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人間とは何か〜カマラとアマラ〜


林 竹二氏実践の修正追試


TOSS兵庫・TOSS亭舎場・法則化神戸亭/水田 孝一

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6年生の子供たちに実際に授業をした記録である。林氏の「語り」に加え、TOSSの教育技術を生かして、さらに子供たちの考えを深めようと試みた。


 6年生最後の授業参観日である。“人間とは何か”と板書し、ノートに題を書かせたあと、おもむろに問う。

発問1 人間とは何ですか。

あらためて聞かれると、簡単なようで答えにくい問題だ。テンポよく列指名した。

「生き物」「二本足で立つ生き物」などの答が返ってきた。そこで、次のように問うた。

発問2 確かに人間は生き物の一つです。ただし、かなり特殊な生き物です。人間は、他の生き物と比べて、どういうところが違いますか。

指示1 「人間は○○ができる生き物だ。」という形でノートに書きなさい。一つ書けたら見せにきなさい。

丸をつけながら、「○○ができる」の部分だけ、板書させる。

書けた子には、さらに他の考えをたくさん書くように指示した。その結果、

「二本足で立つことができる」       「火を使うことができる」

「道具を使うことができる」           「服を着ることができる」

「家に住むことができる」              「料理をすることができる」

「うそをつくことができる」           「他の動物をペットにすることができる」

「言葉を話すことができる」           「子供を育てることができる」

などの意見が出された。(※「道具」はいろいろ出たが、教師が集約した。)

指示2 この中でおかしいと思うものがあれば、反論しなさい。

自分の家で飼っている犬を例に出して、「動物だって子育てをする」という反論や、動物の擬態を取り上げて、「動物もうそをつく」などの反論があった。その結果、「子供を育てるのは人間だけではないから×。」「擬態はうそではない。うそをつくのは人間だけだから○。」ということになった。

説明1 ではここで、みなさんに一つのお話を聞いてもらいます。1920年に、今はバングラデシュと呼ばれているところ、もとの名前でベンガルというところの山中で、実際にあった事件です。狼の群れの中に、人間の化け物が交じっている。それは四つ足で、ニワトリなんかを盗んでいくときには、狼と一緒に速く走っている。しかし、どう見ても人間の姿だというので、人間の化け物が出ると評判になっていたのです。村の人たちが、この化け物を非常に怖がっていたので、探検隊が組織されて、その化け物の正体をつきとめようとした。親狼を弓矢で殺したところ、狼の子供と一緒に、人間の子らしいのが、二人出てきたのです。捕まえるのにてこずったけれども、何とか捕まえて、カマラとアマラという名前をつけて、育児院で育てたわけです。そのカマラは、スープをやると、こういう飲み方をしました。

写真「カマラの食べ方」を提示した。『狼に育てられた子〜カマラとアマラの養育日記』(福村出版)の巻頭写真である。

発問3 どうして、こんな飲み方をするのでしょうか。

子供たちは最初「信じられない」という顔つきだったが、写真資料を出すと、食い入るような目で見ていた。「手が使えないから。」「四つ足だから。」という反応が返ってきた。

説明2 その通りです。四つ足で歩いているから、手が使えないのです。このカマラは、二本足で立つのに6年ぐらいかかったのです。他にも、普通の人間とは思えないことがありました。言葉が話せない。遠吠えやうなり声は出せた。昼は壁に向かってじっとしているが、夜は行動的で、真っ暗な所でも目が見える。生肉が好きで、腐った肉を食べても、おなかをこわさない。人間の社会に戻されて、一年足らずで、もう一人のアマラが死んだときのこと。カマラは、アマラが死んだことが理解できず、何とか体をゆすって起こそうとした。死体が外に運び出されると、二日間何も食べずに、アマラを探して辺りを嗅ぎまわっていた。とうとうアマラがいなくなったのが分かると、両方の目から涙が一粒ずつこぼれたきりだった。人間の悲しみ方とはずい分違う。

カマラの写真(前掲書)を提示しながら説明した。

発問4 アマラとカマラは人間だといえるでしょうか。それとも、人間だとはいえないでしょうか。「人間だといえる」と思う人はノートに○、「人間だといえない」と思う人は×を書きなさい。書いた人は、そう思った理由も書きなさい。

 姿かたちは確かに人間だが、先ほど自分たちが挙げた「人間は○○ができる」については、何一つできないのだ。すぐに書き始める子、うんうん悩む子、早くも近くの席の子とミニ討論を始める子、反応は様々であるが、集中している様子がうかがえた。「分からないというのはだめですか?」という質問があったが、討論を行うので、どちらかに決めるように指示した。手をあげさせて数を数えると、「いえる派」15人、「いえない派」18人と、ほぼ真っ二つに割れた。これはおもしろい。

指示3 討論をします。机をコの字型にしなさい。

 すぐに「指名なし討論」が始まった。参観日の緊張感からか、問題への集中度が高いからか、いつもならうまくできる「ゆずりあい」ができず、数人が同時にしゃべり出してはストップするなど、スムーズさには欠けたが、迫力はあったように思う。

人間だといえる派

たとえ狼に育てられても、体は人間のままで、狼の体にはならない。

捕まって人間に育てられたら、人間に戻れた。他の動物をいくら人間同様に育てても、人間にはならない。人間に戻れたのだから人間だ。

生みの親は人間である。人間から生まれるのは、人間だけだ。

動物は家族が死んでも涙は出ない。だけど、アマラが死んだとき、カマラは涙を流した。だから人間だ。

人間だといえない派

四つ足で走り、目は暗闇でも見え、生肉を食べても大丈夫なのだから、もう人間とはいえない。

人間に捕まったから人間に戻ったが、そのままだと、狼として一生を終えたはずだ。だから狼だ。

「人間は○○ができる」というのが、一つもできない。そのかわり、「狼は○○ができる」に当てはまることがたくさんある。だから狼だ。

討論の結果、

人間だといえる派   15人→19人

人間だといえない派  18人→14人

となった。「いえる派」が少し増えたのは、“涙”の意見の効果が大きかったように思う。

 参観日だったので、後ろで見ている保護者にも「どちらだと思いますか?」と尋ねてみた。子供たちが一斉に後ろを振り返ったので、みんなギョッとした顔になったが、親の意見も、ほぼ真っ二つに割れた。

説明3 「蛙の子は蛙」という諺があります。蛙の子は、親とはまったく違う姿のおたまじゃくしですが、放っておいても、そのうち蛙になるところからできた諺です。では、同じように、「人間の子は人間」といえるでしょうか。放っておいても、人間になれるでしょうか。これは討論でも意見が分かれたように、そう簡単にはいえないね。狼に育てられた人間は、普通の人間とは異なった生き物になってしまうのです。「人間は放っておいても人間になる」とはいえないですね。「人間は環境の動物」といわれます。育つ環境によって、人間は大きく変わります。君たちがこれからどんな人生を歩むのか、それも周りの環境に大きく左右されます。ただし、環境というのは、与えられるばかりではなく、自分で選択することができます。自分がどんな人生を生きたいかをよく考えて、それにふさわしい環境に自分を置くこと、また、自分自身でその環境を作っていくことが大切なのだと思います。

指示4 今日の授業で考えたことを、ノートにまとめておきなさい。

ノート作業の途中でチャイムが鳴ったので、「書けた人からノートを提出して、終わりなさい。」ということにした。

 授業終了後、数人の子供たちが押しかけてきた。「先生はどっちなん?」まだ討論の続きをしているらしい。「うーん、悩むなあ。」と、ごまかしておいた。「絶対、人間やって!」「ちがう。人間やないで!」と、いつまでも話し合っている子供たちを見て、うれしくなった。


   

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