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イタリア火山ツアー
Italy Volcanoes Tour 2001

Sponsored by:Tokyo Geographical Society :社団法人東京地学協会 第四回海外巡検
Volcanologist: Yukio Hayakawa :群馬大学教育学部 早川由紀夫氏

2001/06/08〜06/15


2001年7月29日設置/8月4日更新
文責・Pochi

Eruption of Vesuvius  1817年 (28.6×39.7p)

Joseph Mallord William Turner (1775-1851)
The British Art Center. NewHaven,CT.

Thanks to J.M.T.Turner Paintings for Study


Photo eqipment
Fuji FinePix S1 Pro(main)
Fuji FinePix 4700z(sub)


5月9日からエトナ山の活動が活発になり、14日には女性が一人行方不明となった。
http://educeth.ethz.ch/stromboli/others/others01/etna01.html#English


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6月8日(金)
成田空港12:30発のアリタリア航空789便でミラノまでノンストップ.
ミラノMilan着18:00.そのまま国内線に乗り換えてCatania着21:35
(シチリア島).ホテルCENTRAL PALACEへ.
シベリアの河川の蛇行に見とれて
いると、山岳地帯に至る。
ウラル山脈であろう。山頂が平坦な
古期褶曲山脈。
いずこの国ともわからないが、
すでにヨーロッパ。
自然河川を擁した街。


カタ−ニャ
時空がゆがんでいるのだろうか。機上の人となって6時間までの長かったこと。そういえば離陸時こん
なエンジン出力でいいの? まだ引き起こししないのとわたしゃ失速を覚悟していたような気がする。
おお、生きてる。
ミラノ・マルペンサ空港経由で国内線乗換え。この路線、デジカメを使っていると注意される。実にきびしく
チェックしている。どうしたんだ。
カターニアの空港へ。ターンテーブルで荷物待ちしていると、先に現地入りしていた早川助教授がEXIT
から入ってきた。あらら。
 これから現地コーディネーターとして同行するのはローマから来た江副さん(字はこれでいいのかな)。
ロスト・バゲージもなく、無事にトランクを回収。バスが空港まで入れないので、荷物はポーターにまかせ、
歩いて駐車場に行く。空港周辺は暗くてあやしい雰囲気だが、カタ−ニャの街は美しい。
ホテルに着いてただちに22:30集合、夕食に出るというので、いそいでシャワー浴び着替えしてると、早川さん
から行かないの? と電話。わあ大変だ、あわただしく駆け下りる。 
ホテル前の道路がエトナ向かうメインストリート、エトネア通りVia Etneaだ。 生演奏の入った広場の向かいの
路地を、 早川さんは入っていく。感をたよりに店を探しているのだという。 
Turi Finocciaroという店のオープンスペースに落ち着いた。dal 1900年か、ふむ。 ビールとワインで乾杯。 
ピッツアの生地はあまり感心しなかったが、これは薄い生地を好む趨勢に慣れきっているから仕方がない。
イタリア語をいくらかたしなむブレイシーズ姿のHさんが、花売り(といってもあやしい親爺)の薔薇を買って、
カミさんともう一人の女性Aさんにプレゼントして、なんとまあ気分のいい宵ではないか.。


ホテルに帰る道すがら、シャッターに細かく穴をあけたタバコの自動販売機を見た。
苦肉の策というべきか。

聖女アガタについて

ティントレット、ヴァン・ダイクなどの宗教画でおなじみの聖女アガタはカタ−ニャと火災、地震、天変地異、
女性胸部疾患などの守護聖人。乳房のかたちから、鐘つくり人の守護者でもある。西暦250年ごろ殉教と
伝えられる。
ヤコブス・デ・ウォラギネ(13世紀ジェノバの大司教)著、『黄金伝説』(第T巻。人文書院、1979)によると、
乙女アガタは貴族の出で、カタ−ニャ市に住んでいた。シチリア州総督クインティアヌスは好色貪欲で、彼
女を愛人にともくろんで出頭させる。信念をまげぬ彼女を、総督はアプロディシアという女郎屋の女将と9人
の娼婦にゆだねるが、30日持ちこたえる(お仕事させられたわけではない)。総督は、われわれの神々に
犠牲を捧げるか、拷問を受けるかの二択をせまり、ついに彼女の乳房を切り落とす。ところが夜中に牢獄
に聖ペテロが出現し(たと言っても彼はイエスと同時代人だからお化けですが)、あら不思議、全身の傷も
乳房も元通りになった。総督は焼けた石炭にガラス、陶片をまいた上に彼女をころがすように命じ、実行し
たところ、大地震が起こったので民衆が押しかけ、牢に戻さざるを得なかった。
アガタは獄中で主に祈って昇天し、葬儀には見知らぬ少年が100人あまりの美青年を引き連れて、誉め
言葉の書かれた大理石板を置いて姿を消した。総督は彼女の遺産を横領するため馬車で出かけたが、
二頭の馬が彼に噛み付き、川に蹴り落して死体はついに発見されなかった。
アガタの死後、一年後の誕生日(2月5日)にエトナ山が噴火した。異教徒たちはアガタの墓に逃げて、
墓を覆っていた薄帛を持ち出し、溶岩流に向かって掲げると、そこで溶岩はぴたりと静止した。

*わたしのコメント。総督は宗教審問として拷問を行った。これが事実。愛人にというのは一解釈。
奇跡はこの不条理を悼む人々の願望の充足。どう読んでも彼女は拷問で死んだのだ。

ここで、数学者テオンの娘、アレキサンドリアのヒパティアの悲劇を対比しよう。415年のことである。
彼女は哲学者として名をとどろかせ、洗礼せず、異教徒であった。大司教キリルスは、民衆を煽動して
ユダヤ人を追放した手法を彼女にも行った。

   ー人々は、路上で彼女を捕らえ,教会へと追いたて、服を脱がせ,彼女の肉体を
  陶器の破片で細かく切り裂き、滅多切りにされた彼女の手足を町中に引きずり回し、
  揚句の果てに焼いてしまった。ー

『西洋事物起源』 ヨハン・ベックマン著。岩波文庫(第3巻、液体比重計の項)より


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