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原実践について

『学校に教育をとりもどすために』(筑摩書房)より

TOSS兵庫・TOSS亭舎場・法則化神戸亭/水田 孝一 

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この授業の原実践は、林竹二氏(故人)によるものである。
林氏は教育学者でありながら、全国の学校を回って「授業行脚」を行なった。
「机上の空論はなく実践で示そうとする姿勢」「力のある資料を提示して子供たちを揺さぶる授業スタイル」は、TOSSに通じるところがある。



  
 林竹二氏の「人間について」の授業実践は、「カマラとアマラ」の他に、「ビーバー」「スフィンクス」などを題材とした実践が有名である。基本的にどの実践も、

@ 林氏の発問に対して1人(または数人)の生徒が答える。
A 生徒の答えを受けて、林氏が語りを進めていく。

という一問一答の「問答」の形で進められる。林氏が提示する写真資料のインパクトの強さ、そして、子供たちに深く考えさせ、感動をもたらす「語り」の見事さは、まさに林氏ならではの名人芸である。では、林氏の原実践を我々がそのまま追試すれば、子供たちは林氏の実践例と同様に深く考え、感動する授業ができるのかといえば、それは難しい。


 それはなぜか。この「カマラとアマラ」の原実践を例にとってみよう。掲載されている『学校に教育をとりもどすために』(筑摩書房)p263〜p280の「行数」で、1時間の授業における(林氏の発言量)と(子供の発言量)を比較してみる。すると、

林氏の発言633行に対して、生徒の発言はわずかに20行しかない。

つまり1時間の授業のほとんどを、林氏の「語り」が占めているのだ。対する生徒は、1時間のほとんどを、「話を聞いて」「考える」ことのみで過ごしている。この発言量からも分かるように、林氏の問いに答える以外に、子供たちが自分の考えを発表したり、話し合ったり、書いたりするなどの「活動」は皆無なのである。これでは、下手に追試をすると、子供たちが退屈して騒ぎ出すことも十分に考えられる。林氏の「語り」の芸があればこそ、この授業は成立しているのだ。

跳び箱を「私なら全員を跳ばせられる」と言った斎藤喜博氏に対して、向山洋一氏は「誰でも全員を跳ばせられる」と言い、教育技術の法則化運動を提唱した。わたしは、「林竹二氏なら授業できる」この名人芸の授業を、法則化の教育技術を応用することで、「誰でも授業できる」形にできないかと考え、この修正追試に取り組むことにした。

 また、この原実践は、定時制高校で行われたものである。「講演」調の授業スタイルとあいまって、話の内容が多岐にわたるため、小学生にとっては盛りだくさんすぎると思われる。


 そこで、修正の方向として、以下の4つの観点を考えた。

@ だれもが授業できるように、「発問・指示」を短く、明確にすること。
A ノートや板書などの「作業」を取り入れ、子供たちが活動する場面を仕組み、授業に変化をつけること。
B 授業者の「語り」だけではなく、討論を含む「話し合い」を取り入れて、子供たち同士で考えを交流させること。
C 小学生でも考えやすいように、内容を精選して、一つのテーマにしぼること。



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