生い立ちと発症

ゆうすけの生い立ち 発症 告知 後悔の日々


ゆうすけの生い立ち

星ゆうすけは、1994年の4月に我が家の長男として生まれました。
生まれたとき、体重は4130g、体長は49.6cmというおおきな赤ちゃんでした。
当時、私たちにはもうすぐ2歳になる長女がいました。
家族が増えたことと、待望の男の子だったので本当にうれしかったです。
 

しかし、それもつかの間でした。
異常に気づきだしたのは、生後3〜5ヶ月を過ぎた頃でしょうか?
ミルク(人工乳)を飲む量が少なく(吸う力も弱い)、首のすわりが遅く感じられました。
長女の場合、約3ヶ月で首がすわりはじめ、5ヶ月を過ぎる頃は、ひとり座りができていたからです。
でも、当然個体差が発生してもおかしくないので、しばらく様子をみることにし、発育発達フォロ−を
受けることにしました。


発 症

星それから後も何度か診察と検査も受けましたが、特に大きな異常はみつからず、徐々にミルクも増え
(体重は約8kg)ほぼ1年が経過しました。

しかしそれは突然やってきました・・・

  
その日(95年12月26日)、この地方には珍しく雪がつもっていました。

ゆうすけも2日ほど前からカゼをひいているみたいでしたが、さほど気にとめず病院へは行きませんでした。
しかし、この日の朝、呼吸が苦しそうだったので、急いでかかりつけの総合病院へ車を走らせました。
普段なら、30分で着くのに、雪による交通渋滞のため2時間かかりました。
私はこのとき運転をしながら、いいようのない不安にかられたのを憶えています。

星10時過ぎに病院に着き、先に妻とゆうすけを降ろしました。
かなりの時間駐車場の空きを待ち、駐車場に車を入れ診察室に入ると、年末だけあって患者さんでごった返しています。
ゆうすけは別室で点滴をしていました。
先生の診断は、カゼだとは思いますが、念のためレントゲンを撮っておきましょう・・と言われました。
私達は「あぁ点滴が終わったら帰れるナ・・」と、思い込み勝手に帰り支度をしていました。
  
レントゲンがあがると、先生から「ちょっと待って、心臓に異常がある!」といわれました。
一瞬にして、部屋に緊張がはしります。
・・・心臓に?
心筋が約2倍の厚さまで腫れあがっていたのが判明したのです。
前回(夏)のそれに比し、写真を並べると素人目にも一目瞭然でした。

急転直下、即入院の手続きともう少し詳しく診察する為、私達も立会いで
心エコ−をとることになりました。
エコ−と聞いただけで、胸騒ぎとともに胃がキリキリと締め付けられる感じがしました。
妻は今にも泣き出しそうです。

やがて別室に移動し、心エコ−の準備ができました。
A先生がエコ−の操作を、B先生が画面を見ながら、各部位や心筋について詳細に説明をしてくれました。

「今までかなりしんどかったでしょう、よくがんばったね、ゆうちゃん・・・」
・・と、先生から説明がありました。

そうです、ゆうすけはそれまで必死で私達にSOSを発していたのです。
それに気づいてやれず、ゆうすけに申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
もっと、はやく気づいてやれば・・・
妻は「ゆうちゃん、ごめんねごめんね」と、泣いています。

心エコ−は説明を含め約30分〜40分で完了しました。
このとき、心臓が悪かったから発育障害がでていると思い込んでいました。
これから、因果関係も調べていきましょう・・先生にそう言われるとなんだか安心できました。
ともあれ原因がわかった・・
「あぁレントゲンをとっていてよかった・・」と思いましたが、
このレントゲン撮影が、後に我々の試練の幕開けになっていたとは、この時想像だにしませんでした。

星安堵したのもつかの間、入院その日から容態は悪化の一途をたどり、呼吸が荒くなる一方でした。
肩でせわしく息をするようになり、P−Oメ−タ−(心拍数、血中酸素濃度(SpO2)、心電計のモニタ−類が
ゆうすけに取り付けられました。
小さく細い腕には、点滴が入っています。
病室にはひっきりなしに先生や看護婦さんが出入りをし、私達自身も落ち着きをなくしつつありました。
あらゆる検査が同時進行で行われますが、主治医のA先生の顔色がさえません。

妻がゆうすけに
 「しんどいんか?」、「ごめんね、ごめんね」
と、声をかけ体をさすっていますが、呼吸をするだけで精一杯のようすです。

入院2日目には酸素テントになりました。
脈拍が150を越え、血中酸素濃度の低下が確認されたからです。

手が細かく震えていて、好きな絵のついたコップが持てなくなっているのに気づきました。
みるに堪えられない状況です。
刻一刻と悪化していく様子に、わらにもすがりたい気持ちでした。

妻は病院に泊まりこみ、ゆうすけの顔をみては泣いています。
元来、ノ−テンキな私もこの時ばかりは不安で足が地に着いていませんでした

でも、昼間は仕事があるので、後ろ髪をひかれる思いで、職場にむかいました。
正直な話、ゆうすけのそばに付いていてやりたかったです。

そして冬休みに入るや否や、早朝より病院へ通い詰める毎日でした。
朝の8時か9時には病院に着き、夜は10時頃まで病室にいます。
えもいわれぬ不安な時間が過ぎていきます。
妙な胸騒ぎと不安を覚えながら、また帰途に着く・・それの繰り返しでした。

しかし、その不安は現実のものとなって目の前に立ちはだかったのです。
年の瀬の大晦日の23:00過ぎ、電話がありました。
病院でゆうすけにつきっきりの妻からで、泣きながらの容態の急変を告げる内容です。
泣いているため、詳細がよくわかりません。
聞いた瞬間、「まさかっ?」と思いましたが、ゆうすけの顔が脳裏をかすめます。
・・・なにかあった?・・・
とるものもとらず外に飛び出しました。

自分で車を運転していこうとすると、父親と兄からきつくとめられました。
事故を懸念しての事だと思います。このとき私は完全に自分を失っていたと思います。
結局、兄に病院まで送ってもらいましたが、道中生きた心地なんてせず、
ただただ、祈るような何かにすがりたいような気持ちでいっぱいでした。
病院までの道のりが、途方もなく長く感じられました。

やっと病院に到着しました。車から飛び降ります。
しかし小児病棟は本館の後方にあり、しかも四階となっています。
 「ちくしょうッ!・・遠すぎるっ!!!」

照明の消えた長い廊下を全速力で駆け抜け、一気に階段を駆け上ります。
 「間に合ってくれ!たのむッ!たのむッ!


二階を通過し、三階へと上っていきます。
「あと、一階・・・」
肺と心臓が悲鳴をあげ、体が酸素を要求しています。
頭が酸欠状態になっていくのがわかります。
クラクラしながらも、やっとの思いで四階に着きました。

四階の鉄の扉のノブを渾身の力で引きます。
目の前はナ−スステ−ション、そのとなりが処置室です。

 「ゆうすけぇっ!!!!!」

叫びながら処置室に飛び込みました。

否応なしにゆうすけの土気色の顔が目に飛び込んできます。
半開きの目・・ダラリとした手足・・・先生と看護婦さんが慌しくうごきまわっています。
  
見た瞬間、ハンマ-で殴られたような衝撃が走りました。
   ・・・もう、だめや・・・
たまらず、その場に泣き崩れてしまいました。

しばらくして、ゆうすけが退室してきたときには人工呼吸器が装着されていました。
もちろん、人工呼吸器なんて機械を見たのは初めてだったし、ゆうすけの体のあちらこちらから
チュ−ブやらモニタ−線やらが出ています。
それを見ると、こみあげてくるものを止めることが出来ませんでした。

「ゆうちゃん、しんどかったやろ?」、「よう、がんばったね」
先生や看護婦さんが、私達の代わりにやさしく声をかけてくれます。
そのさりげない言葉や気持ちが、とてもありがたかったです。
  
赤みが戻ったゆうすけの唇が、今でも脳裏にやきついています。
今すぐにでも抱きしめてやりたかったけれど、それもままなりません。
少し落ち着いてから先生からの説明で、
 「痙攣と呼吸不全・心不全を起こし、自発呼吸がなく非常に厳しい状況です。油断ができない状態です。」
立っているのが、やっとのくらいのショックを受けました。

先生といくつかの会話をやりとりしたあと、しばらくのあいだは、ボンヤリと過ごしていたと思います。
先生がなにか説明されていましたが、頭に残りませんでした。
やがて少し落ち着いて、私が妻に「今夜は、おれがここに泊まる」と言いましたが、
逆に妻と兄に強く説得され、妻だけを残し家路につきました。

時計の針は、年が明けて午前2時をまわっていました。


告 知・・・

星 入院して7日目(1996年1月2日)、やがて各種の検査結果が出てきました。
ゆうすけをみると尋常ではなく、体の中でなにかがおこっているのは、明らかでした。

私達は、病室から一歩も出ることが出来ませんでした。 精神的にかなり参っていたと思います。
おじいちゃん、おばあちゃんも病室に駆けつけてくれますが、ゆうすけからはわずかな反応しか返ってきません。
みんな、みんな心配してくれました。
でもゆうすけを見るとあまりの変わり様にみんな無口になり、病室が沈痛な雰囲気につつまれます。
  
何時間も私と妻との間には会話がありません、ただ、ゆうすけだけをみつめていました。
部屋には、ゆうすけの肺に酸素を送りこむ呼吸器の、単調で無機質な音だけが響いています。
とてもつらく、長い時間でした。

とうてい、正月を祝う気分にはなれません。
入院以来、私も妻も一睡もできない毎日を過ごし、神経だけがピリピリしました。
食事なんてノドを通りませんでした。

そして翌日(1月3日)、
先生(お二人)から、ゆうすけくんの病気についてお話があります・・といわれ、
妻と二人で説明を聞くことにしました。

冒頭の説明で開口一番、
   ・・・血液検査の結果より、乳酸とピルビン酸の数値がケタはずれに高い・・・
と、言われましたが、それがいったい何を意味するのか、私たちには チンプンカンプンでした。
さらに説明が続きます。  


そもそも、乳酸、ピルビン酸とは体の老廃物(かなり乱暴ですが)のことで、必要以上体内に
蓄積されると、たまらなく体がしんどくなるそうです。
特に、運動前後で測定すると、その差が顕著にでるとききました。 

ちなみにゆうすけの数値は、仮に成人男子が100m全力疾走のペ−スでフルマラソン(42.195Km)を、
完走したとしても、こんな数値にはならない・・とんでもない数値だったみたいです。
通常、溜まってくると体が自然に代謝活動をし尿とかで排泄、体のバランスを保ってくれる・・・
説明は3時間にもおよびました。
そして、最後に病名通告がありました『・・ゆうちゃんはミトコンドリア病の疑いがあります・・・』

星ミトコンドリア病・・詳細についてはリンクを参照ください。
ごく、簡単に説明すると、そもそもミトコンドリアとは細胞(ヒトの場合:約60兆個)のなかにある器官で、
発電所のような役割を担っています。

通常、そこで作り出されなければいけないエネルギ−が、
作り出せなくなる病気です。
すなわち、そこの細胞が生きていくのに必要なエネルギ−が足らないということは、そこの細胞は
減少の一途をたどることになります。
その結果、血中の乳酸値やピルビン酸値が高くなるそうです。

よって、ミトコンドリアが正常に機能しないとエネルギ-代謝が行われず、骨格筋形成障害や脳機能障害、
四肢筋力低下を招き、ひどければ心臓や呼吸器系に障害をおこす、非常に恐ろしい病気です。
ただし、患者により様々な症状があらわれます。

その、目安として血中の乳酸やピルビン酸の数値を調べることにより、ミトコンドリアが正常に
働いているか、否か?が大体判別できるそうです。 
目ではみえませんが、ヒトにとって最も重要な器官のひとつであると言えます。

ならば、見かけ上乳酸およびピルビン酸の値を下げればよいのでは?
という、声も聞こえてきますが答えは否です。
たしかに、そういう療法もあるらしいのですが、これは対症療法であり根治療法とはいえません。
なぜならば、ミトコンドリア自体が活動を行っていないため、その結果高乳酸、高ピルビン酸値になるからです。

さらに先生より、この病気と確定するためには筋生検を受ける必要があります・・と説明がありました。
筋生検とは体の筋肉の組織を抽出し、染色体の遺伝子の塩基配列(C、G、A、T)、を調査することです。
これらを染色し、どこのミトコンドリアDNAが変異あるいは欠損しているかを調べるものです。
  
今度は私が質問しました。この病気は何人くらいいらっしゃるのですか? なおるんでしょ??
先生は首を横に振りました。報告は数えるほど(当時)、しかも乳幼児期の確定は報告例がない・・・
いまのところ、決定的な治療法はなく、そのときに併発する合併症を抑制するのが精一杯・・・
説明をする先生の顔は苦渋に満ち、目には涙が浮かんでいます。
先生も辛かったと思います。
わたしたちも泣いていました。

聞けば聞くほど、奈落のそこに落ちていくのがわかりました。・・・助かるんだろうか???
ゆうすけは、しんどいのを口にもだせず、ひとりで我慢していたかと思うと、たまらなくなりました。
  

筋生検の結果、3月にミトコンドリア脳筋症(MELAS(メラス))と確定されました。

後悔の日々・・

星その間ゆうすけは人工呼吸器と点滴(3ヶ所)、カテ−テルによる栄養補給によりベッドに横たわっていました。
なんとも、痛々しい姿です。
ひと月前までは、想像できなかった現実を目の当たりにしています。
それが、突然・・しかも我が子が、とんでもない病気とわかった・・・。
かわれるものなら、かわってやりたい・・・
色々な思いが倒錯しました。

今まで、子供たちと遊んでやったことがあっただろうか?
いつも忙しく、あとで遊んであげるから・・・と言ってなかったっけ?
   
自慢ではありませんが、私は今まで子供達のおしめはほとんど替えたことはなく、
たまの日曜日なんて自分の好きなことばっかりして、家にいたことなんてありませんでした。

これから、遊ぼうと思ってもいっしょに遊ぶなんてできなくなる・・それどころか、この先どうなるんだろう?

ゆうすけの体をさすってやりながら・・・
またさすってやることしか出来ない自分が情けなく、涙が止まらなくなりました。

このときはじめて
親として何もしてきてやらなかった事に気づき、今となっては何もできない自分に腹を立てました。

TOPへ戻る       次へ