いじめ。いじめ、ってなんだろうか。
「転校」の所で、以前、僕がいじめられた話を少しした。あれは僕が小学校4年生の時だった。名古屋から東京に 昔、大学の入学試験の2次試験で、「いじめはなくなるか」という題で小論文を書いたことがある。そしてその小論文をもとに、並みいる教授陣の前で自分の意見を述べるのだ。一緒にいた女の子は、「いじめはなくなります。みんなでがんばってみんなで意識してやれば。」と言っていた。彼女の意見は至極理想的で、ある意味微笑ましかったのだが。結局、入学式では彼女は居なかった。これはどういうこと???僕は、その小論文に自分の体験をもとにつらつらと書きまくった。その一部をここに掲載しておく。
僕の結論としては、いじめ、っていうのはなくならないだろう。例えば、人間が2人居たとする。そしたら、どこかでその2人の違いが出てくるハズである。例えば身長・体重・皮膚の色といった外見的特徴、そして金持ちかそうでないかという家庭の事情、他にも勉強ができるかできないか、とか、言葉の訛りとか。そして国籍とか宗教とか。こういうものが絶対どこかで違うハズ。もしたいていが同じであったとしても、思想が違ったり、絶対に違いが出てくるはずなのだ。もし、違いがまったくなかったら、その片方はアポトーシスされるぞ(笑)!!!2人のレベルでもうこんな状態なんだから、世界人口60億人近い現代で争いが無い方がおかしい。そういう対立はあって当然なのだ。
そういう各要素について、優っている者は劣っている者に対して多少の差はあるが優越感を抱くものだ。そしてそこから目に見えるものから電子顕微鏡で見てもわからないほどの小さなものまでのいじめ、が始まる。大きいものの際たるものは戦争である。強国が弱国を攻撃する。これは明らかに虐めである。古来から多くの戦争が繰り返されてきた。戦争になったらまず標的となるのは周辺の弱国である。弱国を潰して国力を増してから大国に向かっていくものだ。当然そこには確固たる思想が存在する。その思想には当然道徳心は含まれていないものだ。もし、道徳心が存在すれば、人殺しなんて肯定されるハズがないだろう。
小さいいじめには思想はあるんだろうか??たいていは無い。「あいつ、ちょっとムカつく」とか「あいつは○○出身だから」とか、っていうような超個人的なものが多い。そこに日本人に特有の群れの意識が存在し、悪く言えば徒党を組んで集団で攻撃する。1人対1人、っていう争いなら全然構わない、と思う。でも、数で威嚇して、って言うのはちょっといただけない。それはチンピラにすぎない。
最近の傾向として、チンピラが増えているのではないだろうか。その代わりにヤクザが減っている。僕にはヤクザの知り合いが居るからよくわかる。変に色々難癖をつけてくるのは大概は下っ端のヤクザ、つまりチンピラ。そういうものだ、と思う。やはりチンピラが増えている。そして今、チンピラは低年齢化してきた。これもちゃんとしたヤクザがいない為だ。
昔はヤクザは、○○組ではなく○○一家と言われ、組長ではなく親分がいた。そしてそういう親分というのは、若い手下、つまり今でいうチンピラを抑えるだけの強さを持っていた。小さなことにはこだわらずに寛容で、また大義の為には意地を通すという義を重んじる部分を持ち合わせていた。親分は弱いものいじめなんかはしない人達であった。それと対照的にチンピラは小さなことに難癖をつけ、義理を通す人達はそう多くはない。ひと昔前なんかは大半の人がチンピラではなく、ヤクザであった。
ヤクザ仁義というものは聞いたことがあっても、チンピラ仁義なんて言葉は聞いたことがないでしょう。そういうことからも、最近はチンピラの増加、そしてその低年齢化が背景にあるのではないか、と思う。
ただ、いじめられる方にも、原因はかなりあるのだ。うじうじしていたり、ちょいと周りよりも変に目立ってみたり、と。日本語のことわざにはこんなものがある。「出る杭は打たれる」。こんな言葉がことわざとして使われている様な日本であるからこそ、こうしたほとんど意味のないいじめ、なんてものがあるんではないか??と思う。
世界を見回してみよう。確かにそういったいじめが無いとは言えない。でも、外国で起こっているような、人種や民族、宗教に対するいじめとはまったくその性格を異にする。何が違うのか。
理屈が通っていないのだ。まあ、理屈が通ってれば良いというものでもないのだが。結局は、自分がしっかりしていなけりゃあ、日本の中だけじゃあなくって外国ならなおさらそうでなきゃあ、周りから相手にはされないのだ。相手にしてくれるのはいじめっ子??
2000.05.04
御精読、ありがとうございました。
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