲斐があったと、単純な川崎はこれで大満足。
もう後はゆっくり温泉につかり疲れを落として、この旅を締めくくろう・・・
なんてことをこの時には思っていた。
本番はこれからだったのにね(含笑)
2月23日(13:40)加賀温泉駅
駅の公衆電話から旅館へ連絡をいれ、予約人数を2人から3人へ変更してもらう。
変更自体は簡単にできたものの、若干のトラブル。
本来であれば、予約をインターネットでした時に入力した到着予定時間にホテルから迎えのバスが来ることになっていたらしい。
予約の段階ではそんなこと、まったく考えずに到着予定時刻を入力していた僕らは、予定時間より2時間以上早く駅について
しまっていたのです。
ホテルの車が迎えに来るのは2時間以上先。
それまで時間を潰す場所らしいものは見当たらない。
ただ、バス停の時刻表を確認したところ、15分後にホテル近くを通るバスが丁度出発するので、それでホテルへ向かうことにした。
そしてこの決断が、川崎の運命を変える・・・。
2月23日(14:30)某バス停
バスに15分ほど揺られ、降り立った停留所。
連絡掲示板のようなものが置かれたその場所に、観光タクシーのポスターが張られていた。
加賀温泉駅から巡れる観光ルートを紹介するそれは、ありがちな安っぽい紙に印刷されたなんということはない紙切れだった。
そこには、車で1時間程の距離にある観光地が羅列されていた。
タクシー観光する気もなければ、そんな資金もない川崎は特に気にせずそこに記された観光地を一瞥してさっさとホテルへ向かおうとした・・・。
が、何かが心に引っかかった。
どこかで、最近目にした文字があったような・・・。
振り返り、もう一度ゆっくりそのポスターを読んでみる。
東尋坊。
これは違う、景勝地ではあるが川崎を引き止めたのはこの言葉ではない。
永平寺。
何の寺だったろう? その寺の名前を言葉にしてみる。
永平寺。
道元禅師が開創した曹洞宗大本山
永平寺。
「エースをねらえ」で宗像仁亡き後を引き継ぎ、ひろみのコーチとして就任した桂大吾が入山していた寺。
永平寺
そう、ここまで引っ張っておいて今更何を、といわれそうだが
あの永平寺だ!!
川崎はここで、運命に出会った・・。
などと、一人の世界に入り込んでいる川崎に声を掛ける二人。
まあ、突然「永平寺か!」と一人呟き、動きを止める友人がいたとしたらそーっと声をかけるか、知らないふりをしてその場を
離れるかどちらかだろう。
とりあえず、何事かとたずねる二人に事情を説明する。
このとき「そうか福井県って石川県の隣にあったんだ」と呟いた私は方向音痴の人です。
ちなみに、橘クンは「Fate」フルコンプ済み。犬くんも一応はセイバー編と凛のノーマルエンドまではゲームを進めています。
なおかつ、二人は私が「『Fate』な旅日記」を書いていることを知っている。
明日の川崎の予定が、この瞬間に確定した。
さすがに二人を「『Fate』な旅」に巻き込むわけにもいかないので、今回はパスして普通の観光旅行にしようとも思ったのですが『おもしろそうだから、
キミはやれ。こっちは適当にやるから・・・』
と、二人そろって無責任なセリフを吐いてくれたりした・・・。
2月23日(16:30)山代温泉、某雄○閣
金沢からいける温泉宿ということで選んだ山代温泉。
普通に温泉に入って、酒飲んで、ダラダラしようと思っていたのですが、どうもこの近辺は昔で言うところの色街にあたる場所だったらしい・・・。
で、そんな場所に野郎3人が泊まりにきて、コンパニオンも呼ばなければ○×△なお店に繰り出すわけでもなく、普通にくつろごうとしている。
僕らを不思議そうな目で見る仲居さんの目が、ある意味かなり痛かった。
それでも、僕らは温泉にはいって、酒を飲んでダラダラとすごしたのです。 翌日は川崎だけ5時起きです。
いよいよというか、やっとというか。川崎単独行動での『Fate』の旅が始まる。
2月24日(05:10)起床
宿のモーニングコールで起きだした川崎は、一人着替えをすませ、朝食もたべ(られ)ずに部屋を出た。
前日のうちに、タクシーを手配していた私は、時間通り5時半にフロントに赴くと、丁度入り口に到着したタクシーへと乗り込んだ。
車で直接永平寺に乗り付けるのであれば、1時間ほどで到着するらしいのだがタクシーでそれをやるだけの予算なんてあるわけない。
地味に電車のこと。
2月24日(05:45)加賀温泉駅
ホテルから駅まで約15分。
それでもタクシーに、2千円弱の支払いをして駅に降り立った。
まずは始発の「特急しらさぎ52号」で福井駅を目指す。
平日の始発便、先頭車両に乗っているのは私独りだけ。さすが特急電車は20分弱で福井駅に到着してしまった。
昨日立ち読みした「るるぶ福井」の知識を総動員して、私鉄の連絡口へ。
改札を抜けると丁度、永平寺方面へ向かう列車が出発するところだった。
時刻表を確認すると、この列車を乗り過ごすと次の列車は30分後。
ギリギリのところで乗り込んだ私は、5分ほど息が切れて座席に座り込んで動けなかった。
とりあえず、少しでも早く写真撮影を終了させて、二人に合流しなければということでそれなりにがんばっていたのです。
が、この旅自体が飛行機が千歳にいけなかった、というトラブルから始まった旅。
素直に、こちらの思惑通りには進まないことは、まあなんとなく予想はしていました。
過去・・・ナ旅3回の旅でそれなりに、早朝の移動には慣れているつもりでいた私ですが、ひとつだけ失念していたことがありました。
神戸市も、品川区も、福島市もそれなりに大きな都市だったということ。
しかし、永平寺はかなり、それなりに、山の中にあるということを・・・。
つまり、永平寺口駅もそれなりな山奥にあるということを、現地に着くまで私はすっかり忘れていたのです。
永平寺に向かうバスの始発は7時24分。
30分は待たないと始発のバスすら出発しないということ。
そして、30分間何もせずにすごすには、今日の気温はやっぱりそれなり寒かったのです。
かといって、ここでもタクシーを呼んで、というわけにはいかない。
駅備え付けのパンフレットを見てみたら、バスでは410円で着く永平寺もタクシーで向かうとなると、やはり2000円弱かかってしまうとのこと。
寒さに震えながら、素直にバスの始発を待ちました。
凍えた身体を始発バスの揺れに任せて約15分。
永平寺近くのバス停に到着した。
2月24日(07:40)京福バス 永平寺バス乗り場
写真は到着したバス停の反対側にあった出発用のバス停。
元は連絡鉄道の終着駅だったとのですが、廃線に伴いバスの待合所になったとのこと。
バスに揺られている間に幾分体力の戻った川崎は、小走りで永平寺へと向かったのですが・・・。
この坂の先に見えるのが永平寺。
『本日は、入門したばかりの僧達の行事が執り行われているため、
最低でも9時半までは中に入れません!』
券売機で券を買い、入り口でそれをモギリの僧に渡そうとした瞬間に言われた言葉です。
さすがに1時間半も時間がかかるとなると、単独旅行ではないのでこれ以上二人を待たせるわけにもいかない。
断腸の思いで戻ろうと思い、その連絡を携帯で連絡したところ、
『そこまで行ったら、見てこなきゃ』
と、言われてしまいました。
その言葉に甘えて、とりあえず1時間30分待つことにしました。
が、店はやってない、ただ待つには寒すぎる。
困った私は、さっき来た道を30分歩いて戻りその後30分かけて永平寺まで戻り、30分商店街の道を
行ったりきたりして時間を潰しました。
永平寺入り口
ほぼ9時半丁度に団体旅行の一団と一緒に大部屋に通された。 永平寺に関して、簡単な説明と注意事項の説明があった。
巡回ルートを外れないこと。
建物内の写真は自由に撮ってもかまわないが、フラッシュは使用しないこと。
そして、修行中の僧は絶対に写真に撮らないこと!! これが、後々私を苦しめることになるのです。
永平寺内を探し回りやっと見つけた山門内部の撮影ポイント が、やっとたどり着いたその場所は、
坊さんであふれかえっていた(爆)
朝は入門した僧の行事が。
この時間は逆に修行を終えて、帰っていく僧が山門から出て行く行事の真っ最中だったのです。
永平寺の山門は一般の修行僧の場合、入門する時と修行を終えて帰る時、この2回しかその門をくぐることが許されないとのこと。
で、その行事がどんなものかというと・・・
なんと写真撮影会(爆)
最近のお坊さんはハイカラです。最新デジカメ等を構え今日帰っていく3人の僧と記念写真を撮っています。
まあ、それはそれでほほえましい景色ではありますが、そんな状況が30分近くも続くと、いいか加減にしろ!
と、悪態もつきたくなります。
バス停から福井駅行きの直通バスには乗らないといけないのに、時間は既に10時25分。
「きみら魂抜き取るぞ!」と悪態をつきたいのを精一杯我慢して、彼らが解散するのを待つ。
そんな忍耐があってこの写真となりました。
ビニールシートが張られているのは、工事中というわけではなくて、単純に雪よけのためと思われます。
確かに、あれがないと廊下は雪まみれになりますね。
撮影終了後、駆け足でバス停向かう私には。名物である「永平寺そば」や「ゴマ豆腐」を食べる時間も、
お土産として購入する時間もありませんでした。
や、まさにキミらしい(苦笑)
その後は無事合流を果たし、列車を乗り継いで東京に戻ったものの秋葉原でいつものように買い物をしていたり、
飲み屋で熱く「Fate」を語る3人組がいたりしたのですが、まあ、そんなのはいつものことなのでここでは割愛。
以上で『「Fate」の旅 第四弾』も終了。
さすがに第五弾はないとは思いますが、ある日突然ひょんなことから始まっちゃうかもしれませんので、
ま、ちと覚悟はしておけ(笑)