、なかなかに良い響きの言葉である。ここで言おうとしている夢とは、就寝中に見るような類いの夢では決してない。DREAM。

 僕の夢は今までコロコロ変わってきた。最初は大概の男の子がまず夢見るであろう電車の運転士。家の近くに近鉄電車の駅があってよく見に連れてきてもらってたらしい。鉄道模型を親が買ってくれた、っていうのもあるんだろうけどね。次に思ったのは警視総監だった。警視総監とは警察機構の中でのトップの人なのだが、小さい頃には僕は「警察の社長」って呼んでたのを覚えている。警視総監、っていう言葉を知ってる変な幼稚園児だった。幼稚園の文集にも確かに書いてある。

 小学校に上がってリトルリーグで野球をやるようになってからプロ野球選手になりたくなった。高校野球とかで活躍していた桑田や清原に憧れていた。逆転のPL、て言われてた頃の話だ。プロ野球は広島ファンで、当時のエース・北別府投手や故津田投手を応援していた。

 小学校高学年から中学生にかけて歴史に異様な興味を持つようになり、歴史学者にもなりたかった。歴史好きの親父に感化され、親父に数々の名所・旧跡を連れ回されての結果そうなってしまったのかもしれない。高校に入って世界史をやりだして余計になりたくなった。それプラスαでピアニストも目指した。男でピアノを弾けるっていう格好の良さに自ら酔っていたのだろうか。

 医者になりたい、って思ったのはいつ頃だっただろうか?僕の祖父は開業医で、孫の目から見ても立派な医師だった。聴診器1つだけで大体の病気の目安がつくくらいの腕を持っていた。注射も上手だったし、慕ってくる患者さんも多かった。僕が幼稚園の時に祖父が急性心筋梗塞を起こして死の淵をさまよっていた時でも患者さんに、「早く跡を継いであげないと、おじいちゃんが大変よ」って良く言われた。その時、長くて3年、と宣告されていたにもかかわらずそれから20年も現役で診療を続けていた祖父に今でも憧れを抱いている。

 まあ、色々な夢を見てきたが、今の自分が選んだ道には何の悔いもない、‥‥‥と思う。しかし「たら・れば」を考え出したらキリがないし。今のこの道の先には僕はまた大きな夢を抱いている。内緒だけど。

 夢は見るものではなくて叶えるものなのだ。夢を見るのは個人の自由だが、それを掴む努力をすることが大事なのだ。夢を語ることだったらだれにだってできる。言い方は悪いが、口だけの奴っていうのはいくらでもいる。

 夢半ばにして挫折、という経験は僕にもあるが、それはそれで構わないと思う。ちょっと矛盾してるかもしれないが。自分の夢に関して、どれだけ真剣に考え、いかに努力をしたかをじっくり考えてみることだ。諦めずに頑張ることがどれほど自分にプラスになるのかを。

 前も言ったが、諦めない奴にはそれだけの結果がついてくる。高校の先輩で一度大学を卒業したのに夢を持ち続けて頑張って勉強して医学部に入った人を知っている。しかも女の人で。人生80年の現代になっても、時間なんて本当に早く過ぎていく。いつまでも自分の夢に対して正直に生きていきたいものだ


2000.06.28



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