矢澤金太郎の生い立ち、どのようにして木工に導かれてきたか もっと詳しく知りたい方は エッセイ「私の半生(木工家になるまで)」をご覧下さい。 |
名前について |
よく尋ねられるんですが、本名です。 昔は自宅でのお産が普通でしたが、隣の部屋で赤ちゃん誕生を待っていたお父さんが、 オギャーという声を聞いて、産室に飛び込んだところ、目に入ったのは真っ赤な色をした男の子。 「金太郎みてぇーだ!」と言うなり、それが頭から離れなくて、「金太郎」という名前になりました。 小さい頃から名前でからかわれ、コンプレックスを持って大人になりました。 この仕事についてからは、名前をよく覚えてもらえるという利点が生まれ、 少し昔の損を取り返したような気持ちになっているようです。 でも現在の本人の外見は、写真でご覧の通り、金太郎さんのイメージからは程遠く、 初めてあった人から、「想像していたのとイメージが違う!」といわれることが、しょっちゅうです。 |
家族について |
妻と二人暮らしです。息子良平は同じ町内に居を構え、奥さんと娘がいます。息子も同じ工房内(指物工房矢澤)で独自に仕事をしています。まだまだ駆け出しですので親としての心配は尽きません。娘菜美子は福岡で細々とジュエリー制作に励んでいます。夫と赤ちゃんがいて今はそちらの方で手一杯のようです。 職業柄、子供達と過ごす時間が多く持てました。息子が小学校で「お父さんと過ごす時間」についてのアンケート質問を受け、「みんなよりうちは時間が多すぎて恥ずかしかったから、少なく書いといたよ」と言ったほど。ですから今でも子供達とはよく話がはずみます。 |
住まいについて |
宮崎市の中心部から車で40分位の、小高い山の上に住んでいます。 へんぴで、生活するには不便なところなのですが、囲炉裏のある150年以上たった民家と、 スイスの山村を思わせる景色に惹かれて、住み始めました。 30年余りになります。 |
好きなこと |
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妻からの評 |
アイディアマン。器用。努力家。 冗談好きな、気のいい男であるが、気むずかしい一面もある。 |
弟子達の評 |
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