間違いなく、
私の今年度の邦画第1位だろうなあ。ただし、そもそも、観る邦画の数は少ないんだけど。なーんてね。
中島哲也監督の作品は
「下妻物語」(2004年)、
「嫌われ松子の一生」(2006年)、
「パコと魔法の絵本」(2008年)と見てきて、エンタテインメント性に優れた面白さは、いつも期待を裏切らなかった。
洋画中心の映画ファンである私が、中島監督の映画なら観たいと思うのだ。
ほかの監督さんにも素晴らしい人はいるだろうが、私は邦画は多くを見ていないので比較することはできない。
できないが、
中島監督の映画が並ではないことは、わかる。
今回は、じつにシリアスな話を原作(2009年の本屋大賞受賞作)に選んだ。そして、またもや魅せてくれた。
中学校の終業の日。1年B組の担任・森口(松たか子)がクラスで話をしている。
生徒たちの多くは、友だちとおしゃべりをしたり、まじめに聞いていなかったり。
まず思った。こういう光景が、実際にあるのだろうかと。あまりに先生の威厳がなさすぎるのでは?
私自身の経験からいえば、こんなことは絶対になかった。先生の話は静かに聞いていた。当たり前のことだ。
なぜ先生が、これほどナメられるのか。
先行き、将来が明るくないのも影響しているような気もする。
いろんな情報が入ってくる環境で、希望がもてなくて、子どもたちは素直さを保てずに、
刹那的になるのかも。
生徒たちの、エイズについての知識のなさには、
ほんとにあれほど知らないのかと不思議だった。ひとりくらいは知っていてよさそうだし、それこそネットで調べたりできるのではないか。
そこは少し納得がいかないが、まあ、作り事の世界だから、いいとしておこう。
少年法によって、他人を殺しても自分の命は守られている子どもたち。
殺したといっても、そこに至るまでの心理や事情によって、罪の重さには差が出ると思う。
それを正確に判定し、犯人を罰するのは難しいはず。
この映画では、殺人の経過が描かれるから、人の命を尊重しない、こんな奴らは許せない、という気持ちで私たちは観ている。
悪い奴なのに、法律は死刑を与えない。
では、被害者側の家族はどうするのか。その気持ちはどう収めたらいいのか。
ここに示される復讐劇の、ある点については、どうしても賛成はできない。
犯人は、こらしめてやりたいが、どこまでやっていいのかは難しい。
しかし森口先生も、考え抜いたことなのだろう。苦しんだに違いないのだ。…と思いたい。
つい、まじめに語ってしまったが、映画に戻ると。
中島監督の
映像センスやイメージは、今回も炸裂(さくれつ)!
内容は重いが、表現の面白さは、もう、あきれるほどに天才的。ほかに、いい誉め言葉が思いつかない。
ふと思ったのだが、中島監督の海外での評価って、どうなのだろう。輸出されていないのか。いいと思うんだけど。
松たか子の能面演技。(そうでなければ感情に負けて、自分自身がくずおれてしまいそうでもあったのか。最後までやり遂げるためには。そして最後の最後の感情は…。)
その対極に置かれた、
木村佳乃のわざと大げさな演技とその終焉。(最後に、あ、そうだ、日記を書き終わらせなきゃと、なんでもないようにしている様子がすごい。これから、とんでもないことをしようとしているのに。)
人の命を奪うことは、いけないことだ。そのシンプルなことを理解できない人間が出てくるのは、なぜなのか。
人間の、そもそもの性(さが)か。
それとも、この世界の、なにかが悪いのだろうか。