マッチポイント




 マッチポイント。これを聞いてなにを思い浮かべるだろうか。俺はテニスをやっている。それはこのページを見てくれる人ならもう御存じのことでしょう。つまり、相手に勝つ、というのが決まる直前の状態である。それを取ればこちらの勝ち。相手にマッチポイントを握られていたとしたら、それをとられたらこちらの負け、ということである。マッチポイントをとられるまでは勝負はわからない。というのは良く言われることでしょう。それはテニスだけじゃあなくって、バレーボール・バドミントン・卓球などでも同じだし、将棋でいう「王手」とも同意語である。

 しかしながら、一般的にみて、マッチポイントってあるんだろうか。確かに、マッチポイントというものはあるが、それはただ単に勝負を終わらせる為の規則の1つにすぎないのではないか。大体、マッチポイントがなかったら試合は延々と続いていくだろうから。しかしながら、マッチポイントがなかったらどうだろうか。だらだら延々と締まりのないゲームが続いていくだけである。そこから何かを学ぶことができれば良いが、なかなかそうも行かない。だらだらと続くものからは何の教訓も得られないからだ。反面教師の性格は持ち合わせているだろうけれど。

 さて、僕がなぜマッチポイントについて書こうか、と思ったというと、自分もマッチポイントには色んな思い出があるからだ。その中でも一番の思い出は、大学の硬式テニス部で1回生の時にした5回生のある先輩との2試合である。僕はその先輩と試合をして、先輩のマッチポイントから逆転勝ちを収めたことと自分のマッチポイントからひっくり返されて逆転負けをしたことの両方を経験したのである。最初は4-6 2-5の40-15でマッチポイントを2本も取られていた所からの逆転勝ち。4-6 7-5 6-2。次回は6-2 5-2の30-40でもマッチポイントを1本握ってた所からの逆転負け。6-2 6-7 (7-9) 2-6。その差は何だろうか。

 よく、言われることかもしれないが、「勝ちを急ぐのは良いが、考え過ぎるな]という言葉と、「相手の強きを見て恐れてはいけない。相手の弱きを見て侮ってはいけない。余裕を持つのは良いが敵を侮ると大きな落とし穴にはまる」という言葉がある。最初、先輩に勝てたのは、先輩の方が僕のような1年に負けられない、って考え過ぎてくれたのと僕が先輩の強さに恐れずに頑張ったからと言える。次に逆転負けをしたときは、こっちは「なんだ」と先輩を侮ってて、先輩の方は「何とか一泡ふかせてやろう」と考えていた、その違いであると言える。僕はこの2試合からすごく多くのことを学ぶことができたと思う。本当にその先輩には感謝をしている。幸い、公式戦ではマッチポイントをひっくり返された、なんてことは起こらなかったが、残念ながらマッチポイントをひっくり返して勝つ、ということもまた無かった。

 僕の例えはよくテニスに関するものが多いだろうが、何もテニスに限ったことではない。入試についても同じことが言える。センターですごく高得点を挙げても、国公立大学の2次試験で失敗すれば入学試験には合格しない。逆に、センターで失敗しても−とは言え、大失敗は救いようがないが・・・−二次試験で頑張れば挽回もまた不可能ではないのだ。人はそれを「あいつは運が良いからなあ」と言う。確かに、ハタから見ていたら「コイツ、運だけで生きてるんちゃうか??」と思わされるやつが結構いたりする。まあ、入試なんて運の要素がかなり大きいのは認めざるを得ないが。すっごくかしこいやつでも試験には落ちて来るから。でも、そんな運だけちゃうか??、って言われるような奴でも裏ではそれなりの事をやっているハズである。そうそう運だけではどうこうなるものではないから。ある面での運に味方されているとしても、他の面ではまったくツイていないことだってあるのだ。

 結局何が言いたいか、というと、「諦めない奴にはちゃんと神様?が味方をしてくれる」ということだ。人間、毎日が成長の過程である。ましてや我々のような未完成極まりない者にとっては、絶好の学習の場である。

 マッチポイントという言葉から僕が言いたかったことは、「諦めたらもうそこで終わり。諦めない者には必ずそこから新たな道が開けるのだ」ということ。決してこの言葉はキレイ事ではないのだ。


2000.04.07



-- 以下、追記。---


 誰もが負けたくない。もういいや、って思ってる奴でも、心のどこかでは勝ちたい、と思ってるはず。ただ必死になって勝とうとする自分が格好悪い、と感じる奴はただの「ええかっこうしー」だ。いくら気取ってても気取ってて負けてたら世話ないでしょう。格好悪くても勝ちに行かないといけない場面が何度かは絶対にあるのだ。そして、その為に他人からどう思われても自分の意志を貫く、そういう時が人生の内で何度もあるのだ。それを貫きすぎたら、他人からは決して良くは思われないだろうが。人にどう思われても良いじゃないか。自分の人生なんだから。ここだけはどうしても譲れない、って所、誰にもあるはず。自分のこだわりがある所で実際に退いてしまうような奴には、こだわりがある、なんて言わせないぞ。いいじゃないか、格好悪くても。格好の悪い勝ち方でも、負けるよりは遥かに自分にとっては得るものがあるはず。死にものぐるいで勝ち取るような勝負を人間、どれだけできるんだろう。一旦、その勝負に出会ったら、自分の誇りと存在を賭けてそれに立ち向かう。これが出来る奴は本当にスゴい、と思う。当然、こんな事を言う僕自身もそうありたい、と思う。格好悪いマッチポイントの取り方、格好の悪い勝ち方。これのすすめである。

2000.04.16

-- 以上、追記終わり。---



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