ちょっと真面目めな話1st。

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・大まかなストーリー 
・何故におもろいのさ?
・人が忘れし心
・すねに傷を持つ物



〜大まかなストーリー〜
「WILD ARMS」
 荒野と口笛とジーンズが似合うRPG。1000年前の<大戦>で使われた禁断の兵器・ARMを使用できる
渡り鳥の少年(渡り鳥とは、依頼されたトラブルを解決して、その報酬で各地を渡り歩いて生きるさすらいの旅人の事)・何かの重い理由を秘めて、「より強い力」を求めて旅するトレジャーハンター・ガーディアン(万物に宿り、世界を守護するもの)と交信の出来る「巫女」の3人を主人公に、荒廃して行く世界「ファルガイア」で繰り広げられる物語。1000年前の<大戦>で封じられた「魔族」との戦いを主軸に、3人の心情、素性が明らかになってゆく。

・・・・とまぁ、こんな感じです(俺のつたない文章ではこれが精一杯)。

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 ・何故におもろいのさ?〜何故おもろいのか?ときかれれば、ストーリー・(サブ)キャラ・音楽・遊び心の4点を満たしてるからだと思うのです。まずストーリー。敵がいて戦うのはRPGの当たり前ですが、その中に主人公の考えの変化・成長が見て取る事が出来るのです。1であれば「自分の居場所探し」「自分は本当に必要とされてるのか?」ということ(すねに傷を持つ物の項参照)。これらの疑問から物語が始まり、プロセスを経てそのキャラ自身が自分で必ず答えを見つけるのです。やはりプレーヤー側にはストーリーに関わる疑問を疑問のままにして欲しくは無いと言う気持ちがあると思うのです。(勿論自分で想像するから面白いんだと言う部分もあるのですが)。

 そしてキャラ。先ほどのストーリーに乗れる程のキャラがいなければ、例え話しがが良くても駄作になってしまうと思います(逆もまた然り)そして主人公だけでは話は進みません。話しを更に彩るサブキャラが必要なのです。完全懲悪では無く、敵側にだってもちろん信念・画策・憎しみ・愛情があるのです。最近やっているゲームでこの両方を満たしているものはそうは無いと思います。芝居で言えば「おいしい役ばっか」それがWILD ARMSのキャラだと思います。

 ミュージック・これは本当に自分の好みになってしまうのですが、良い、本当に。「希望に満ちた悲しみ」というコンセプトに基づいた音楽。口笛・サックス。曲に関してのうんちくをたれられるわけではないので、一番分かりやすい言い方をすれば、「最後のシーンはやさぐれずに見れた」と言うことです。それだけの魅力が前に述べた3つにあるからこそ俺はやさぐれずに見れたと思うのです。

 そして最後に遊び心。前三つを満たした上で、常に遊び心を加えることで、さらにゲェムは面白くなると思います。戦闘システムを改善して見たり(フォースゲージの項を参照)、ベタなやられキャラがいてそのかけあいに大笑いして見たり(1ならば魔族のイレギュラー・ゼット)。隠しボスを倒す為に世界中を回って見たり、闘技場でひたすら戦って見たり、クレストグラフを全部そろえて見たりと、クリアーしてからもできる事が山ほど有ります。また昔懐かしい所をパクってみたりしてもいます。俺は攻略本の「作った人に聞け!」みたいなコーナーを笑いながら呼んだのはこいつが始めてです。

 あと付け加えるとするならば、操作が快適。フィールドで走れるゲェムってそうは無いのでは? 

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人が忘れし心〜「守るものの為に振るう力が最強だ」「誰かに愛されるなら先ず自分から誰かを愛さなければいけない」「自分が痛みをわかることは、人の痛みが分かる事」ファルガイアの人達が忘れてしまった心。主人公達は始め、自分たちもその心に気づかないまま、他の人々に傷つけられていきます。しかし、魔族との戦いのなかで「捨てたもんじゃない人々」と出会い、数々の出来事の中で忘れた心を取り戻していきます。その象徴として復活していくガーディアン・ロードの言葉が印象的でした。

 希望・勇気・愛。この3つの心を皆が思い出し、心に光が宿るとき、人間は思いを力に変え、不可能を可能にする事=奇跡を起こす事の出来る事の出来る唯一無二の存在「ファルガイアのガーディアン」足りうるのです。
   

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すねに傷を持つもの〜1stの主役クラスは皆心に痛みを隠す者なのです。普通の人間にはシンクロすらままならないARMに何故かとても高いシンクロ率を示す主人公、ロディ・ラグナイト君は人を守る為に振るう力=ARMの為に逆に人から恐れられ、疎まれる。

 トレジャーハンター、ザック・ヴァン・ブレイスは復讐の為に「絶対たる力」を探し求める渡り鳥。その力さえあれば復讐を遂げられると。自分の心の弱さに気づかないままに・・・。

 そんでもってガーディアンの巫女であり、今唯一残っている国家「アーデルハイド」の姫君でもあるセシリア・レイン・アーデルハイドは「皆が必要としているのは公女としての自分であって、”私”は必要とされていない」と悩む、悩み多き乙女。この3人がどのように自分の居場所を見つけるのか?というのはやってみてのお楽しみ。いずれ書くかもしれませんが。

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