■05.09.2001 (Wed):『リリクス・トゥ・ゴー』

■おはようございます。GW後の会社同期飲み会でオモロく有意義な話で楽しめた一方、知らず(飲めないくせに)レッドゾーンを越え、胃腸エンジンブローのspinnです。うう。火曜日は強烈なスローダウン走行。移動にマイナス修正。HPゲージは紫色。30時間食べてなくても平気なので、さぞやダイエットにいい感じ。
■そんなサラリマンらしい・だるい体調が面白いので、非常にさわやかで大好きなm-froの大ヒット曲・『come again』を聴いてコントラストをとってみました。思った通り、そして思った以上に全然雰囲気に乗れなくて面白い。I am not what I was。プチ多重人格気分を満喫です。
■で、だ。その『come again』の歌詞の中に、「着信のチェックしてみても you won't apper」ってフレーズがあるんだ。「着信」。これってさ、あえて指摘するまでもなく、携帯電話に関連した・いわばアイティー用語だよね。ケイタイが5000万台だか普及して・みんなが持ってる持ち物になったってことが、チャートにはいる普通のポップスの歌詞になったことで完全に証明された気がしたよ。
■思い起こせば90年代の前半くらいに、平沢進/P-MODELが暗めな雰囲気で手をつけたり、戸田誠司が『hello world』(1995)でネット関係の言葉を音楽にしたとき、アイティー用語はやっぱり先端なイメージを持っていたと思うんだ。平沢進はそれをロマンチックかつゴシックにとがらせ、戸田誠司は明るくキッチュな冗談に仕立てたと。
■それから数年たって、あの確信犯的下世話さ(←誉めてます)で大ヒット中のモーニング娘。の曲に「サイト」とか「メール」とかって単語が入ってきたあたりで、アイティー用語のポップ化が始まったんじゃないかな。とかってなんか小難しい言い方になったな。なんつーの、「アリになった」感じがしたんだよね。
■そして『come again』あたりで、アイティー用語の完全ポップ化が達成されたと。僕が知ってる範囲だけで書いてるからかなり乱暴だけど、大まかな時期はそんなズレてない気がするが、どうか。
■そして気になるのが、「ビデオ」とか「テレビ」とか、もっと言うと「映画」とか「電話」が最初に音楽の歌詞になったのって、いつだったのかな〜っていうことなんだよね。電話なんて今じゃ当たり前すぎてアクビの出るような小道具だけど、それが先鋭的なイメージを持ってた時期と、その先鋭さが失われた・ポップになったって瞬間が必ずあったんじゃないかなって。「クルマ」とかさ。
■さらに言うと、それが「先鋭的」である限り・イメージをエッジ立てて扱ってる限り、ポップにはならないんじゃないの?って気がするんだ。会社で先輩が言ってた「売れてるものってどっかダサいよね」って言葉が思い出されます‥‥‥っていうと、売れセン狙いの凡庸路線推奨派みたいだけどそうじゃなくて。先鋭的だと思われていたイメージを最高のタイミングでポップ化することにこそ、なんての、大量生産プロダクト作りの妙味がある気がするんだよね。
■例えば最近のTVゲームの世界だと、「新鮮さ」とか「新規性」の無さが問題になったりします。確かに、既視感全開の続きゲームがつまんなく見えちゃうのはわかる。でも、だからって、ついていけない程エッジの立った「新規性」をぶつけてみても、イメージに対して訓練された先鋭な世界の人だけにしか伝わらない可能性があるんじゃないかなって思うんだ。そして、伝わらない先鋭イメージには、ポップなものとしては結局意味がない気がするんだよね。
■僕も現代美術とか先鋭的なものとか好きだしそういう世界を応援してるんだけど、ゲームは現代美術じゃないよな。そんなことを考える胃炎まじりの水曜日の朝でした。ちょっと寝て会社行こうっと。それじゃ、またね。