(その2)


 「白蓮」の名の由来は、南宋初期、蘇州延祥院の僧、茅子元が創始した「白蓮宗」であるとされる。

 ややこしいことに「白蓮教」と「白蓮宗」はまったくの別物。「白蓮宗」は念仏による弥陀信仰や、集会の際に男女を区別せず、信者の妻帯、在家出家を許すなどの特殊性から異端視はされたものの、れっきとした仏教の一種。この「白蓮宗」の教義を借用し、終末思想を加えたのが「白蓮教」であるという。


 白蓮教への加入に際しては、「打丹」と称される儀式が行われた。新入教徒は教義に背かぬことを誓約。一方、教首は新入教徒の姓名を記した紙を焚き、天上の神へ新入教徒の名を報告。

 「打丹」とは「仙薬を作る」を意味し、法力によって無敵の体を作ろうという意図が現れているという。

 天地会の加盟儀式として知られるのは「血酒」。雄鶏の頭を落としてその血を椀に溜め、新入教徒の左手人差し指を切って出した血を混ぜ、誓紙を焚いた灰を加えて飲み干すというもの。ワンチャイ2でも似たような儀式が描かれていた。

 白蓮教の説くところは、「現在は釈迦仏掌教の時代だが、やがて「劫」が起こり、弥勒仏掌教の時代が現世のうちに来る。幸福を願うものは今のうちに弥勒仏を信仰し、打丹銭(お賽銭)を出せば、劫の後に何十倍、何百倍になって還ってくる」というものであった。

  掲げたスローガンには、
 「反清復明」(清を倒し明を復興する)
 「打富済貧」(金持ちを倒し貧乏人を救う)
 「官逼民変」(官の搾取が民を反乱させる)
 「替天行仁」(天命により仁政を行う)
 などがあった。

 もともと明朝樹立に関係が深いだけに(明の太祖・朱元璋は紅巾軍の兵卒から身を起こした)「滅満興漢」(満族を廃し、漢族支配を復活する)といった民族的なスローガンも掲げたが、基本は貧しい農民を対象とした<反体制・反官憲>であった。

  
義和団旗と義和団兵士

 日清戦争後、列強の侵略が民衆を圧迫するようになると、「洋」(外国)への反感が高まり、その風潮を受けて山東省の義和拳は「扶清滅洋」の旗を掲げる(1899年)。

 山東省巡撫・毓賢は団練(官許の自衛組織)に倣い義和拳を「義和団」として公認し、「洋」へ対抗する軍隊として組織しようとする。

 やがて義和団は鉄道、電柱など「洋」を象徴するもの全てを攻撃、ついに1900年には天津、北京の市内に進攻、列強の公使館を包囲するに至る(義和団事件)。


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