僕は笑顔が大好きだ。それは男女に限らずである。男の笑顔は場を和やかにし、女の笑顔は場を明るくする。人によって笑い方も様々である。大笑いするやつもいればクスッと笑うようなやつもいる。手を叩いて爆笑する人もいれば、声には出さずに笑ってる人もいる。顔では笑ってるのに目の奥では笑ってない奴もいる。様々だ。手を叩いて爆笑する人に関西人が多い、と聞いたことがあるが本当なのだろうか?
一般的に笑顔というものは素晴らしいものだ。笑顔ひとつでがらっと空気が変わってしまう。例えば、喧嘩をしたあと等で気まずい雰囲気になったとしても、笑顔1つあれば全然仲直りできる空気に一転する。笑顔は他人の心だけではなく、場の空気をも一転させる力を持っている。笑顔は偉大だ。
僕の学校の友達の中にこんなやつがいる。めちゃくちゃ仲が良いというわけではないんだけど、でもなかなか愉快な奴が居る。彼は良いやつだ。彼のすごいところは、すれ違った時にたとえ用事が全くなかったとしても笑顔で僕と目を合わせてくれる。その笑顔につられてこっちの顔もほころぶ。彼を嫌うような奴もいるだろうが、大概の奴はそんな些細なことでも彼に対して好印象をもつようになる。実際良い奴なんだが。
この話の流れでは、笑顔というのは無害なんじゃないかと思ってしまいかねないが、ここで題名を思い出してみよう。「功罪」なのだ。だからこれからしばらく「笑顔は罪だ」という方向から話して行こうと思う。
どういう場面で笑顔が罪になりうるのか。身近な例は何かの勧誘であったりセールスマン、と言えばおわかりだろうか。通信販売の番組を御覧になったことがおありだろう。深夜にも関わらず、昔一世風靡した芸能人がしきりに包丁やビデオカメラや宝飾品を宣伝する番組だ。あれを見ておわかりだろうが、テレビに写っている人間は全員常に満面の笑みを浮かべている。この笑顔につられて購入してしまったりするもんだ。でもそんなケースはまだかわいい。 もっとタチの悪いのは、悪質な商品の押し売りやキャッチセールスと言われるものだ。敵もさるもの、男には若い女性を、女には若い男性を販売促進員にしてセールスを行う。男なんてスケベな生き物だからちょっと可愛い系の女の子に声をかけられて笑顔で話をされるとついつい勘違いして悪のりしてしまう。気が付けば契約書に印鑑が……、ってなことになる。これは厄介だ。宗教の勧誘セミナーや街角のセールスには御注意を。
こうしたことを考察していくとある結論が得られる。
笑顔は多かれ少なかれ人の心の奥に入っていきやすいということだ。そこに笑顔という誰もができるものでまた意図的に作れるものが持っている「功」と「罪」が見えかくれする。僕の仲の良い友達連中はみんな可愛い顔をして笑う。あの笑顔によく救われることがある。自然な笑顔ができる人に悪人はいない、と思いたい。
ただ、初対面の人に笑顔には慎重に対処して行った方が良いかもしれない。でも僕としてはその人の笑顔を信じたいのだ。