(その1)

 永遠不滅の大傑作、ワンチャイ2「男児當自強」を見た人間が必ず一度はかかる病気、それが「白蓮教知りたい病」である。

 「白蓮教」は世界史の教科書にも出てくるくらいだから言葉に馴染みはあっても、その実態まではよく知らないのが普通。

 ワンチャイ2での描き方があまりにも強烈なために、「本当にあんな団体があったの?」と調べたくなるのが人情というもの。


 白蓮教が、中国史の表舞台に顔を出すのは2度あって、一度目は元末の「紅巾の乱」(1351〜1366)。元滅亡〜明建国へと続く、この大農民反乱の主力が白蓮教徒であり、「白蓮教徒の乱」という場合も。


 二度目は清代嘉慶帝の時代に起きた「白蓮教徒の乱」(1796〜1804)。紅巾の乱と区別して「嘉慶白蓮教徒の乱」という場合もある。


 「嘉慶白蓮教徒の乱」以降、白蓮教は反体制の邪教集団として弾圧され、表向きは「白蓮教」という名称は使われなくなる。しかし白蓮教系の秘密結社が消滅したわけではなく、主に北方において八卦教、天理教、在礼教、義和拳教などへと引き継がれた。

史実の白蓮教の装束(清代)


 とすると、ワンチャイ2の時代(1900年頃)に「白蓮教」という名称を冠した団体がおおっぴらに存在したとは考えにくい。

 より史実に沿うならば、「ラスト・ヒーロー・イン・チャイナ」のように「義和拳」とするべきであったろうが、義和拳を悪役とすることを、徐克が嫌った可能性はある。


 中華人民共和国においては「義和団事変」が民族革命運動の先駆と目されているだけに、返還後の香港の状況を思ってあえて「白蓮教」とした?

 もっとも、白蓮教は前述のとおり邪教の代名詞であり、ワンチャイ2以前にも「方世玉大破白蓮教」など「白蓮教」を悪役として描いた武侠映画は数多くある。単純に武侠電影の悪役ならば白蓮教・・・くらいの認識だったのかもしれない。


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