タクシードライバー。別にいやらしい内容ではないぞ。期待されてたんだったら申し訳ない(笑)。
個人タクシーの運転手についてである。個人タクシー、として働くことができるようになるには、まずタクシー会社の社員として乗務し、3年間、無事故・無違反・無警告、を成し遂げなげればならない。その間に1度でも違反があったらダメ。警告ですら許してはもらえない。
僕はあまりタクシーに乗る機会はない。まだ学生だし、そんなに頻繁に場所を行き来することもないからだ。もし行き来したかったら、電車やバス、自転車という交通手段を用いれば済むことである。身近に車を自由に使える友達や知り合いがいたら、それに乗せてもらったり借りたりする。僕がタクシーを使う時は、学校の友人達と酒を飲んでよっぱらって遅くなり、最寄りの駅までの交通手段が無くなり、そこまで徒歩orランニングで移動するにはちょっと遠めの距離の移動だけである。でもそんな時は大概深夜だから、深夜の割り増し料金をとられてしまう。
僕はタクシーの運転手と話をするのが大好きだ。タクシーの運転手、てなかなか物知りだ。知ってるのは道だけではない。色んなこと、特に人間の観察力が鋭い。
先日、梅田からタクシーに乗った。これまた飲んでておそくなってしまったからだ。乗ったタクシーは個人タクシーであった。僕は当然のように運転手さんと話をした。
僕:「いつもJR大阪駅で待ってるんですか??」
運:「いつもではないけど、まあおいしいごちそうを待ってるんや」
僕:「ごちそう?」
運:「遠距離を行ってくれるような、おいしい客、ってことや(笑)」
僕:「なるほど、僕がごちそうでなくてごめんなさいね(苦笑)」
運:「(笑いながら)ホンマや。一目見て、こらあかんな、って思ったわ」
僕:「えっ?? 一目見ただけで?」
運:「そうや、個人タクシーは一目で客を嗅ぎ付けることができるんや」
僕:「へえー、それはすごい」
運:「それができひんかったら個人タクシーはなかなか儲からん。慣れや慣れ」
「要領が良くないと、個人タクシーなんででけへん!!」
こんな会話が頭に残った。タクシーの運転手、とりわけ深夜に走ってるドライバーは、そういう長距離をかせいでくれる客を待っている。なかなか当たらないらしいが、1回当たったらやっぱりデカいらしい。そのデカさを得たのに味をしめて梅田や天王寺、難波といったターミナルにタクシーの列をつくるのだ。
どこの駅にそういう「おいしい」客は多いなんてわからない。でも彼等は経験的に知っているものだ。曜日であったり、時間であったり、・・・。そういう経験をタクシー会社勤務時代に学び、それを個人タクシーとなってからその経験に上積みをし、さらなる発展の際の武器として用いるのだ。
たとえば医者の世界なんていうのもそうだ。医学部を卒業して、国家試験に合格したところでいきなりモノになる、とは考えられない。研修時代にできるだけ多くの経験を積み、勉強し、それを生かすことでだんだんと使える医者になっていくのだと思う。医者だけではなく、会社員でもそうだし、バイトに関しても同じことが言えるだろう。
経験。これだけは焦ったところでどうしようもない。しかし、その経験と積むのに時間をかけすぎても、一線で活躍できる時期は短くなる。ということは・・・。中身の濃い経験を積んでいくことが大事である。それにはどうするか?
日々是経験である。どんなささいなことも見逃してはならない。そして、それを頭の中で、あるいはメモなどにして書き残しておいたものを、反芻して考える。これが大事である。
人間は考える葦(あし)である。17世紀の数学者・物理学者・哲学者、パスカル Pascal.Blaise の言葉である。