■ deep storage
 
■ここでは長め・深めに記憶します。

■目次:
 1/4  ニュー・ルック
 11/23  ビヨンド・ディスクリプション
 10/8  メイク・ミラクル
 8/18  ベース・プレイヤ
 7/13  ロード・トゥ・メジャー
 5/12  メドレー・リレーション
 4/12  マイ・レゾリューション
 3/23  マインド・エスカレーター
 3/2  シーズン・チェンジャー
>>以降は過去記事へ


 

■01.03.2004 (Sat):『ニュー・ルック』

■お久しぶりのspinnです。そしていかがでしょう、ニモスピの新しいデザインは? 2004年の始まり、ここに新しいスタイリングのニモスピを先行ロールアウトです。

■3年半前に設計したこのサイトですが、正直ここ数ヶ月、自分の気持ちとデザインとの乖離に悩み戸惑うことが増えていました。かつて自分なりに全てのデザインに意味や機能を持たせていたんだけど、その意味や機能がオレ自身とあわなくなってたんだよね。それに気付いちゃったらもうダメで、持ち前の高速移り気もあいまって更新がすっかり止まってしまいました。携帯からトップページにテレパシー送るのがせいいっぱいだった。

■だけどこの正月休み、帰省した西葛西の実家でまとまった時間がとれたのを利用して、サイトをほぼ完全リニューアルできました。とはいえ気付いてるかも知れないけど、記事の内容そのものにはファイル名含めてほとんど手を加えていません。あくまでも見た目と構成のデザインで、ニモスピに世界観を再定義→全体を再編集した感じなんだよね。

■その世界観‥‥‥コンセプトと言い換えてもいいんだけど、それは「記憶をデザインする」ってことなんです。自己紹介ページにも書いたけど、僕はこの世界の美しさを素敵に面白く記憶したいし、できればみんなも素敵に記憶を記憶できたらいいなって思ったんだ。例えばそうだな、5の平方根を富士の山麓でオームが鳴くイメージで記憶しちゃうみたいに、世界や時間やビートや景色の様々をより素敵かつ面白く記憶できたらいいなって、そんな獰猛なデザイナーズ記憶のご提案なのです。

■気がついたら今年は、僕がWWWで個人ページをはじめてから丸10年を迎える年なんだよね。あれからいろんな人に会って話をして(先月29日にもいい感じに濃ゆく話をしてきたばっかりだ)、自分自身もいろいろ考えてきたつもり。そのあたりのデミグラスソースも全部投入し・そして愛情もひとつまみして、この新型ニモスピもクリアーにドライブしていきますよ。

■http://www.eurus.dti.ne.jp/‾spinn/mnemonic、記憶をデザインするサイト・『mnemonic spinn SR』。まだ搭載できてないページもあるけど、いまのこの気持ち、ほんとなんだよね。

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■11.23.2003 (Sun):『ビヨンド・ディスクリプション』

■こんにちは。カイシャ仕事が一段落したかと思ったら、いきなりチームごとオフィスを移転していたspinnですよ。横浜港湾地区のデッドエンドシティからto everywhere from 中目黒へと移ってきて→軽い目眩をともなう転校感覚を満喫していましたが、もう大丈夫。歩いていける。果てしない大都会でああー果てしない夢を追い続けますよ。とりゃー。

■で、そんな引越活劇の合間には、幕張で開催されていた東京モーターショーにも行ってきました。13日間で延べ140万人以上の来場者っていう公式発表も納得の盛り上がり。週の真ん中水曜日だっていうのに、展示されたフェラーリポルシェマセラティといったハイエンドなクルマやNEWビートル・カブリオレみたいなキュートなクルマに多数の男女が気持ちを突き動かされていました。個人的にはBMWの新しい5シリーズがやばかった。トンビみたいな目で「買えよ」って睨まれた。最近のBMWデザインは評価の分かれているところらしいけど、うーん僕は好きだなー。ほ、ほしい。全部すべて欲しい。

■また、会場ではそんなクルマたちとあわせて、スポイラーやマフラーといったパーツ類も大展示されていました。そういえば以前ともだちの女の子が、ボーイフレンドが自分のロードスターのマフラーを交換してるのをみて「なんでお金かけてウルサくするのか分からない」ってこぼしてたのを思い出した。ちょっとかわいいエピソードで好きな話なんだけど、でもねお嬢さん、その理解はちょっとだけちがう。そういういい音のマフラーはクルマを「うるさくする」装置じゃなくて、あえていうと「クルマが本来もってるいい爆音を引き出す」本性暴き装置なんだ。確かにマフラーって地味なパイプにしか見えないけど、あの管の向こう側・触媒装置の向こう側では、エンジンが耳をつんざくような爆発音を毎秒毎秒鳴らしてるんだよね。

■ここで突然違う話をするけど、似たような本性暴き装置に「禅の公案」がある。「南泉斬猫」とかって聞いたことない? 公案っていうのは、禅の世界で問答や思索に使われる、「無門関」って本なんかにまとめられた意味不明の小話のことだ。このサイトがいい感じにまとめてくれてるのでいくつか読んでみて欲しいんだけど、公案はその意味不明さで、僕やみんなや世界や時間が生後に獲得しちゃった論理を越えちゃう=論理の向こうのエンジン部分を素敵に暴く装置なんだよね。

■確かに論理や理屈って考えの基本になるものだ。でもその基本さって、クルマでいうとハンドルみたいなもんだと思うんだよね。頼むから単純な西洋思想と東洋思想の対立図式なんか思い浮かべないでほしいんだけど(それじゃ中高生の現国レベルだ)、考えっていうクルマを動かす馬力の部分は、ハンドルじゃなくて/気持ちがドロドロっと渦巻くエンジン部分で発生してると思うんだよ。

■でもってさ、考えに迷うときって、論理や理屈っていうハンドリングだけでなんとかしようとしちゃいがちじゃない? それは著作権の話でも製品開発でも同じで、厳密な理屈やマーケティングの理論を突き詰めて論理的に答えを導きだそうとしちゃう。考えが考えを重ねて考えの中で考えを考えぬいちゃう。論理それ自体は悪いこっちゃないし、確かなハンドリング機構は必要で心強いもんだけど、でもそれだけじゃ結局パワー不足は改善されなくて→クルマが前に進まない、そんな場合も多いと思うんだ。

■そして一番問題なのは、パワーのない考えは結局えてして説得力や凄みに欠けるってことなんだよね。特に僕が扱ってるゲームとか、映像とか音楽とかっていうエンターテイメントの分野では、スポーツカーと同じで問答無用のエンジンパワーが際立って重要なんじゃないか。昨晩のRESFESTにゲストで来ていたマイク・ミルズもいってたけど、「いろいろ考え抜いたアイデアより、ぽっと出たアイデアのほうが面白い」なんて話をよく聞くじゃない? それって乱暴に言い換えると、ハンドリングを煮詰めることより・一発のエンジンパワーのほうが大事っていう話じゃないかと思うんだ。

■幕張の会場でフェラーリやポルシェ、かわいいビートルの凄みと説得力を前にして、なんかそんなことを考えさせられたよ。悩んだりもするけれど、結局おれらはやるしかないんだよね‥‥‥なーんて無闇に血圧を上げなら、それじゃ、またね。

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■10.08.2003 (Wed):『メイク・ミラクル』

■こんにちは。ここ数ヶ月の個人的多忙ストームが終わりを迎えた途端、フィナーレを飾るように風邪ひいて倒れ中のspinnですがみなさんご機嫌いかがでした? ここニモスピの更新がすっかりお留守の間もアクセスカウンターを回し続けてくれたみんなに、ほんと多謝。

■さて今日は、そんなストーミーライフに時折のぞく青空のように光を与えてくれた素敵少女まんが、集英社りぼんマスコットコミックス・クッキーから出てる『きせかえユカちゃん』(著者:東村アキコ)をご紹介したい。モデル並の容姿を持つおしゃれ小学6年生・ユカと、親友で古着屋の跡取娘・みどりたちが織りなす、明るく開放的なスピードコメディ。いまんとこ出てる単行本(1)〜(4)を僕は転がるように一気読みだよ(教えてくれてありがとね>フクダいっちー)。いや全く、気持ちいいんだよねー。

■何が気持ちいいって、主人公・ユカの自由さなんだ。思ったことを速攻で口に出し・手を出し・手当たり次第に動かしていく。ユカが動くことで、他のキャラクターの気持ちも洗い出され→思いがはっきりしていく。強い風が雲を払うタイプの自由さが、全編で心地よく吹き荒れるんだ。

■そしてまんがの世界に「おまじない」が導入される3巻から、自由はさらに「奇跡」に向かって奇跡的なミラクル加速をみせる。もともとキーになるキャラクターには「尾行能力」が与えられていて、彼らはいつでも・どんなシーンにも登場できちゃうっていう素晴らしい仕組みがあるんだけど、そんな中に「めちゃくちゃよく効くおまじないの本」が登場することで、強引にみえる奇跡がよりスマートに・納得ずくで実現されちゃうんだよね。そして引き起こされた奇跡によって、キャラクターの気持ちと人間群像と星座はさらにダイナミックに動いていく。奇跡の持つパワフルな駆動力が美しい。実際、ジョジョの「スタンド」並にグレートなシステムだぜ>おまじない。

■スグル、茂、真澄‥‥‥っていうキャラクターの名前から、作者はおそらく極度のジャイアンツファンだと思われる(宮崎出身みたいだしね)。そういえば、ミスタージャイアンツこと長島茂雄・終身名誉監督の常套句に「メイク・ミラクル」って言葉があったよね。これは非常に大事なことなので強調するけど、この「メイク・ミラクル」は命令形だ。Make miracle、奇跡を起こせ。そうなんだ、奇跡は起こすべき目的語なんだ。

■おはなしを真に受け過ぎるなんて滑稽かもしれないけど、僕はこの、自由な動きが奇跡を起こすこと、そして奇跡が世界をクリアにしていくっていうシステムだけは信じていきたいと思う。これこそ希望であり、(誤解承知でいうけど)僕の、信仰、なんだよね。

■担任の定岡先生(すてき!)が僕と同い年だったりして、ストーリー中に仕込まれたバブル期ジョークもいい按配に寸鉄スパイスを効かせてるから、ジュリアナ/紺ブレ/最後は長ゼリフ芝居の時代を潜り抜けたみんなもぜひ読んでみると吉じゃないかと思います。ギャグ中心の1〜2巻もいいけど、ラブ要素が大々的に導入される3巻以降が特に素晴らしいグルーブ感で最高だ。来週15日には待望の5巻も発売されるみたいだぜ(最新情報)。

■ここでいきなり大袈裟を広げるけど、90年代系のロココなマインドが保守ageされる残念焦土のこの'00世界だからこそ、僕もユカちゃんみたいに自由と奇跡とを闇雲に行使していきたい。古人曰く、奇跡はいつでもキミのハート次第(永井真理子)。それでは、またね。

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■8.18.2003 (Mon):『ベース・プレイヤ』

■さても皆さんお久しぶりのspinnです。前回に引き続きカイシャ仕事のオーバードライブが続き中で、なんての、金八風にえば「忙しいって字は心を亡くすと書くんです」的な魔のツイスター領域に飲まれそうになってきたので、きのうの日曜はちょっとお休みして→東京都現代美術館で開催中の田中一光回顧展にクルマを飛ばしていってきました。

■田中一光、という戦後日本を代表するグラフィックデザイナーについて僕はいままで全く知らなくて、無印良品LOFTのロゴをデザインしたのが彼だったことも最近になって知ったくらいの不勉強さなんだけど、会場で見たポスターの数々は僕が当時憧れた80年代西武系文化のテイストをふんだんに湛えていて、「これもそうだったの?」的な発見と親近感がありました。セゾン石丸電気、'85年のつくば万博ロゴも彼の仕事なんだね。なんか僕の中の「高級格好いい」のかなりの部分を規定されていた気がしたよ。すごいひとだあんた(今更)。

■今回の展示のラインナップ自体は、コンサートや展覧会、三宅一生やフェラガモのために彼が手がけたポスターが中心。その一枚一枚で印象的に配置される鮮やかな色は、青・赤・黄・緑というよりは「群青」「紅梅」「山吹」「萌黄」といった和のテイストを持ったエレガントさをたたえていました。会場に入っていきなり産経観世能のポスターから飛ばされたよ。1961年でこのエレガンス。すごい人だあんた(今更)。

■でもそれ以上に僕の気持ちを撃ったのが、その美しい「黒」、だったんだよね。彼の黒は、いつもちょっとだけ重過ぎるのがいい。音楽でいえば、カラフルなサウンドの中を横切って漆黒の影を落とし・マイナスの気圧で周囲のすべてを引き寄せる重たいベース。そんな感じで作用していると思ったんだけど、どうか?

■音楽には、ピアニストの作る曲やギタリストの作る曲、またはプログラマの作る曲ってのがあると思っていて、ミュージシャンが最初に持った(そして最初に魅力を感じた)楽器によって音楽はその魅力の出発点/基本的な性質が決まってくるんじゃないかって思ってるんだけど、その例で無理矢理たとえるなら、彼のデザインはベーシストのデザイン、黒が映え・黒の魅力に溢れたデザインといえるんじゃないかな。

■安藤忠雄による展示デザイン(*参考)も、そんな田中一光の「黒」と呼応するように構築されていたように思う。ポスターを支える壁面は、積み重ねられたクリアなペットボトルで出来ていた。ポスターを入れたパネルも4隅を留めるネジまでクリアなアクリルでできていて、天井からの照明はそれらクリアな素材で乱反射して展示室全体を光で満たしていた。PET(ポリエチレン・テレフ・タレート)とアクリルという最も現代的で軽やかな素材と光によって、田中一光の重い黒はさらにコントラストと音圧を上げて、僕の気持ちにズーンと響いたんだよね。

■深いグレイと漆黒の間で繊細に表情をかえながら、大胆に冴えるBass.田中一光の凛とした黒の低音。その黒によって、より鮮やかに冴える色と色と色。一光デザインのもう1つの特徴である美しい明朝書体とも共通する「エレガントさ」と「凛々しさ」は、そんな彼の黒によって生まれてくるんじゃないかなって思ったよ。会期は8月末までともうあまり残っていないけど、ぜひみんなも彼の黒を堪能してほしいと先生は思います。

■一方、僕が日頃仕事として携わっているテレビゲームってば、最高の黒がブラウン管/トリニトロン管/液晶/プラズマ表面のグレイになっちゃう・「黒」の出にくいメディアなんだよね。そんな事情もあって、彼がみせた凛々しい黒に憧れの気持ちをうっとりと描きつつ、彼のエレガントさを心に1・2と数えて明日から仕事に戻ります。いい休日でした。それじゃ、またね。

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■7.13.2003 (Sun):『ロード・トゥ・メジャー』

■いやーこんにちは。久々のテラモトは複数年単位でやってるカイシャ仕事がまさに最終局面に向かい中につきロ・ロ・ロ・ローリング。でもってそのう、なんだ、いま皆さんのモニターが照らし出すこのニモスピ更新ページも全く放っときで申し訳ない2ヶ月と1日だったんだけど、でもでも今日は、今夜だけは、異常のない西部戦線の塹壕で描く鳥のスケッチのように、ビデオ編集のレンダリング待ち時間とか使って書いていきますよ。もう、お久しぶり!

■で、だ。いつのまにか割と板についたカイシャマンとして働く僕にもかつては学生時代があって、10年前のあの時あの頃を時々思い出したりするわけです。あれから幾千の刻を越え・変わってしまった世界や僕のあれこれに思いを馳せてみると、ああそうだ、当時の僕には「専攻」ってパラメータがあったなーなんてね、思い出すよ。文学部・行動科学科・認知情報科学専攻。科学が2回も出てくるあたり、なんだか必死さがあって気に入ってたな。

■2年のときに選択したこの「専攻」によって、以降ぼくが受ける課目やゼミの方向性が決められていった。でも、そういった制度の問題以上に、「専攻」が決まってたおかげで→僕自身の世界の見え方に1本筋が通って、その後数年の面白さに繋がってたような気がするんだよね。ただ漠然と世界を眺めるんじゃなくて、「認知情報科学」ってキーワードを基点に世界や時間にフィルターをかけて毎日を過ごしていたおかげで、本筋とはなれた一見関係ない教養課目や適当に読んだ本、極端にいえば友達とのバカ話まで、ひとつのテーマにリンクさせながら吸い込めてた気がするんだ。

■一方、現在の僕は専攻のないフリーテーマの時代を迎えている。まあ、「職業」とか「職種」が専攻のかわりになってるのかも知れないけれど、僕の場合それは「プランナー」というえらく一般名詞に近い名前になっている。それは専攻と比較するとやっぱりどこか散漫で、当時ほどの野蛮で獰猛なリンク感/吸い込み感には乏しい気がするんだよね。僕は最初、この悲しい散漫っぷりは加齢に伴う残念ポイントなのかと思ってたんだけど、どうやらそうじゃなさそうだ。加齢はいつも僕らを甘い赦しで死に誘いこむけど、そんなに人の考えや気持ちは弱くないよ。掃除機の吸い込み口を細くしたときみたいに、ひとつのテーマを気持ちにガッチリ宿しておくだけで、日々受け取るネタのリンク度合いを強められるんじゃないだろうか?

■そしてまた、これが受け取り側だけでなく→出力側の話になったときも、「専攻」をうまいこと明確にしておくことで、リンクしやすい・食べやすいものが出来るんじゃないかなって思うんだよね。背理ちっくに裏の例をあげると、たとえばわれわれ人類が片岡鶴太郎の絵を見ると混乱しちゃうのは、彼の専攻がまだ「お笑い」に設定されてることになってるからじゃないだろうか? それは逆にいえば、「専攻」でラベルしてあげることって、出力したものの説得力に大きく影響しちゃうってことなじゃないかと思うんだけど、どうか?

■そんなわけで、僕は再び「専攻」を気持ちに再設定していきたいと思う次第なんだよね。まずは(1)世界と時間と宇宙と様々を僕の中にギュンギュン吸い込みやすくするために。そして(2)僕の書くこと・出力することが、もうちょっとみんなに使いやすくなるように、ね。

■そして専攻の問題は、ネーミングの問題になってくる。専攻名はなんてつけよう? うーん脳みそしぼれうーん。いまの僕の専攻は‥‥‥「記憶のデザイン」かな‥‥‥なんてね。どう? 現状ではおそらくフリーテーマの混沌に飲み込まれてるここニモスピも、多少は読みやすくなったり、しない?

■とかってところで、西部戦線に響く1発の銃声のようにレンダリング終了のアラーム音が鳴ったので、はいはい僕は作戦に戻ります。それじゃ、またね。

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■5.12.2003 (Mon):『メドレー・リレーション』

■こんにちは、こちらは1ヶ月ぶりのテラモトで申し訳なく思いながらの更新活動です。お、お元気でした?

■僕はといえばこの1ヶ月、アメリカで行われる大型展示会イベントに向けて高速テンテコを舞ってたんですが、そんな高回転域ライフの中には、キラリと光る奇跡のような素敵時間もありました。それはカイシャの先輩・Wさんの結婚披露宴に出席させていただいたときのこと。

■仲間うちで盛り上げる「二次会」ではなく→フォーマルな「結婚披露宴」ともなれば、二人は市ヶ谷のチャペルで永久(とわ)の愛を誓うし、ご両家のご親族の方々も多数ご出席そして見守ろうというもの。実際80人近い出席者の半数はご両親や伯父様・伯母様・従兄弟といった親族の方で構成されていて、宴もたけなわでスピーチとなれば、絵に描いたような「お酒の入った親族」から絵に描いたようなヤジが飛びかい、お二人を祝福していました。もう、本当に素敵空間でしたよ。

■ここで印象深かったのは、日頃同じプロジェクトで仕事をしているWさんにもやっぱり愛する彼女がいて、二人のまわりには友達そして親戚っていう名のたくさんのつながりが存在してるってことだったんだよね。「氷山の一角」っていう比喩はこの場合あんまり適当じゃないけど、カイシャで会うWさんお1人の後ろには、実はたくさんの・本当にたくさんの人と人のリレーが広がっているんだなって。特に親戚が描く宇宙には、友達とは比べ物のならないほどバラエティに富んだ、世代もムードも違う人々がつながっていくんだなって再発見させられた。いやー、仕事中はそんなの全然意識してなかった。正直はっとさせられました。

■そうだよね。僕にだって親戚がいるように、Wさんにも誰にも親戚がいて、その影響はどこまでも広がっていくわけだ。例えばさ、僕が依頼した仕事でWさんが休日出勤すれば、結婚式に向けての準備は微妙に後回しになって、Wさんや彼女のご両親を心配させる。その心配は昼の電話で福島の伯父さんに伝わり、大変だねえ大丈夫かねえと夕食時の話題になる。「Wさんってお仕事は何なの?」「確かゲームとかファミコンとか」「何だかよくわからないわねえ」なんてね、不安が加速しちゃったかも。その不安は寝て起きた翌朝、お隣との挨拶で話題になるかもしれない。メドレー状の影響リレー。そんなイメージだ。

■ここでいきなり話を広げるけど、こういった親戚影響リレーのイメージは、プロダクトにだって当てはまるわけだよね。ある製品にとって、手にとって買った購入者/使用者っていうのはいわば「氷山の一角」で、その背景にはたくさんの影響が広がっていくわけですよ。「デジカメ」っていうプロダクトには購入した「使用者」と同じくコドモや仲間といった「被写体」がいて、そして撮影された写真はそのまた友達が見て、写真の話は噂になって他の人に伝わっていく。「マイク」って製品にはボーカリストがいるだけでなく、ステージを前にした聴衆がいて、感動が伝われば翌日登校したクラスでその話ばっかりしちゃうかも知れない。

■一方でね、オタク的とかいわれるプロダクトに何か特別な性質があるとすれば、そういったリレー状の影響が広がらないところじゃないか? なんて思ったりしたんだよ。かなり乱暴な図式化だけど。

■例えば、ここに何らかのガシャポンフィギュアがある。燃えるね、乃至萌えるよ。僕は嬉しくてそのフィギュアをパソコンの前に置いて‥‥‥それで完結しちゃうことが多くない? たとえ反応があるにしても、(MUGA様とオータムさんのように)同質のお仲間だったりしてさ、すぐに回路は閉じてしまう。行き止まりプロダクトのクローズドな世界。そんなところが(本人はともかく)外野から見たオタク的プロダクトの残念なところかもしれないなって、思うんだよね。

■もちろん、僕はオタクプロダクトを否定するつもりはないし、ピンポイントで鋭い快楽を発生させる唯我な生き方も全然アリだと思います。思うんだけど、これがひるがえってプロダクトを作る側の話で、作ったものが大きめの広がりをもって支持されたいとか思う場合は、受け止める人だけじゃなく、受け止めたものが第2・第3の人たちに波及していく感じを想像できるかどうかがカギじゃないかと思うんだけど、どうか? もちろん買ってくれる第1の人は大事だけど、その人のことばかり考えすぎちゃうと、作ったものがいつの間にかクローズドな、オタクっぽい空気をまとっちゃうかもなんて思ったりした、美しく晴れやかな祝宴の日だったのです。

■さてさて、そんなところで今日の更新情報なんですがー、えー、とくにありません。これからもニモスピは粛々と侵攻していきますのでどうか変わらぬご支持をお願いします。それでは、またね。

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■4.12.2003 (Sat):『マイ・レゾリューション』

■こんにちは。新開発の『ソリッド・スイート・リスニング』ばっかり更新してて、またまた3週間にわたってニモスピ本体がお留守になってたテラモトです。ごめん。お元気でしたか?

■前回更新からのことを思い起こせば、TVではひっきりなしにイラク戦争の映像が流れていたよね。闇を切り裂いて空に発射されるミサイル・地上を走る戦車・爆煙・砂塵・犠牲者・爆撃。悲しく残念な意味をまとった映像の様々を観て、それでも僕が再確認しちゃったのが、なんての、戦闘機がね、えー、やっぱり格好よすぎるんだよねー。

■実際さっきもTVで原子力空母カール・ビンソンの同乗取材番組をやってたんだけど、完璧な角度の尾翼が美しい最新鋭戦闘機・F-18C ホーネット、そして何より僕が子供の頃から大好きだったE2C ホークアイ(左図)の登場に僕の両目は釘付けですよ。なんか困っちゃうけど、でもやっぱ、格好いいわ。うっとりの極みだ。

■E2C。それは1973年に初めて実戦配備され、それからもエンジンやレーダーそしてコンピューターシステムに改良が加えられ続けた結果→最新バージョンでは300万立方マイル(=1辺が230kmの立方体)の空間にある600のターゲットを同時に追跡可能という艦上早期警戒機だ。機体の中央に設置された、回転する円盤状のレーダーがワン&オンリーで素敵じゃない? どうよ?

■ところで、RPGのパラメータじゃないけど、世界にはいろんな力があるよね。攻撃力・防御力・機動力。家族を養う経済力、オーディエンスを酔わす歌唱力。力にいろいろあるけど、僕はこのE2Cが持つ「認識能力」に焦がれちまうんだ。その気持ちは大人になった今も強くなるばかりで、僕はより遠く、より詳細に、より様々なチャンネルで世界と時間を知りてえとか思うんだよ。

■全くイヤになっちゃう話だけど、世界は本当に本当に本当に豊かで、僕が知っているのはその一部でしかない。例えば僕はまだツンドラも熱帯も氷河も砂漠も知らないから、僕の気温感覚の解像度は−4℃からせいぜい37℃くらいまでしかないと思う。バグダッドの映像が流れたとき、僕はアラビア文字の意味を想像さえできなかった。毎日乗る電車の運転手の人は、時刻表を(僕らが利用してる分単位じゃなく)30秒単位で制御してるらしいじゃない? 視覚に障害のある人は、空気の流れや反響音の圧力で部屋の形状を認識できるっていうじゃない? 僕の目がみてる光線も、400から800ナノメートルまでのごく狭い幅だ。ワインの味だって3つくらいしか知らない気がする。それにそう、僕はまだ、季節の移り変わりだってパーフェクトに察知できてるとは思えないんだよ。

■クオリティ・オブ・ライフとか言ったっけ? 日々や生活を豊かにする方法はいろいろあるなか、僕としてはこの豊かな世界を、もっともっと高い解像度で知りたいと思うんだよね。世界や時間や宇宙自体はマジで圧倒的に豊かで、僕の時間は十分過ぎるほど短い。そう思うととても楽しみだ。

■とりあえず、毎日毎日セロハンテープのついたコンビニごはんばっかり食べるのだけは止めにしてーなーとか思いながら、それじゃ、またね。

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■3.23.2003 (Sun):『マインド・エスカレーター』

■はーいこんにちは。また3週間ぶりのニモスピ更新の瞬間に立ち会うのはテラモトですよ。この3週間といえばイラク関係ニュースであり、僕もご多聞にもれずTVを流しっぱなしにしてるわけだけど、今回はすごいね。攻撃対象の都市が爆撃されてる映像が、あんなにも鮮明にお茶の間で観られるとは。それも完全衛星生中継だ。

■確認の意味をこめて書いておくけど、大放送されているこうした映像は、原爆キノコ雲や9.11のWTC画像と同じく、オブセッションとして僕やみんなや世界の記憶に自動的に記録されちゃうものだよね。チグリス川沿いに列をなしてあがる爆煙。アラビア文字がオリエンタルな気分を誘う、カタールの衛星TV「アルジャジーラ」のニュース画面。衛星電話経由の、写メールみたいな画質の映像もキャラが立ってる。こういった映像は「ホロコースト」や「カミカゼ」といった言葉と同じくやがて記号になって、きっと将来も利用されていく筈だ。

■とはいえ僕は、今更ナイーブな陰謀史観やケンリョクのメディアセンリャクトークをしたいわけじゃない。世界的に映像のボキャブラリーが増えていく事態に対して、記憶と認識を裏テーマとするニモスピとしても、えー、重大な関心をもって今後の動向を注視していきたいと思っているところです。

■そして一方、ダーク渦巻くナーバスな世界と時間に対しては、僕は平常心で日常生活していきたい。オレのZOCは結局オレの生活だし。率先して楽しく音楽も聴くし、冗談も言うし、そして今宵は松本人志『スーパー一人ごっつvol.1』のDVDを取り出し、もう何度目かの視聴をしていくぜ。プレステ2の電源ON。再生ボタンをポチっとなー。

■松本人志とスタッフが神経を尖らせて構築した、鬼気迫る「お笑い」を楽しめるこのDVDは、あらゆる瞬間に濃密なアイデアが配置されてて圧倒されます。なんか、一時期インフォメーションアートとかゆって流行ったこういう写真を見たときの気持ちに近い。全く感心しきりだ。

■そしてDVD本体とはまた別に、僕は添付のブックレットの方でもえらくひっくり返されたんだよね。それは番組を構成した「師匠」こと倉本美津留氏が書いた「面雀」の解説コメントなんだけど、ああもう、直接↓に引用するよ。

面雀:
 [略] 言葉の断片が書かれた牌を二つ組み合わせて面白い(想像が広がる)言葉を作って競うというシンプルかつ [略]
■え?‥‥‥『面白い(想像が広がる)』? そうだよ! 「面白い=想像が広がる」なんだよ! 想像が広がっちゃうものを、人は面白いと感じるんだ。当たり前みたいな話だけど、いやだからこそ、こんなに明瞭に定義されたことは今までなかったんじゃないかな。ゼルダの例のゲット音が爆音で脳裏に鳴り響く。こんな大変な叡知を、さらっと書いちゃっていいのか?

■想像が広がる面白さ。ここで思い出すのが、2chなどを中心に爆発的な進化を続けるアスキーアート(通称AA)のことだ。AAが面白いのって、見る人自身が・文字の組み合わせから絵を「立ち上げる」ところじゃないかって思うんだよね。ひらがなの「で」と「つ」を組み合わせた「でつ」からスヌーピーの顔を立ち上げる。「にっこり」の4文字からヤンキース松井の目/鼻/頬骨/耳を立ち上げる。その想像する1アクションが、AAを面白くしてる要素のひとつだと思うんだ。

■で、だ。AAの話経由でさらに思い出すのが、ファミコン時代のゲームのことなんだよね。例えば、昔からTVゲームで遊んでる人と話すと、最近のプレステゲームと比べてファミコン時代の方が「面白かった」なんてね、言われたりします。その理由はいろいろ考えられるけど、ひとつには、単純なドットの組み合わせだった当時の8ビットグラフィックには、フォトリアリスティックな今のゲームと比べて「想像をはさむ余地」があったってことが、理由になるかもしれない。

■赤や青や黄色のちっちゃな組み合わせから、陽気で頼れるイタリアンの配管工を想像する。彼の股下にコインの絵をもってきて、キンタマリオとか言う。そんな想像の余地それ自体が、すでに面白ポイントだったんじゃないかなって思うんだよね。

■ハイエンドゲームの現場にいる僕にとって、こういう話はちょっと悲しく耳の痛い話でもあります。でもねー、だからって、僕はやっぱり8ビット時代にまっすぐ帰宅しちゃうのも芸がないなって思うんだよねー。もちろん、僕自身も8ビットグラフィックは大好きなクチだけど、解像度が低くなくても、想像の余地は十分つくれるんじゃないかなって思うんだよ。8ビット時代は勝手に用意されてた「想像の余地」を、高解像度・高速処理・大容量メモリならではやり方と面白さで作れるんじゃないかと思うんだけど、どうか?

■想像の余地のデザイン技法。それは例えば、透明な「風」や「温度」や「匂い」や「手触り」や「薫り立つ色香」や「秘めた想い」をどうやって想像させるか? ってことかもしれないよね。そしてそこでは、現実ワールドの詳細な観察とリスニングに併せて、8ビット時代の「ハート=体力回復」や「紫のビン=毒」みたいな想像を呼び起こす方程式、つまりニュース映像発のオブセッションや/映画やドラマが多用する映像記号の使いこなしもカギになるかも〜なんて思います。僕は絵描きじゃないけれど、想像させちゃうデザイン技法なんて、企画屋的にもわくわくするテーマな気がしてきた。

■さてさて、そろそろ今回の更新ネタいってみましょう。とはいえニモスピ内では特に変更点はないんだけど、前回更新時からスタートさせたサウンドクリップサイト・『ソリッド・スイート・リスニング』の方はほぼ毎日ペースで更新中。もう8年近くWWWサイトとかやってるけど、僕自身こんなペースで更新するのは初めての経験なので、相当やりやすいんだなと自分でも思います。こだわりのセレクトでお送りしていますが、あんまり音楽を聴かない人こそ楽しんでもらえれば。なんたって文章だけじゃなく、クリックすれば音が鳴るからね。よろしくー。

■‥‥‥なんて宣伝トークをエピローグに、今日はここまで。それじゃ、またね。

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■3.1.2003 (Sat):『シーズン・チェンジャー』

■3週間のごぶさたでした。ここしばらく、(後ほどご紹介する)新ネタサイトの準備に明け暮れていたテラモトですよ。つーか深夜帰宅後→朝6時くらいまで作業してたので、「暮れ明けていた」って方が正確かも。そんなとこ正確でもあんまり意味ないけどな。こんにちは!

■いやいやでも、「夜更かししてると朝になる」ってことは、北半球の冬が確実に終わりつつあるってことを意味するんだから意味あるよ。太平洋側にも天気の悪い日がだんだん多くなってきて、今(3月2日午前1時)なんて左のレーダーアメダス画像にもある通り、雷まじりのしっかりした雨がここ横浜にも降っています(そっちは大雨ですね>カズイさん)。うん、確かに春なんだ。春やわぁ。トクントクン。

■‥‥‥とかって妙にしっかりと僕が春を確信してるのは、2/28深夜のTBSで「王様のお夜食」をみたからなんだ。深夜、なんとなくつけた(←ごめんウソ。湯原と北川を見たかったからだ)TVの中に出演してた女の子たちは、メイクも服もヘアスタイルも、みんな完全に春仕様だったんだよね。そうか、春なんだな。彼女たちの姿を見た瞬間、ぱちんと何かの音がして→僕の中の季節モードは完全に春にシフトしたんだ。

■これはよく誤解されてるところだと思うけど、僕らにとって、季節は「世界」じゃなくて「頭の中」にあるものだよね。例えば洋服を選ぶとき・食べるものを選ぶとき・出かける場所を選ぶとき、選択基準はぼくらの中にある季節感じゃない? だとしたら季節は結局、気持ちの問題だって考えても事実上問題なさそうだ。

■そして、季節感が気持ちの問題である以上、ナチュラルな自然現象だけでなく、人工的なトリガー:例えば「味ぽんCM」「風邪、早くなおそ」「一人暮らしのインテリア特集」「土用午の日」「冷やし中華始めました」「Last Christmas, I gave you my heart」なんかだって、僕らの季節感を変えることができるわけだ。今年の春に関していうと、僕の頭の引き金を引いたのは「王様のお夜食」の衣装さんとメイクさんだってことになる。いい仕事だぜ。サンキュー>衣装さんとメイクさん

■季節感を変えるシーズンチェンジャー。ここでその最もダメな例をあげると、それはニュースの常套句である「今日は立春、暦の上では春ですね」とかいうコメントですよ奥さん! もう春が近いですよ的ニュアンスを視聴者に伝えたいのかもしれないけど、明治5年(1872年)に太陽暦にきりかわってからこっち、立春とされる2月頭は冬っぽさのド中心であり、寒いし冬チョコ売ってるしで「春ですね」と言葉でいわれても僕にはちっとも響かなかった。

■でも、「王様のお夜食」は違った。「お夜食」が放送された2/28の横浜は、花粉も飛び・雨も降り・低気圧が通るたび空気中の湿度も少しずつあがってきた時期なので、僕の身体はだいぶ季節がかわる準備が出来あがっていた。だからこそ、衣装から伝わる「春ですよ」ってトリガーが気持ちの中にばっちり響いたんじゃないか。で、この違いはたぶん、簡単にいえば「タイミング」、正確にいえば「僕の中の春の兆し蓄積量」の差じゃないかと思うんだよね。

■つまり、冬の真ん中に「冬ですね」と再確認する場合はともかく、「春ですよ」なんて新規のアイデアを提示するときには、みんなの気持ちの中にどれだけ準備が出来上がってるか=春っぽさがどれだけ蓄積されてるかで、響くかどうかが決まるってことだと思うんだ。そしてね、ここで気持ちの中に「春」って書いたコップがあって→冬は空っぽだったコップに春の兆しが少しずつたまっていくイメージを想像してほしいんだけど、そのコップが溢れる瞬間に「春だなあ」って兆しを注ぎ込めたタイミングのいいヤツが、シーズンチェンジャー=新しさを提示できた人になれるんじゃないかと思うんだよ。

■で、ファッションとか音楽とか(そしてきっとゲームとか)提案性の高いもの、先をよんで新鮮さを提供する場合の極意がここにもある気がするんだけど、どうか? 世界や時間やみんなのトリガーを引いて新鮮さを提供したいなら、みんなの中にある兆しの蓄積っぷりを読む必要がある。シューベルトみたいに死後評価されてもOKなら別に関係ないし・シューベルトの仕事自体は本当に素晴らしいけど、目の前にいま座ってる誰かのトリガーをひきたいなら、「溢れる瞬間」ってやつを読まないといけないんじゃないかってね、そんなことを思わされたよ。

■さてさて、今回は大ネタの更新があるのでそっちの話をさせてください。ADSLにしてからこっち爆発的に聴きまくってる試聴ファイルから、僕好きのするものをピックアップしていくサウンドクリップサイトを、『ソリッド・スイート・リスニング』と題して立ち上げてみました。いわゆるblogスタイルだと上手くできそうだったので、appleple.coma-newsっていうフリーcgiをいただいて苦戦&解析&改造の末にロールアウト。高速回線も普及してきて→レコード会社やレーベルやレコードショップに試聴ファイルがアップされることが多くなってきたのを受け、オレ好きのする「ソリッドさと甘さのコンポジション」を地獄の淵まで紹介していくつもりだぜ。フゴー(鼻息)。

■そして本体サイトでも、ニモスピのゲストブックこと『*riders』の#79にパティさんがエントリー。直接お会いしたことはありませんが、サイトを見るにゲームと音楽とまんがとetc.をきちんと愛するナイスガイとお見受けしました。前回更新のタケコプターを気に入っていただけたみたいで、よかったよかった。これからもマッチョな妄想をワーク・アウトさせていくので、ご愛顧よろしくです。

■ひさびさの大きな雨音が楽しくてベランダに続くサッシを開けてたら、いつの間にか雨は止んでいて、そこから湿気を含んだつめたい空気が入ってきました。これがまた‥‥‥うーん‥‥‥とろけるように甘くてたまらんです。この時期に特有のそんな深夜デザートを楽しみつつ、それじゃ、またね。

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